夏祭り


変じゃないかな…

いつもより緊張した面持ちで鏡の前に立つ。
細長い全身鏡に映るのは、浴衣姿の自分。
白地に青紫の桔梗の花が映える浴衣は今日のために気合いを入れて新調したものだ。落ち着いた中にも可憐さのある柄は、きっと彼も気に入るんじゃないかなと思った。
くるりと身を捻って、柄に合わせて締めた紺色の帯が形よく結ばれているか確認する。
くずれはない、ね。
おはしょりを軽く直し、わたしはもう一度正面に向き直る。
鏡の向こうから少しはにかんだような緊張したような表情の自分が見返してくる。
はじめての夏祭りデートに、うかれるような気持ちが半分、どことなく不安な気持ちが半分あった。
半分は自分と同じく浴衣姿でくるという約束をした彼と歩く自分の姿を想像して。
残る半分は主に粗相をしないかという思いから。
お祭りになると、うかれすぎてついつい一緒にいる人のことを忘れがちになっちゃうからなぁ。
去年の夏祭りに一人突っ走って色んなお店をまわり、気がついたら友達とはぐれてしまっていたことを思い出す。
その後人波から現れた友達に叱られたのはいうまでもなく、友達の跳ね上げられた眉を思い出しわたしは苦く笑った。
今日は自重しないと。
自戒を胸に立ち上がると、机に置いていたケータイが震えた。
ディスプレイに表示されたメールの差出人には「はじめ君」の文字。
家の前に到着したようだ。
歩きにくい裾に気をつけながら階段を下り、まっすぐ玄関へ向かったわたしは用意していた下駄を履いて扉を開ける。

「はじめ君?」

薄暗くなりつつある外には、いつもとは装いの違う彼が立っていた。
紺染めの浴衣に黒い帯をしめた姿は、色白の彼によく似合っている。それになんだろう、どことなく色っぽい。
わたしは普段とは違う雰囲気の彼にどきりとする。
それははじめ君も同じだったようだ。扉を開けたわたしの姿を認めるなり、彼は目を瞠った。
じんわりと頬が染まって目線が横に泳いだなと思ったら、また戻ってくる。

「き、」

はじめ君は一音発した後、ためらうように口を閉じ、また開く。

「…綺麗だ」

聡明そうに整った彼の顔がゆるむ。
面映そうに告げられた言葉に、わたしは真っ赤になった。
恋人の欲目だったとしても、慕っている人にこういう風に告げられて嬉しくない女子はいないんじゃないだろうか。
わたしはあまりの嬉しさに内心舞い上がる反面、真っ赤に染まっているであろう顔に恥かしさを隠せなかった。
火照る顔の下半分を手で隠しながらうつむき、「ありがとう」と言う。
わたしの反応にまたはじめ君の顔が赤くなる。赤く染まった互いの顔を見合わせ、どちらともなく視線を下に落とした。
どっちもかなりの恥かしがり屋なので、よくこうなる。まだまだ慣れないなぁ。
ばくばくと早鐘を打つ心臓がちょっと落ち着いてきたところで、わたしは顔を上げた。

「はじめ君も、よく似合ってるね」

夏祭りに行こうと誘ってくれたのははじめ君だったけど、一緒に浴衣を着ていこうと誘ったのはわたしだ。
あまり人の混む場所を好むような性格じゃない彼が夏祭りに誘ってくれたこともそうだけど、ちゃんと約束を覚えていて着てきてくれたことが、嬉しかった。
へにゃりと笑って言うと、照れたような笑みが返ってくる。

「…そうか。ありがとう」

うう。やっぱり好きだなぁ。
大好きな笑顔に胸がきゅんとなる。甘酸っぱい気持ちを噛み締めていると、ふとはじめ君が上を見上げた。
はじめ君の顔に落ちる影が濃い。街灯の明かりが明るく感じられるのは、日がほとんど隠れてしまったからだ。
夏の日の入りは遅く、6時半を過ぎたくらいにようやく暗くなり始める。同時にそれは、夏祭りの始まりの時間でもある。
迫ってくる夏の夜の鮮烈な気配に、わたしは胸が躍るのを感じる。

「行こうか」
「うん」

ちょっと恥かしげに差し出された手をとり、わたしははじめ君の隣を歩き始めた。
かこかこという2つ分の下駄の音と繋いだ手の温かさに、すっかりわたしは舞い上がっていた。
舞い上がるあまり、すっかり忘れてしまっていた。



「すげー!」
「めちゃくちゃうめー!!」
「勘弁してくれよ嬢ちゃん!!」

…やってしまった。
ほとんどの的がなくなった射的の台を前に固まる。
だらだらと内心冷や汗を流しながら心に浮かべる言葉は、失敗の一文字だ。
おしとやかにりんご飴でも食べてきゃっきゃうふふ楽しむ計画が、いざ道に並ぶ金魚すくいや射的の店を見ていると血が騒いだ。とりたい。すくいたい。打ち落としたい…!!
気がつけば輪投げ、金魚すくい、射的とばんばん商品を射ち落としまくっているわたしがいた。
そして我にかえった今、さながらゴル○13のように射的の銃を構えたわたしの隣には、なんともいえない表情をしたはじめ君が立っている。
両手にはわたしがこれまでとりまくったの景品の品々がこれでもかと積まれていて、完全にただの荷物もち状態だ。
油をさし忘れたブリキ人形のようにぎぎぎと顔を向けるわたしに、はじめ君はぽつりと言う。

