彼と彼女の理由




「何溜息ついてるの?」
「え?あっっ!!?」


机で健康診断表を開いて今回の記録を見ていたら、上から手が伸びてきて取り上げられてしまった。
白い台紙が俺の頭上をこえ、後ろへ消えていく。
驚いて振り返ると、後ろの席に寄りかかるようにして立った総司が、にやにや笑いながら俺の健康診断表を見ていた。


「ふぅん。前よりは伸びてるんだね?えーと、ひゃくろく………」
「うわぁああああぁぁあっっ!!」


ばかっ!見んじゃねぇ!!
俺は思わず叫んでいた。
平均より少し低い身長は、俺の最大のコンプレックスだ。
それをでかい声でクラス中に公表なんかされた日には、それをネタにクラスメイトからずっとからかわれるに決まっている。
普段から「小さい」とか「低い」とか言われて、恥ずかしかったり情けない思いをしているのに、これ以上からかわれるなんて冗談じゃない。
俺は慌てて椅子から立ち上がり、総司の手から健康診断表をひったくった。
教室の中から、いくつかの舌打ちの音が上がる。
………あぶねぇ、あぶねぇ。
ほっとして胸をなでおろしていると、総司が不満そうに口を尖らせて俺を見てきた。
おもちゃを取り上げられた子供か。お前は。


「別にいいじゃない。減るもんじゃないしさ。僕は気にしないよ?」
「いや、お前がそうでも俺は気にするから!!」


だってさ。
彼女と身長がまったく同じなんて、男として情けなくないか?







俺と瑞希の身長が同じになってしまったのは、中2のときのことだった。
それまでは俺のほうが背が高くて、隣に並んで歩くと必ず俺の肩のほうが瑞希の肩の高さより高かった。
だけど、中学に入るやいなや瑞希の身長はみるみる伸びだし、気がついたときにはその高さは同じぐらいになってしまっていた。
今では瑞希の隣を歩くと、互いの肩が綺麗に同じ高さに並んでしまう。
ほら、こんな風に。


「ねぇ、平助。さっきから溜息ばっかりついてるけど、大丈夫?」

帰り道を隣に並んで歩く瑞希が、心配そうな顔をしてきいてくる。
やべ。また無意識に溜息ついちまってたのか、俺。
けど、正直に身長のことを気にしているなんて言えなくて、つい強がって首を振ってしまう。


「いや、そんなことないって!!」
「ウソ。絶対今日の健康診断の結果のこと気にしてるんでしょ?」


はい。そうです。
やっぱり長い間一緒にいる幼なじみなだけあって、俺のことは何でもお見通しのようだ。
強がりをさらっと否定された上に溜息の理由もあてられ、俺は苦笑いするしかなかった。


「う、うん。まぁな……」
「平助が嘘ついててもすぐ分かるよ。平助分かりやすいし」
「そんなに分かりやすいか?」
「もうバレバレ」
「うっ」


まぁ、確かに嘘をつくのは苦手だ。
「それにさ」と瑞希は続ける。


「私は平助の彼女なんだから、それくらい分かるよ」


そう言ってうつむいた顔は、ほんのり赤く染まっていて、かわいかった。
うん。そうだよな。
でも、だからこそ気になっちまうんだよな。
幼なじみから恋人同士になってからは、今まで気にもしなかった色んなことが気になり始めた。
今何してるんだろう、とか。
瑞希は俺のことどれくらい好きなんだろう、とか。
俺って瑞希にちゃんと釣り合ってるのかな、とか。
よく考えたら俺、瑞希のことでいっぱいだ。


「平助は、私と身長が同じなの嫌なんだよね?」
「うん」
「何でそんなに嫌なの?」
「何でって、そりゃ男なら彼女より背が高いほうがいいと思うに決まってるだろ?」
「えー、そんなもの?」
「そんなものなの!」
「………ふーん」


瑞希は俺の理由にあんまり納得できないみたいだった。
分かんないかなぁ。この悩み。


「じゃあさ。逆に聞くけど、瑞希は何で俺と身長が同じなのがいいんだよ?」
「え?私?」


聞き返されて瑞希は驚いた声を上げた。
それから少し考え込むような………というか言いづらそうなそぶりをみせる。
そういえば、あんまりよく考えたことがなかったけど、瑞希は俺と身長が同じことをどんな風に思っているんだろう。
じっと見ていると、瑞希が足を止めた。
つられて俺も足を止める。


「………じゃあ。ちょっと目、つぶって?」
「は?何で?」
「いいからっ!」


何なんだ?
疑問に思いながら俺は瑞希の言うとおり目をつぶる。
周りがみえなくなる代わりに他の感覚が鋭敏になって、遠くでかすかになっていた踏切の音が大きくなった。
あ、まさか前みたいに悪戯する気じゃないだろうな。
そう思っていると、ふっと顔の前に何かが近づいた気がした。
そして、それは一瞬のことだった。


「!!」


唇を柔らかい何かがかすめた。
驚いて目を開けると、目の前に瑞希の顔があった。
その顔は夕日より赤い。


「だって、身長が同じだとキスしやすいでしょ?」


……やばい。
一瞬、同じ身長でもいいかもしれないと思った。
すげぇ現金だ、俺。
瑞希の熱が移ってしまったかのように、俺の顔も熱くなってきた。きっと俺の今の顔も瑞希に負けないくらい真っ赤になってるはずだ。
お互い真っ赤になった顔を直視していられなくなって、どちらともなく目線をそらした。


「か、帰ろうか?」
「うん………」


隣に並んで歩き出す。
けど、すごく恥ずかしかったのか瑞希の歩調はいつもより速くて、俺は瑞希の少し後ろを歩くことになった。
目の前に華奢な瑞希の背中が見える。
細いその背中は、とてももろく見えた。




―でもさ、瑞希。
お前の気持ちも分かるけど。やっぱり俺は瑞希のその背中をすっぽり抱きしめて守ってやれるくらい、背が高くなりたいと思うんだ。
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