名字名前。ここに来て最大の悩みができました。
「どうしたの?そんな神妙な顔して」
「諸伏くん・・・。あなたにしか相談できないことなんです」
「何で敬語?どした?」
外灯も当たらず、木の陰に隠れ人目を避けるように設けられた中庭のベンチに2人で腰掛け、声を潜めて切り出した。
「・・・・・・実は、最近降谷くんに避けられてまして・・・」
「え!ゼロが!?」
「しっ、声が大きい!」
「ごめんごめん・・・。ゼロが?名字さんを避ける?そんなまさか」
「ですよね、ですよね!あの優しい降谷くんが避けるだなんて、きっとわたしよっぽどなことをしてしまったんです!かねてからの大親友、諸伏くんなら何か分かると思いまして、ご教授願いたく!」
「だから何で敬語?ゼロが名字さんを避けるわけないよ。勘違いじゃないかな」
「勘違いならどれだけいいか!」
名字さんの方が声大きいよと窘められ、慌てて口元を覆う。同時に冷たい風が吹き抜け、小さなくしゃみがこぼれた。夏とはいえ、外で風にあたるとそれなりに肌寒い。
「風邪引くとよくないからこれ着てて。俺は風呂入ったとこで暑いし」
「ごめん。ありがとう」
「キャンプから帰ってきた辺りから、ゼロは名字さんのこと呼び捨てで呼んでるし、むしろ仲良くなったと思ってたんだけどな」
「うん・・・・・。友達って言ってもらった、はず・・・」
諸伏くんが羽織っていた薄手のパーカーに袖を通し、チャックを一番上まであげてもごもごと口元を埋め、パーカ−の中で呟くように返事をする。
「・・・・・避けられてるって、具体的にはどんな感じなの?」
「具体的っていうか、ひとつなんだけど・・・」
「うん」
「・・・・・降谷くんって呼びかけたときに、返事が遅い・・・」
「・・・・・ん?」
「みんなが降谷くんを呼んだときは普通のテンポで返事するのに、わたしが呼んだときだけワンテンポ遅いの」
「・・・・・それって、いつくらいから?」
「それこそ、キャンプから帰ってきて少ししたくらい?」
「はー・・・・、なるほどね。分かったよ名字さん」
「え!もう分かったの!?」
さすが幼少期からの幼なじみ…!こんな少ない情報で瞬時に答えを導き出すとは!にやりと不適に笑う顔が頼もしい。
「でもこれは名字さんが自分で気づいた方がいいと思うよ」
「っう・・・・・それは分かってるんだけど、自分で考えてみても原因が思いつかなくて」
「本当に?ゼロから何も言われてない?」
「うーん・・・思い当たる節が・・・・・・」
「名字さんって、人のことはまるで心を覗いたように鋭いのに、自分のこととなるとすごく鈍感なんだね」
「ええ〜?」
「まぁはっきり言わないゼロも悪いし、今回は俺が協力してあげる」
「本当!?ありがとう諸伏くん!!」
「面白そうだしね。任せてよ」
そんなこんなで、諸伏くんから与えられた指令はたったの二つ。
一つは、諸伏くんもわたしのことを名字と呼ぶこと。もう一つは、わたしの諸伏くんの呼び方を変えること。具体的に言うと、今のくん付けで呼ぶのをやめて、もっと親しげに呼ぶように厳命された。あの笑顔で言われたら、すべてに頷く以外の選択肢はない。これだけのことで、降谷くんが何に怒っているのかが分かるらしい。すごい。
その後は、今日あった授業の話とか、どこそこ教室のエアコンの効きが悪いだとか、とりとめのない話で延々盛り上がり、また明日と別れたのは結局消灯時間ぎりぎりのことだった。
ここ最近の悩みだった降谷くんのことも案外簡単に解決できそうな兆しが見え、足取り軽く階段を上る。諸伏くんから受けた指令を思い出しながら、まさか諸伏くんを呼び捨てにするわけにもいかないので、ちょっと恥ずかしいけどあだ名のヒロくんで呼ぼうと決めて、着て帰ってきてしまったパーカーをハンガーに通し、久しぶりに安心して眠りについた。
次の日は生憎の実践授業のオンパレードとなり、寮と教室との往復で1日ばたばたと走り回っていたせいで、降谷くんたちを見かけることはあっても話しかける暇はなかった。そんなこんなであっという間に夜を迎え、入浴をすませて部屋に戻る途中、食堂で談笑するいつもの5人を見かけた。これはチャンス!と、昨日借りたままになっていた諸伏くんのパーカーを手に食堂まで駆け戻る。