「…すごいな」

若干引き気味のはじめ君の声に、わたしは自分がはじめ君そっちのけで楽しんでいたことを猛然と反省した。
うわぁぁぁぁぁ!!!!あれだけ今日は自重しようと思ってたのにぃいい!!!わたしのバカぁあああ!!!
おかげで甘い計画が台無しだ。
金魚すくいで手取り足取りはじめ君に教えてもらったり、一つのりんご飴を一緒に食べちゃったり、人気のない場所でいい雰囲気になってき、ききキスとか!!
と妄想していたこと全てを自らぶち壊してしまった。
本当なら夏祭りデートらしくもっと甘い雰囲気になるはずだったのに、調子にのって金魚すくいで本気を出したのが瓦解の始まりだった。
なんたる失態。
わたしの夏、終わった。
真っ白に燃え尽きたわたしは、その後どうはじめ君と一緒に帰り道についたか覚えていない。


気がつけば、とぼとぼと祭りの提灯が連なる道をはじめ君と一緒に歩いていた。
夜闇にぼんやりと丸い赤提灯の群れが浮かんでいる。
隣をちらっと振り返るけど、はじめ君の表情はちょうど影になっていてうかがうことができなかった。
きっとがっかりさせちゃったんだろうな。
隣を歩きながら、肩を落とす。

「面白くなかったよね」

砂利道に視線を落としながら、ぽつりと言う。
思えば自分ばかり楽しんでいた気がする。あれやこれやと連れまわし、…あれってデートって言わないんじゃ。
遠ざかる出店の明かりに比例して、わたしの気持ちもだんだん落ちていくようだった。
足が重い。気がつけばいつの間にか立ち止まっていたらしい。
顔を上げれば、少し前のほうで立ち止まったはじめ君がこちらを振り返った。

「そんなことはないぞ」

気落ちするわたしにはじめ君がはっきりとした口調で言う。そこには遠慮とか気遣いとかの響きがまったくなく、予想していなかった返事にわたしは虚をつかれた気分だった。
ぼうと薄赤い灯りに照らされたはじめ君の表情はいつもの通りで、やっぱりこちらに気を遣って言ったという雰囲気はない。
正直で真っ直ぐな彼のことだから、本当にそうなんだろう。
しかし、思い返してみても自分ばかり夢中で楽しんでいたことばかりしか覚えていない。
そんなことはないと言えるようなことがあったっけ。
戸惑った表情をするわたしに、はじめ君は答えをくれた。

「瑞希の楽しそうな顔が見れて俺もよかった。それに俺も楽しかったしな」

嬉しそうに笑うはじめ君が持ち上げた手のビニール袋の中で、水の中の金魚が踊った。
ゆらゆらと無数の赤い金魚が泳ぐ中、一匹の黒い金魚の尻尾が揺れる。
赤いのはわたしがすくったものだけど、その一匹だけははじめ君がすくったものだった。


「なかなか難しいな」

わたし達が一番最初に入ったのは金魚すくいの夜店だった。
わたしが夜店で一番得意なのが金魚すくいだったのと、店が入った道に一番近かったからだ。
まわりにはやされてというのもあるけど、調子にのってぽいぽい金魚をすくうわたしの隣で、はじめ君は数学の難問を解くときみたいに眉を寄せてうなった。はじめ君がポイを金魚の下に差し入れる。けど持ち上げようとすると、すぐにポイの上から逃げられた。
おしい。今のはタイミングがちょっと早かった。

「ちょっといいかな」

ますます眉をしかめるはじめ君の手をわたしは後ろにまわってとった。
触れた手から伝わってくる強張った感覚に、はじめ君が緊張したのが分かった。
あ、こっちまでなんか緊張してきた。
意識されているのが分かって、一瞬わたしもどきどきする。でも、気をとりなおしてわたしははじめ君に教え始めた。

「えっとね、乱暴に入れると金魚がびっくりして逃げちゃうから、そうっとこうやってポイを金魚の真下にいれて…」

すっとポイの真上にきた金魚を、すばやくすくい上げて引き寄せたボールのなかに落とす。

「ね。こんな感じ」

はじめ君はしばらく教えられたことを反復するようなそぶりを見せたあと、うなずいた。

「分かった。やってみよう」

そして何度目かのトライで、やっと取れた一匹だった。
そのときのはじめ君の表情は、初めて一人で何かをやってみた子供のように誇らしげで、とても嬉しそうな顔をしていたのが印象的だった。

「あ…」

そこでようやく自分が夢中になるあまりに気がついていなかっただけで、実際ははじめ君もちゃんと楽しんでいたということに気がついた。
それが分かってほっとすると同時に、いつの間にか距離を詰められてするりとつながれた手に胸がはねた。

「不思議だな。いつもなら人の多い場所は足が向かぬというのに、お前と一緒なら全く気にならなかった。…むしろ、楽しかった」

本当にお前は俺に色んなことを教えてくれるな。ふ、とはじめ君が笑う。

「来年はもっとたくさんとれるよう俺も頑張るゆえ、また俺の隣で教えてくれ」

近づいたことで分かった。
提灯の赤に染まっていると思っていた顔は、実際に赤く染まっていることを。
頬を染めて穏やかな笑みで言うはじめ君に、わたしもつながれた手を握り返した。

「うん」

胸を染める鮮やかな気持ちに呼応するように、夜空に大輪の花が咲いた。
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