第四夜
下の階を一通り探索し、特に何も見つからなかったので元の場所に戻る。今回は特別に建物内だけを捜索出来たので不満はない。そのうち外にも連れて行ってやると言われたが、存外暇そうな彼を見る限りそれは近い未来になるのだろう。

「子猫。腹は減ってないのか?」

 不思議なことに、ここに来てから空腹を感じない。ただ普段の生活リズムもあって、来るはずなのになにも感じない状態に気持ち悪さを憶えている。何か口に入れるのはアリだろう。

「ならあっちの方に食料が置いてあるから取っていくといいぜ」

 そう顎で示されて、大人しく別の個室を開けると大量のハンバーガーが袋入りで転がっている。マフィン、チーズ、てりやき。何でもある…では無くて、何故ここにジャンクフードが大量にあるのか。

「近くの店からざっと集めてきただけのことよ。味は保証する。中々美味いよ」

 …それでも、絶対数日以上経過しているだろうそれらを食べる気にはなれない。腐っているんじゃないか。下腹への毒が盛られているような気がしてならない。

「別に魔力で保存してあるし大丈夫だって…なら先に食ってやるよ。……ん、やっはうわいぞ!」

 彼は先んじて適当に取った物を開封しとっとと口に放り込んでいる。食べながら話すんじゃありません。しかしあまりに美味しそうに頬張るものだから、胃が大きくなった気がして私は渋々てりやきバーガーを手に取った。…、美味しい。

「咯咯。一応言っておくが、サーヴァントは腹痛を感じない。だから腹が傷んでもあんたの自己責任だからな」

 思わず吹き出しそうになった。…は、謀ったな!!そっちが安全だって言ったんじゃないか!!

「保証するのは『味』だけさ。健康の面では知らないな!さて、今のうちにここいらの便所全部封鎖するとするか!」

 本気でやり出しそうなのが怖いところ。そう脅してくるものだから、本当に腹痛がやってきそうな気配がする。…ええい、背に腹は変えられない。味には飢えていたため、考えなしに一気にそれを平らげた。彼は面白がって私を囃し立てる。

「おわっ、一気にいきやがった!度胸あるなぁ…あ、次はこれどう?」

 …本当、勘弁して。



 食事という強制イベントにつきあわされ心身ともに疲弊した後、私は休息を取ることにした。気絶するように寝ていたのは一度あれ、正直快眠とは程遠い。疲れによって全身が凝り固まっていた。

 彼に寝ると伝えると不思議そうに理由を聞かれたが単に疲れているとしか返しようがない。実際そうすると、ならば、と彼は手をこちらに差し出した。

「少しほぐしてやるよ。こう見えて気功の技に長けていてな」

 …いや、結構です。得意気に腰に手をあてていても困る。

「なんでだよ!?」

 こちらが聞きたい。出会い頭に殺そうとしてきたり首を絞めてきたり人をペット呼ばわりする相手に安心して背を預けたり出来る訳ないだろう。

「…腹の方は預けられるってか?」

 何を言ってるんだこいつは。思わず肩を軽く叩いてしまう。無意識の行為で一瞬殺されるかもと憂慮したが、相手はキョトンとしただけで特に変化はなく杞憂だったらしい。
 それにしても、彼には些か天然の気があるのかもしれない。それともわざと言っているのだろうか。

「まぁまぁ、何度もいうが危険なことは何もしないって。それに、ちょっとは疲れを癒したいだろ?」

 …そこまで言うのなら、試してやろう。命に危険を感じたときは直ぐに中止、二度とやらないと約束すればの話。それも守られる保証は何処にもないのだけど。

「わかったから、安心しな。…そら、さっさと寝ろ寝ろ」

 何やら相当自信があるらしい。押し流された形で個室のベッドルームへ案内され、特に服は脱がずそのままでうつ伏せになる。

 ギシリとベッドの軋んだ音とその傾きから彼が乗ってきたことは直ぐに分かる。そのまま身体を預けていると、彼は私の上に馬乗りになった。…馬乗りに?