中に入ってくるわたしにすぐに気がついた萩原くんがにこにこと手を振り、その横で降谷くんも気づいたようで、こちらに顔を向けるのが視界に入った。
「もろ、」
萩原くんに手を振り返しながら、とりあえずパーカーを返そうと諸伏くんに声をかけようとしたところで、例の約束を思い出した。
“ヒロくん”
彼の名前が頭に浮かんだ瞬間、ぽんっと顔が熱くなった。
・・・・・・名前で呼ぶって、想像以上に恥ずかしい行為なのでは。
昨日の夜はヒロくんって呼ぼうなんて軽々しく考えていたけど、いざその人を目の前にすると、この名前で呼んで、わたしに返事をする諸伏くんが全くイメージできない。ぴきりと固まったわたしを見て、萩原くんが首を傾げる。静かに立ち上がった諸伏くんに視線を向けた。助けてほしい。
「どうかした?名字。俺に用事?」
だめだ。やはり諸伏くんは例の約束を決行するつもりらしい。そりゃそうだ、わたしが協力を仰いだんだから、わたしがやっぱり無理かもなんて申し訳が立たない。
「あの・・・、ヒ、・・・っ、」
「ん?」
隣まで来てくれた諸伏くんが優しく微笑む。近くに来てくれたことで幾分勇気が湧いたけど、なんだか諸伏くんの雰囲気もいつもと違う気がして・・・・・。
笑顔は笑顔だけど、いつもの無邪気な笑顔というよりは、どこか柔らかなものを感じるし、隣に並ぶ距離感も少し近い。余計にドギマギしてきて、胸に抱いたパーカーをぎゅっと握りしめた。
「・・・・・・ヒ、ヒロくん」
「え」
この場にいる5人の視線が集まったのを感じた。恥ずかしさにどんどん頬が熱くなり、涙まで浮かんできて、じわりと視界が潤む。でも、やるしかない。
「ヒロくん、あのね、昨日のパーカーを返そうと思って・・・」
「あ、ああ・・・・・うん。名字は風邪引かなかった?」
「大丈夫。ヒロくんこそ、昨日は遅くまでありがとう」
声、震えてないかな。顔が赤いの、お風呂上がりってことで誤魔化せてる?
パーカーを渡してしまえば、胸の前で抱えていたものがなくなって余計に心許なく感じた。
「いいよ。俺に話してもらえて嬉しかったから」
・・・・・・やっぱり、諸伏くんがいつもと違う!
これで降谷くんが何に機嫌を損ねているのか分かるはずらしいけど、諸伏くんとさえまともに視線を合わせられていないのに、向こう側を伺う余裕なんてある訳ない!
パーカー返せたし、もう今日はこんなもんでいいかな?これ以上は恥ずかしすぎて死にそう。許してほしい。今度もう一回相談に乗ってもらいたい。そうしよう。
「ヒ、ヒロくん、わたし今日は戻っていいかな?」
「・・・・・・もう終わり?」
「え・・・!」
「はは!いや、冗談だよ」
「よかった・・・・・それと、あの、」
「どした?」
恥ずかしすぎてずっと諸伏くんの腰辺りに向けていた視線をおそるおそる上にあげて、こちらを優しげに見下ろしていた諸伏くんと目を合わせた。
「・・・また、ヒロくんと夜に二人で会える・・・・・?」
「・・・・・っ」
突然言葉を詰まらせた諸伏くんの顔が赤くなった。
またわたし変なこと言った?それとも、都合悪いかな・・・?
「それは、あー・・・うん、・・・もちろんいいんだけど・・・・・・」
「・・・ヒロくん?」
少し高い位置にある顔を下からのぞき込んで返事を促せば、見上げていた視界をぱしりと覆われた。
「っ・・・・・・・やっぱだめ!おわり、ここまで!」
諸伏くんの手だ。高い体温がじわじわと伝わる。それなりの力で上から顔を押されているので、少し喉元が上を向いて苦しいが、おわりおわりと唱える諸伏くんにこてりと首を傾げた。
「諸伏くん?」
「・・・・・・名字さんのこと、舐めてたわ」
諸伏くんの節くれ立った指の隙間から、もう一方の手で口元を押さえてそっぽを向く諸伏くんが覗き見える。その後ろで、あのーと萩原くんが手を挙げた。
「どっちでもいいけど、事情説明してくんない?」