冬の話




『声が出ない』

手のひらの上に一文字ずつ指でかかれた言葉をつなぎ合わせ、良玄は納得した。
どうりで今日はいつにも増して静かなわけだ。
瑞希は良玄の手をつかんでいた手を離すと、けほけほと咳を漏らした。
先日から嫌な咳をしていると思っていたが、本格的にこじらせてしまったらしい。
だからあれほど身体は冷やすなと言ったのに。

「薬は?」

この時期になると風邪が流行り始めるからと、あらかじめ見世には薬屋から買った風邪薬を常備している。
溜息混じりに問えば、瑞希はぎくりと肩をはねさせた。
飲んでいないらしい。
いよいよ良玄は呆れた。何もせずに放っておけば、治るものも治らないわけだ。
良玄はその場から腰を上げると、瑞希にその場で待っているように少しきつめに言いつけて、番頭から薬を受け取ってきた。
良玄の手にある見覚えのある黄色い薬紙に包まれたそれを見て、瑞希はあからさまにげっというような顔をする。しかも若干引け腰だ。
昔も熱を出したときに手こずった覚えがあるが、この娘はよほど薬が嫌いらしい。今もすでに断固拒否する構えだ。
長い付き合いで頑固になったこいつが相当頑ななことは良く知っているし、どれほど薬が嫌いなのかも知っている。
しかし、だからといって甘やかすことはしない。

「飲め」

白湯が入った湯のみと一緒に瑞希の目の前に差し出す。
案の定瑞希は嫌そうな顔をして猛烈な勢いでぶんぶんと頭を横に振った。
相変わらずの薬嫌いっぷりだ。薬紙を見ようとさえしない。
そっぽを向いて早くも防御の体制に入った瑞希を見て、良玄は仕方ないと溜息を吐いた。
最後の手段だ。
ゆるりと瑞希のほうへ手を伸ばし、その頤をつかむ。
驚いた目と合った。

「俺に口移しで飲まされるのと自分で飲むの、どちらがいい?」

そう言い終わるのと嚥下する音が鳴るのとどちらが早かっただろう。
良玄の手から湯のみと薬を奪い取った状態のまま、瑞希はあまりの苦さに口を押さえて悶絶していた。
目じりにはうっすらと涙が浮かんでいる。
嗜虐心があおられるいい眺めだ。こころもち唇の端を上げてにやにやしていると、瑞希がきっと顔を上げてこちらを睨めつけた。
ぱくぱくと口だけを動かす。
『おに』

そう言っているようだった。
腰を上げてこちらに湯のみを押し付けると、瑞希は足音荒くあっという間に部屋を出て行ってしまう。
少しからかいすぎたか。でも、これぐらいは許して欲しいもんだ。
閉め切られた障子から湯飲みのふちに目を落とす。

「そんなに嫌か」

ぽつりと呟いた声は自分でも思っていたより沈んでいた。
どういう反応が返ってくるか分かってはいたが、これはこれで。

「案外傷つくもんだな」

無意識に指でなぞった唇は冷たく、無性に温かさが欲しいと思った。
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