彼らの旅行計画には最終目的地しか描かれていなかった。こんなの計画でも何でもないよ、と指摘すると後はあなたが計画して下さいと投げやりに言われた。
私は結局、ハンドルを握っていた。顔の良い男には気を付けろ、と私に警告してくれた祖母の顔が過ぎる。けれど、その金言が祖母の経験に基づくものだとしたら。父に似た忌々しい顔がサイドミラーに写っている。遺伝学は、鏡一つで立証できる。祖母といい、母といい、私といい、顔の良い男に振り回されるのは遺伝だ。血には逆らえない。遺伝学は偉大だ。
「ねえ、運転代わってくれない?」
「俺たち免許持ってないのー」
「無免許で良ければいつでも交代しますよ」
「という訳ですので」
揃いも揃って耳障りの良い声をしているくせに、言うことは物騒なことか呆れるようなことばかり。ありがとうとかさ、労いの言葉とかさ、他にもっと言うことあるでしょ。上辺だけの言葉をかけてくれればそれで良いのに彼らはどうも、音楽のように話すことが苦手らしい。
「ワンオペで海まで行けってことね」
とはいえどれくらいかかるのかも、何のためにそこへ行くのかも、まるで見当がつかなかった。私が知っているのは、お喋りな片割れくんが発した“アズール”という名前だけ。それが偽りだとしても、私は偽物にすがることしかできない。
車の往来が、砂粒を嵐のように巻き上げている。車窓は染め上げられてゆく。視界不良。晴天の意味が失われる。
ピコン、ピコン、ピコン
「何か鳴ってますが」
ピコン、ピコン、ピコン
「困りましたねえ」
ピコン、ピコン、ピコン
「爆発でもするの?」
ピコン、ピコン、ピコン
「ガス欠よ」
何もかも不透明な世界だと思われたが、ジュリエッタだけはとびっきりクリアな事実を教えてくれる。
「すみません、洗車をしたいんですけど」
「ホースならそこにあるっす。ホラ、もうアンタの連れが触ってるでしょ」
面倒くさそうに言い放った店員の細い顎は、ガラスの外にいる私のいたずらっ子に向けられていた。大きな子が、空に水を撒いている。他の二人はどうした、と目線をさらに動かすと、ジュリエッタのボンネットを興味深そうに眺める彼らがいた。全員が好奇心をむき出しにしている光景に少しだけ羨ましくなった。
これはうちの子がどうもすみません、という謝罪は心の中でとどめておく。というのも、彼がいじっているそれはとても洗車には使えなさそうなホースだったのである。それに、彼は連れでもなんでもないから私に責任なんてない。てか、洗車用ホースの場所すら教えてくれないなんて職務怠慢じゃん。こっちは生憎睡眠不足で虫の居所が悪いんだ。
「でも、あれは花に水をやるやつじゃないんですか」
「うちにあるのはそれだけっすよ」
投げやりな態度にイライラしながらも、名札は見なかった。顔を覚えておくだけにしておいてあげよう、という一応の慈悲が働いて色あせたキャップの下を覗き込むと彼の顔がひどく幼いことに気づいた。田舎だし人手が足りていないのかもしれない。
可哀想に。子どもに喧嘩売るなんて大人げないか。私の慈悲は急に膨れ上がった。そして、それは赦しを超えて謝罪の領域まで膨らむ。
「俺、子どもじゃないから。あんたの連れがこれ以上いたずらするんだったら、上でも警察でも呼ぶ」
ごめんなさい、と口にだそうとしたら大人みたいな対応が飛び出てきた。膨らんだものは風船のように弾け、驚きだけがそこに残った。突然の爆発に放心している私を横目に、彼は小さなショーケースに飾ってあるドーナツを取り出す。
手が汚れる、なんて些細な躊躇は彼にはないらしい。べちゃべちゃになったチョコレートドーナツにかぶりつく彼は、間違いなく一人前の獣だった。私は完全敗北を喫した。ジュリエッタをあのホースで洗い流し終わるのは、いつになるのだろう。日が落ちるころまでに洗えたら上出来か。肩を落としてガラス戸を引く。熱気に襲われたが背後の獣の目は刺さった。冷たすぎる。
「ねえ綺麗でしょ」
私の気も知らず、無邪気な方の片割れ君はサメの歯をような見せて自慢してきた。小さな小さな手作りの虹が上がっていた。彼は私の機嫌を取ろうとしたわけでも、私を慰めようとしたわけではない。彼はただ、自分の気の赴くままに行動しているだけなのだろう。
けれど、彼のこの自由気ままな姿は誰かを絶望へと蹴落とし、誰かを救う。熱いからかけて、と言うと彼は高い位置から容赦なく水をかけてくれた。
「気持ちいい?」
「とっても」
なるほど、彼は私のいたずらっ子かもしれない。