ジュリエッタはかつての美しさを取り戻し、気持ちよさそうに西日を浴びている。私は彼女の正面を陣取った。今から鑑賞会を開くつもりなんだけど、と助手席の彼に言うと私が鑑賞会に参加したら言うことを聞いて下さい、と契約を持ち出された。マリアの微笑みに私は二つ返事をした。

私には美人と車の博覧会へ行く夢があった。博覧会にしては少々殺風景だが、美人と車を鑑賞しているということは揺るぎない事実だ。あの時死ななくて良かった。夢というものはひょんなところで叶ったりする。ボンネットを鑑賞していると、ガラス戸の中で戯れる二人が写りこんだ。

「二人とも元気だね」
「一応言っておきますけど、右がジェイド、左がフロイドです。最初は見分けがつかないでしょうけど」

大人が芸術鑑賞をしている間、子どもは暇を持て余してしまうのがお決まり。ただ、二人はもうお子様ではないらしい。ちゃんと自分たちで暇を潰すことができるし、大人の手は煩わせない。

ガラス戸の中で例の獣耳の店員に迫る二人を、隣人が暖かく見守っている。悪がらみをしているようにしか見えないけれど、私も彼と同じように目を細めておいた。

「君の名前はアズールで合ってる?」

彼は首を縦にも横にも振らなかった。無言は肯定だろうと都合の良いように解釈した。

「ところであなた、お金はどうですか」

夕陽とジュリエッタが織りなす光景にそぐわない、ナンセンスな質問だ。まだ私の質問の方が刺々しくなかったはず。ここは名前を聞かせて、と言うところじゃないだろうか。

いつの日から金が世界を牛耳るようになったのだろう。金がなければロマンティックなシチュエーションだったのに。この世界の大半は、金が絡んだ途端に汚くなってしまう。金に目がくらんだ美男美女はその瞬間に美しさを失い、ただの男女になってしまうのだ。

そんなことを考えながらも、彼の質問が正しいということを頭では理解できていた。私は首を横に振った。私の惨めさを表すにはこの動作一つで十分だ。財布を開けて見せたところで惨めな気持ちになるし。君も惨めな気持ちになってしまうから。

「物事というものは、あらゆる角度から見るべきです」

彼はそう言ってジュリエッタを正面から捉えることをやめた。私は後ろへと回り込む彼に続くことしかできなかった。カルガモの親子に似て非なる図だった。

「後ろから眺めるのもなかなか良いんじゃないですか」

つん、鼻を高くする彼。ただの鑑賞会で勝敗などないはずだが、自分が勝ったとでも言いたげな顔をしていた。顔に似合わず勝気な性格なのだろうか。移動した途端差し込んできた逆光に対抗するため瞳の開閉を繰り返していると、何やってるんですかあなたと突っ込まれた。何か今、物凄く呆れた顔をされた気がする。

「さっさとその収納を開けてください」
「これトランクって言うんだよ」

彼の言動を見る限り、車とは縁遠い生活を送ってきたように見える。もし環境には優しくしよう系の思想だったら、この先仲良くはなれないかもなあ。もちろん、車に乗らない方が地球には良いかもしれないけれど。エンジン音がない世界というのは少し寂しい気がするから。

でも、運転免許に全く興味のない人間がこの場に三人もいる。近代が作り上げた芸術作品は、いつ終わりを迎えてもおかしくはないのだと知る。彼女とお別れしなければいけない時もいずれやってくるのだろうか。そんな思考を振り捨てるように取っ手を引っ掴んだ。ガタリと音を立ててジュリエッタのトランクを開ける。

「何これ」

トランクケースは見覚えのないアタッシュケースで埋め尽くされていた。彼は一つ一つ取り出して要領よく開けて見せる。

「こちらが紙幣、こちらがクスリ、こちらが拳銃…」

人間界の脅威の発明品を紹介するように、彼は指を刺していった。ジュリエッタが運んでいたものは私たちだけではなかったらしい。実に重々しい荷物を背負ったジュリエッタはどんな気分だっただろうか。

「全部あなたに差し上げます。ですので、必ず我々を海へ」

赤さだけが私たちとジュリエッタを結ぶ唯一の共通点だったのに、私の手と彼のスーツは赤を失っていた。そこにあるのは黒だけだった。血は乾き切っていたらしい。




「君、もう海の香りがする。なのに海に行きたいの」

シャワールームから出てきたジェイドからは既に潮の香りがした。海水を使ったシャワーでもないだろうし、それが彼の香りなのだろう。エスニックな部屋に海が満ちる。温かな春の海はこんな感じだったか。

「行くのではないですよ、ジュリエッタさん。我々はかえるのですから」

私の言葉を軽々と否定したわりに、彼は自殺願望みたいな言葉を並べた。かえるというのはどういう漢字だろう。そんなことをぼうっと考えながら青々とした髪を拭いていると、ありがとうございますとあっさりと感謝を述べてくれた。そうそう、そうこなくちゃ。

「ジュリエッタさんって私のこと」
「そうですよ、車のお尻に、そう書いてありました」
「車名は、“ロミオとジュリエット”というお話からきてるの」

解説を聞いた彼は人魚姫と少し似ていますね、とにこやかに言った。ジェイドは音楽を理解する代わりに、詩を理解できるのかもしれない。
宿の下の売店に買い出しに行った二人を置いて、会話に花が咲いた。柔らかな夜風に巻かれて監視されているという感覚も買い出しに行ってしまったらしい。揺れるカーテンに愛しさを覚えて、ジェイドの波打つオッドアイに宝石を見た。

「一つ聞いても?」
「どうぞ」

ソファーに足を揃えて座るジェイドに、前置きのホットミルクを差し出しておく。マグカップを持つ手の震えを彼がじっと見ていた。獲物を捕らえる瞬間を今か今かと待ち構えているようだった。

大丈夫、大丈夫。死にはしない。いつものおまじないを唱えて、白い液体を自分の喉にも流し込んだ。でもこのおまじないを唱えて碌な目にあったことがない。

「車の後ろに積んであったものは、どうやって手に入れたの」
「それは言えません」

お互いの体内には温かな液体が流れているはず。なのに、彼の声は冬の海のようだった。昔沈められた、真っ黒で孤独な海。あの海をあなたは知っているのかもしれない。

「では私から質問を。あなたは一体誰を殺したんですか」

彼がそう言った瞬間、部屋の照明がプツンと消える。停電かも、と窓の外を覗こうとしたがカーテンは彼が握っていた。だいぶ早く反応したはずなのにな。

「元カレだよ」

こんな時に限って風は吹いていない。カーテンは一ミリも動かない。アズールはどうして安宿なんか選んだの。あんなにお金があるのに。

「もう一度聞きます。誰を殺したんですか」

オッドアイが妖しく光る。密室の中で鈍い光に見とれた。けれどこれは恋ではない。それだけは、はっきりと分かっている。

「父よ」

思えば私は、春の海なんて見たこともなかった。

ひとつの青い

豊穣の彼方