まずい。
ぜんぜん動けない。






落としてしまった根付けを探して中庭の茂みを掻き分けていたら、出っ張っていたツツジの枝に髪が絡まってしまった。
長い髪はめちゃくちゃに絡まっているのか一向に解けないし、動くと頭皮が髪ごとひっぱられてものすごく痛い。
自分で解こうにも手が届かなくて、結局その場にじっと座り込む形になった。
どうしよう。
土方さんと山南さん、近藤さんはお偉方に会いに出かけている。
沖田さんは今日の撃剣師範の担当で道場にいる。
斉藤さんも今日は刀の手入れをすると言っていたから、部屋にこもって手入れをしているんだろう。
平助と左之さんと新八さんは例のごとく島原。
平隊士に助けを求めようにも、今は稽古の時間でみんな道場にいるはずだ。
助けを期待することはできなさそうだった。
―いっそ切るか。
腰元に差した刀に目をやる。
長い髪は動くのに邪魔だから、この機会に短くするのもいいかもしれない。
そう思って刀に手をかけたときだった。


「瑞希。何してるんだ?」


中庭に面した渡り廊下に、いつの間にか左之さんが立っていた。
てっきり平助たちと飲みにいったものだと思っていたのだけど、違ったのだろうか。
とにもかくにも、天の助けであることには違いない。


「髪が枝に絡まって、動けないんです」


苦笑して言うと、左之さんは廊下から中庭へすぐ降りてきてくれた。


「どれだ?見せてみろ」


そう言って左之さんはしゃがみこむと、私の肩越しに後ろの茂みをのぞきこんだ。


「え、あ………」


身体が密着するんじゃないかってくらい、距離が近くなる。
息をするのもためらうくらい、近い。
至近距離で左之さんの匂いがして、頭がくらくらした。


「…すげぇ絡まってるな、これ。ちょっと待ってろよ、今ほどいてやるからな」


左之さんは私のからまった髪をほどくのに必死で、距離の近さにまったく気がついていないようだった。
耳元のすぐ近くで、吐息とともに左之さんの声がする。
その声は普段聞く声よりさらに低く聞こえて、頭に直接響くようだった。
低くて甘い声。
心地よさを感じる反面、いてもたってもいらない気持ちになり、ぎゅっと目をつぶる。
胸が早鐘を打っている。
この鼓動が左之さんにまで聞こえてしまうんじゃないかと思うと、ものすごく恥ずかしかった。



「ほら、解けたぞ」


いつまでそうしていただろう。
唐突に左之さんの声と体温が遠ざかる。
頭を動かしてみるけど、もう引っぱられる感じはなかった。
動けることにほっとすると同時に、顔が熱くなっているのを感じる。


「……ありがとうございます」


火照った頬を左之さんに見られたくなくて、顔をうつむかせたままそっとお礼を言う。
それに、きっと顔を上げたところで左之さんの顔を直視できなかっただろう。
声とか。
体温とか。
髪を触る手とか。
まだ左之さんの感覚が身体に残っている。


「気にすんなって」


そんな私に気を悪くするでもなく、左之さんは笑みを含んだ声でそう言う。
本当、”色男”ってこういう人のことを言うんだと思う。


「それより、ちょとこっち来いよ」
「え?」


いきなり手を引かれて立ち上がされ、縁側に座らされた。
何をする気なんだろうとちょっと顔を上げて左之さんを見ると、左之さんはなんだか楽しそうに笑っていた。一体何だろう?
それは私にはこれから悪戯をしようとする子供の顔のように見えた。


「ほら、髪乱れてるだろ?俺が結いなおしてやるよ」


後ろに手をやると、確かに髪がくしゃくしゃになっていた。
でも、左之さんに結ってもらうのは気が引けて、私は断りの言葉を口にしようとする。


「え、でも……」
「いいから、いいから」


けどもうすでに左之さんの手は私の髪を結っている結い紐をほどきにかかっていて、私はおとなしく従うことにした。
今日の左之さんは、なんかちょっと強引だ。
大きな手が私の乱れた髪をほぐすように梳いていく。
それはいつも自分がするのとは違っていて、どきどきすると同時にとても気持ちよかった。


「瑞希の髪って、長くて綺麗だよな」


髪を一つにまとめなおしながら左之さんが言う。


「そうですか?」
「ああ」
「でも長いと頭洗うときに大変ですし、今日みたいに引っかかってしまうことがあるんでちょっと不便ですね」
「そういや、平助もそんなことぶちぶち言ってたな」


あははと左之さんが笑う。
つられて私もくすりと笑ってしまった。
平助も長いからなぁ。
下手すると私の髪より長いかも。


「平助ってなんであんなに髪長く伸ばしてるんだろ?」
「あいつのは不精だ。面倒くさいから、切らないんだと」
「へぇー」


私は伸ばしているほうが面倒くさいと思うけどな。
そう思っていると、それが左之さんにも伝わってしまったみたいだった。


「瑞希は短くしたいのか?」
「うん」
「……そうか」

左之さんの言葉には残念そうな響きがあった。
沈黙が落ちる。
どうしたんだろう。
不安に思って後ろを振り返ろうとすると、髪に何かがさされる感触がした。


「俺は瑞希の長い髪、好きなんだけどな」


かすかに金属と金属が触れ合う高い音がする。


「え…」


驚いて頭に手をやると、冷たい金属の感触がした。
銀細工の簪だ。


「よく似合ってるぜ」


振り返った先には、目を細めて柔らかく笑う左之さんがいた。
その笑顔に、一瞬見惚れてしまう。


「これ」
「今日市中に出かけたときに見つけたんだ。お前に似合うと思ってな」


けど。と左之さんは顔を曇らせる。


「髪短くしちまうんなら、挿せねぇな」


そう言って、中途半端に残った髪をそっと耳にかけてくれた。
物寂しそうな顔に、目が釘付けになる。
なんだか胸が痛くなった。


「……やっぱり」
「ん?」
「髪、伸ばします」


もらった簪がもったいないし。
それに…










左之さんの嬉しそうな笑顔が見れるなら、ちょっとした苦労も悪くないと思えた。





(そういや、廊下でこれを拾ったんだが、お前のか?)
(あ…、根付け)
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