先輩とセフレ関係

夏油と身体を重ねていたあの日々はもしかしたら私が見ていた夢だったのではないだろうか。
そんなあり得ない考えが頭を過ぎるほど、夏油はあの日から普通に、何事もなかったかのように私に接してきた。

業務連絡は変わらず取り合うし、すれ違えば挨拶も交わすし、他愛のない話だってする。
ただ以前のように“葵先輩”と呼ばれなくなって、敬語に戻って、セックスをしなくなっただけ。
ただの“先輩”と“後輩”に戻った。何もおかしくない。私達の関係なんて、初めからその程度の脆いものだった。
たったそれだけの、至って簡単な話だ。

「佐藤先輩。大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」

そっと手を差し伸べられてその手に自分の手を重ねると、ぐいっと身体が持ち上げられる。
ぱんぱんっとスカートについた埃や砂を軽く払って目の前にいる夏油を見上げると、夏油はいつもの貼り付けたような笑みを浮かべながら「そろそろ戻りましょうか」と足を進めた。






今日は“あの日”からはじめての二人での合同任務だった。私は昨日の夜緊張して眠れなかったけど、夏油はやっぱりこの日も拍子抜けするくらい普通に私に接してきて、少しだけ胸が痛んだ。

夏油は、気まずくないのだろうか。
それとも、夏油にとって私はそういう気まずさすらも感じられないくらい、どうでもいい人間なのだろうか。

私はあの日、何か間違ったことを言った?
夏油にとって、あの子はどういう存在なの?

聞きたいことや言いたいことは山ほどあるけど、臆病な私の口からは何の言葉も出てこなくて、そんな自分が嫌になる。
私はいつだってこうだ。肝心な事は何一つ言えなくて、いつまで経っても心に靄がかかったまま。


本当に、このままでいいの?
もう一人の自分が囁いてくる。


「…佐藤先輩?」


立ちすくんだままの私に、夏油が足を止めて振り返る。

「夏油は」
「はい」
「清宮のことが、好きなの」

情けない。緊張して声が震えてしまうなんて。
夏油は少し目を見開いた後、すぐにいつもの冷静な顔に戻って、私を見据える。

「好きですよ」

ヒュッと息を飲む。

「多分、佐藤先輩が思っているような“好き”とは違いますけど」
「え」
「一人の人間として、私は清宮希のことが好きです」
「……………………顔が良いから?」

思わずぽろりとでた本音に、夏油は呆れた顔をしてため息をこぼした。
だって清宮だよ?その類い稀なる美貌で初めこそ好感度100%の好スタートだったけど、関われば関わるほどその好感度は地の果てまで下がり切った。それくらい中身がクズなのだ、清宮希という人間は。

そんな私の考えを見抜いたのか、夏油は真剣な顔をして語りはじめた。

「呪霊って、死ぬほど不味いんですよね」
「え?」
「佐藤先輩、知ってます?知らないですよね。呪霊って吐瀉物を処理した雑巾の様な味がするんです」

夏油が何を伝えたいのかさっぱり分からないけれど、呪霊が吐瀉物を処理した雑巾の様な酷い味だなんて知らなかった。いや、考えれば簡単なことだ。
恨みや後悔、恥辱など、人間の身体から流れた負の感情を、夏油はいつも、飲み込んでいる。呪霊を祓うために、強くなるために、呪いを、自分の体内に。
それがどれだけ辛いことか、私は今まで少しでも考えたことがあっただろうか。

「ある日、希が聞いてきたんです。“呪霊ってどんな味するの?”って。今までそんな事誰にも聞かれた事がなかったから、少しだけ驚いて。“なんで?”って聞き返したら“飲み込む時、傑、いつも苦しそうな顔をしてるから”って」
「……」
「意外と人のこと見てるんです、希って。物心ついた時から酷い虐待を受けていたせいで自分が信頼した人間以外には一線を引くところがあるけど、一度信頼した人間にはとことん情深くて、根は優しい子なんです、凄く」

嘘…清宮が虐待されてたことなんて知らなかった。なんとなく、両親に愛されて甘やかされて育ってきたんだろうなあって勝手にそう思っていたから、その事実に驚きを隠せない。

「“吐瀉物を処理した雑巾の様な味がする”って言ったら、あいつ、ぽろぽろ涙を流して“傑は、えらいね。本当にえらいね。よく頑張ってるね。すごいよ”って私を抱きしめて、自分が号泣してるのにまるで母親が幼い子供にするように、しばらくずっと私の背中をさすってくれて」
「……」
「まさか頑張ってるね、なんて褒められるとは思ってなかったから。それが当たり前のことだって、ずっと思っていたから。だから、その言葉が本当に泣きたくなるくらい嬉しくて、救われた」
「……」
「“あの日”があったから私は今までどれだけ辛いことがあっても、踏ん張ることができた。頑張ろうって思えた。希が私の傍にいてくれたから。

ーーだから、私にとって希は誰よりも大切な女の子なんです」

「………ごめんっ…夏油、私、全然知らなくて…」

涙が頬を伝う。私は、何も知らなかった。いや、知ろうともしなかった。
夏油は困ったような顔をしながら、目尻から流れる涙を指で拭ってくれる。

「ごめんね。佐藤先輩の気持ちには応えられない」
「うん、わかってる…。でも、最後に言わせて。本当に、大好きだったんだよ」
「うん。知ってる。ありがとう」

やっぱり最後まで好きって言ってくれないんだね。でも、自分の気持ちに正直なところも大好きだったよ。

なんでもそつなくこなせるくせに、どこか不安定で、不器用で生き辛そうなところがほっとけないと思った。そこから芽吹いた恋心だった。

でも、あんなに愛おしそうな顔で“誰よりも大切な女の子”と言ってのけた夏油を見て、少しだけ安心もした。
勿論清宮には死ぬほど嫉妬してるけど。
でも、清宮がいる限り夏油はこのクソみたいな世界でも生き抜いていけれると思ったから。

「…夏油は、本当に清宮のこと、恋愛として好きではないの?」
「んー希は綺麗すぎて、そういう対象としては見れないかな。それに悟がいるしね」
「え、なにそれ。今のめっちゃ失礼じゃない?」
「ふふ。佐藤先輩が希のこと悪く言ったからその仕返しです」

そう言って、夏油はくしゃりと笑った。
その久しぶりに見る無邪気な笑顔に、顔が熱くなってどきりと胸が高鳴る私は、まだまだこの恋心を捨てきれそうにない。










さよなら青春








fin