まどろみを破る




"春眠暁を覚えず"という言葉がある。
孟浩然の「春暁」に書かれた言葉で、"春の夜はまことに眠り心地がいいので、朝が来たことにも気付かず、つい寝過ごしてしまう"という意味だ。
昨晩は寒くもなく暑くもなくちょうどいい気温だった。その言葉の通りあたしもついつい眠り心地の良さに負け、もうすぐ昼をすぎるころだというのに布団のなかで未だにまどろんでいた。
…抜け出せない。
自分の体温でほんわりと温まった布団を頭から被り、ごろりと寝返りをうつ。目をつぶっていると、またうとうとと眠りの波が襲ってきた。
うう〜、気持ちいいー。起きたくないー。お腹減ってきてるけど、もうちょっと寝とこうかな。今日は非番だし。
よし、寝よう。そう思って、またもぞもぞと寝返りをうったときだった。

「瑞希!とっとと起きやがれ!!」

戸が乱暴に開け放たれる音と共に、ごおっという音がしたかと思うと、一瞬で被っていた布団をはがされてしまった。いや、正確には"吹き飛ばされた"。
―鎌之介の操る風によって。

「…鎌之介」
「今日は非番なんだろ!?外の天気もいいし殺りあおーぜ!!」

枕を抱き寄せてごろりと寝転がった体勢のまま、ジト目で入口に仁王立ちする鎌之介を睨みつけるが、嬉々とする鎌之介にはまったく効果がないようだ。
というか誰だ。鎌之介にあたしが非番だって事教えた奴は。…まぁ、大体想像つくけど。
多分、才蔵あたりだろう。しつこく追い掛け回された挙句、鎌之介の興味がこっちに向くようにぺろっと喋ってしまったか。
鎌之介に何かと追い掛け回されているのは不憫に思うが、それをこちらに押し付けないでいただきたい。

「天気がいいから殺りあうとか意味分からないんですケド。ってかお前は血の雨降らせてせっかくの晴天を台無しにする気か」
「おう!血の雨!!いいじゃねぇか!!」

ヤバイ。火に油を注いでしまった。
鎌之介の表情はますます生き生きとしてきている。その分あたしの命が脅かされていくわけだが。
参ったなぁ。相手するのメンドクサイなぁ。
よし。

「おやすみ」

シカトして寝よう。

「って、寝んなよ!!」

吹き飛ばされた布団をかぶり直したら、今度は鎌之介自らの手で再び剥がれた。
寒い。何するんだよ。
抗議の目で見上げたら、その3倍の抗議を込めた目で見下ろされた。

「なぁ〜、ヤリあおうぜ〜」
「うるさい。あたしは眠いんだ。それにその言い方すっげぇいかがわしいからヤメロ」

起き上がらせようとしてくる鎌之介の手を振り払い、もう一度布団をかぶる。もふっ。布団饅頭のできあがり。
しかし、また鎌之介の手によって布団を剥がされた。

「…」
「…」

もふっ
べりっ
もふっ
べりっ
もふっ
べりっ

…クソ、らちがあかねぇ。
しかも鎌之介のやつ、あたしの布団引っぺがすの何気に楽しんでやがる。
が、何回か繰り返すうちにだんだん飽きてきたのか、鎌之介は布団を手放してくれなくなった。取り返そうとするあたしと返したくない鎌之介で、今度は布団の取り合いになる。

「なぁ〜、いいだろ〜!?」
「よかねぇよ!他を当たれ他を!!」

布団を引っ張り合いながら怒鳴りあう。

「俺は今瑞希と殺りあいてぇの!!」

鎌之介の布団を引っ張る力がいっそう強くなった。
あー、もう。うっとおしいなぁ。内心ちっと舌打ちをする。
そんなにやりあいたいなら…

「おわっ!?」

痺れを切らした鎌之介が布団を強く引っ張った瞬間を狙い、布団から手を離した。その勢いのまま、鎌之介は後ろへしりもちをつく。どんと鈍い音がなった。かなり強く打ち付けたようだ。鎌之介の目じりにはうっすらと涙さえにじんでいる。
しりもちをついたまま、下から鎌之介はこちらを睨み付けた。

「いってぇな!いきなり何しやが…」

その上に、あたしはのっかった。
何が起こっているのか分からないのか、鎌之介はきょとんとした顔をしている。こうやって大人しければ、鎌之介も可愛いのにな。
ほんのりと唇に笑みを含ませ、あたしは鎌之介の頬を指先でそっとなぜた。

「そんなにやりあいたいって言うんなら…」

しようか?
息を吹き込むように、鎌之介の耳朶へそっと囁く。

「なっ」

ひゅっと鎌之介が息を呑んだような気がした。心なしか耳も赤い。耳元から顔を離し、鎌之介を正面に見据える。何かを期待する気配を漂わせる鎌之介に、あたしはにっこりと満面の笑みを浮かべ、言った。

「将棋を!」
「…は?」

そのときの鎌之介のぽかーんとした顔といったらなかった。目はまんまるに見開かれ、口は間抜けな感じにあんぐりと開かれている。あまりの面白さにこらえきれず、あたしは吹きだし、大爆笑した。

「あははははははは!!!期待した?!期待した?!残念!ウソでした〜!!!」
「…〜っテメェっ!!」

ぶっ殺す!!!
鎌之介のうえから飛びすさり、開け放たれたままの廊下へ飛び出した瞬間、間髪入れずに暴風が脇をかすめていった。
うわっ、あぶないあぶない。

「待ちやがれ!瑞希!!」

待てといわれて待つ人間はいない。
鎌之介の怒声を背にうけながら、あたしは廊下を走った。
あ〜あ。結局こうなるのか。せっかくの非番だったのに。
まぁ、でも。

鎌之介のめったに見れない真っ赤な顔を見れただけでもよしとするか。

ふふっと笑い、あたしは鎌之介を撒くべく足を速めた。

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匿名ピノコ様、大変お待たせいたしました!
ほのぼのギャグ…になっていますでしょうか?
この後ヒロインは、襦袢一枚で廊下を走っているところを筧さんに見つかって説教されます。
鎌之介はなかなか難しかったですが、あまり書かないキャラクターなのでとても楽しかったです。
リクエストありがとうございました!
ALICE+