「…ん?何もおかしい事はないだろ?」

 いや、そうなのだけど…違う。これってすごく不味い絵面じゃないのか。気にしている私が可笑しいのか。身体が火照るのが分かる。しかし服は着ているのだしセーフだセーフ。そう思わなきゃやっていられない。私の慌てようが手に取るようにわかるのか、後ろから笑い声が響く。

「そんなつもりは無かったんだが、こりゃ面白いな!」

 どこが面白いのか。こちらは羞恥心を噛み殺しているというのに。そう抗議して身体が跳ねる。服越しにとはいえ撫でるように背に手が這っている。だから、止めてくれと。これ以上びくつかないようどうにか耐えると、彼が耳元で吐息を吐く。

「…別に、あんたが望むのならこういうことしてもいいよ?なぁ…楽しみたいかい?」

 

 乾いた音が響いた。私は上体を起こして手を下ろす。張られた頬をそのままに横を向く彼。やってしまった。けれどやらなければならなかった。私は大きく深呼吸する。…好きな人以外とは、こういうことはしちゃいけない…と、思う。

「ってぇな…何?初心を拗らせるとこうなるの?悪いけど想いとか気持ちとか、そういうのが一番要らないヤツだと思うんだよな、俺は」

 苛立ちを隠そうともせず殺気を向けられて足が竦む。やはり、怒らせてしまった。しかしここは譲れない。反骨心を持って私は相手を真っ直ぐ見た。

「…んだよ、その眼。だって、そりゃあな?不確かで不変じゃないものほど面倒でお荷物なものはない。…なぁ、欲求は満たせるんだ。自分が愉しめりゃそれでいい」

 それは違う。自分の欲求だけを満たす毎日なんて、機械的な作業にしかなり得ない。そんなものじゃ欲求は満たせても心は満たせない。馬鹿にされると分かっていた…案の定相手は鼻で笑うと肩をすくめる。

「心なんざ、正に欲望を満たすための感情の寄せ集めじゃないか!あんただって腹が減って食べ物がないと不機嫌になるだろ?物事が思い通りにいかないと怒るだろう。あんたの言う心は単純な渇望をただ美化しただけだ。要はキレイゴトだな」

 …確かに、心の元は感情だろう。そして感情はそもそも欲求から来ている。彼の言うことは的を得ている部分はある。確固とした理由があるからこそ、彼は彼の信念を曲げない。けれど。

 心って、そうやって簡潔に片付けられるもの?

「……」

 私達は悲しいと感じたとき、悲しい理由は判明しているのか。それが己の欲望の欠落から来ていると決めて、何故それが本当に欲望から来たものだと分かるのか。むしろ、逆じゃないのか。
  
  胸に広がった悲しさに理由が欲しいから、私達は必死に言葉を探すんじゃないのか。そして相手に何かされたからだとか、寂しいからだとか、納得の行く言葉を当てはめて自分を説得している。
それに真偽は問わない。問えるはずもない。何故なら自身が下した結論は、自らが信じる常識に基づいた物から来ているから。

 だからあなたの言うことは、それを欲求から来たものだと正当化して簡略化しようとしてるに過ぎない。
 きっと心はそう簡単じゃない。欲望の寄せ集めでもそれだけで出来ているわけじゃない。

「じゃあ、それ以外の要素は何だって言うんだ」

 …まただ。また彼は心底深いそうに眉間にシワをつくり、辛そうに私を見ている。単純に苛ついているだけかもしれないが、それだけじゃない、はず。そんな気がした。
 私は首を振る。どちらにせよ、彼の質問の答えに適した言葉を持たなかった。事実、彼の言うことが普通は正しいのかもしれない。私の言うことは…そう、感情論に寄るところが大きい。言葉に出来ないものほど説得力のないものはない。信念の齟齬の問題だ。理論で証明できないならば、説得には至らない。

「…そうだ。それは単なる感情論。説明できない以上、俺が正しい」

 無慈悲にも彼はそう結論づけ、ゆっくり私の肩に手を置く。力強く押されて私はやむなく倒れ込んだ。鎖の首輪がジャリ、と音を立てる。長髪の隙間から覗く淡黄が真っすぐ私を射抜く。今度は負けじと見つめ返し、沈黙が部屋を支配する。

 真顔でその表情の色はうかがえない。何を考えているのか検討もつかない。きっと私もそう。しかし私の考えは彼に筒抜けだ。ならば、何も思うまい。
このまま夜に溶けるかと思われるほど長い時間が経過した気がする。先に動き出したのは、意外にも彼の方だった。やがて表情を緩め、呆れたようにため息をつくと彼は私から離れて上体を起こす。

「分かった分かった。我慢比べはあんたの勝ち。…いくら正しいと思ってもあんたの考えを否定する気はない」
 
 興が失せたのか、諦めたのか、何が彼を止めたのか定かではない。きっと永遠に分からないだろう。…肯定はされないが否定もされぬ。そんなことは初めてではなかろうか。

「その代わり、こうしよう」

 何か思いついたらしく、目を細めて手をぽんと叩く。意外の次に、予想通り。彼の思いつくことは大概私に良くないものだと学習し始めたところだ。基本的にペットとして遊ばれるのは変わらないらしい。

「一つ対等な勝負と行こうじゃないか。見な。月があるだろう」

 窓の方へ行きカーテンを開けると、真ん丸な月が太陽と同じくらいに輝いている。雲も一切ないため、真っ白に輝くそれは夜を完全に支配している。

「夜が明けない新宿にある唯一時間を計れるものだ。あれがまた満月になるまでに、俺を納得させろ。あんたの信じる心とやらがあんただけの存在でないことを。心と欲望は同じじゃない何ていう話が俺みたいな外道に当てはまると知れたなら、お前の勝ち」

 何を言っているのか咀嚼するのに時間を要した。なるほど…訳がわからない。無理じゃないかもしれないが、難題だ。人の心がないような彼に心を教えろという。具体的な方法もなしに、私の信条を納得させろというのだ。
…どうやって。そもそも人の事を聞かない相手に、どうやってその心を動かせと言うのか。
例によって拒否権はないようで、間髪入れずにただし、と条件が提示される。

「出来なかったら、次は俺が正しかったと納得しろよ。…頭でも、身体でも、な?」

 平然と言ってのける彼の笑みの、何と恐ろしいこと。嫌だと騒ぐ私に大笑いして、たっぷり寝てくれと言ってドアから出ていってしまう。
後には頭を抱えた私だけが残った。
…こうして、私は嫌が応にも彼の勝負に勝たなくてはならなくなった。




…眠れない。
眠れるわけがない。悶々と先の件で頭を悩ませて、それなら歩き回ったほうが良いだろうと結論づける。
 そっと個室を出て、元いた簡易なソファーがある部屋に戻る。


 彼は何処かへ出掛けているのかいなかった。代わりに不用心にも鈍く輝く杯が一つ。聖杯だ。
 

 照明がついている中で異質な光を放つそれを上から眺める。中には何も入っていないのに、やはり何かに満たされているような錯覚を覚える。

しきりに人がいないのを確認して、手に取って傾ける。

重厚感がある割にそれ程重くはない。金で出来ていると思ったが密度が軽い別の金属か、それとも魔術とやらで軽くなっているのか。どうでも良いことを考えつつ、好奇心が鎌首をもたげる。私はそれをじっくり観察することにした。

 
 元は願望器とは言っていたが、真偽はともかく何か願っても効果は得られない。…そうだ、魔力の元とか言っていた。それを封じ込めたのが彼だとも。

もしこれが無くなればきっと彼に良からぬことが起きるのだろう。壊せば消える?…強ち戯言でもないのかもしれない。リスクを省みずやってみるのも手だ。存外に脆く壊れやすいかもしれないし。

 もしこれを壊したら、今度こそ彼は私を殺すだろう。何度も謎の情けをもらっておいて、彼にとっては恩を仇で返されたも同義やもしれぬ行動。それに得はあるか。…奇跡が起こるなら、ある。僅かでも可能性があるなら、私は。


【心は欲望を満たすための感情の寄せ集めだろ?】

 …きっと、これを壊して。

【あんたの言うことは、要はキレイゴトだ】

 ……解放されて。

 

 聖杯を元の位置に戻す。持つ前と変わらず存在感を保つそれを背にして、部屋に戻ろうと歩を進める。
生きたい。彼から解放され記憶を戻す。勿論、私の悲願に変わりない。だから聖杯を壊そうとしなかったのは時期を伺って命を優先しようと決めた結果だ。それだけのこと。


 ただ、彼の言うキレイゴトを口にするならば。感情を以て私を止めた原因を表すのなら。
…心を、気持ちを否定する彼が、酷く悲しかったのだ。
全てを諦めたように拒絶する彼が憐れに思えた。

 そして、私を否定した後に一方的に告げた挑戦状。

【俺にあんたのいう心を理解させてくれよ】

 願わくば、それが彼の消えかけた願いでありますように。そんなあまりにおかしな希望を私は抱いてしまった。

 私は彼が否定したものを実際に証明したかった。

それは、あまりにも馬鹿げた想い。承知している。

 

 本当に矛盾しておかしくなってしまったのは私のほうかもしれない。そう一人愚痴て思わず苦笑する。


 部屋の前に辿り着き、鍵のかからない個室のドアを開ける。
中に入って閉める直前、遠くの曲がり角からチラリと黒髪が覗いたような気がした。
瞬きすると消えていたので、気のせいだと信じてさっさと扉を閉めたのだった。

 その夜はまともに睡眠を取ることが出来た。
4/8
prev  next