ザーザーと降り続く雨が、昼間の太陽の熱を蓄えたアスファルトに打ち付けられ、辺りには雨の日特有の匂いが立ちこめていた。
地面に染みこみきらず表面に溜まった透明な雨水に混じって、“そこ”から赤がじわりじわりと浸食を始める。無秩序に行き交っていた足音がぴたりと止み、異様な静寂が訪れた一瞬の後、堰を切ったようにあちこちから悲鳴が上がった。
どこかから、わたしの名前を呼ぶ声がした。
あれから降谷くんとのわだかまりはすっかりなくなり、むしろお互いの思いを理解し合った分、前よりも言葉をつくる必要がなくなって親しくなれたような気がしている。他のみんなもなんとなく事情を察しているのか、もしくは諸伏くんか降谷くんが説明したのか、あの日のことは何もなかったかのように、また毎日冗談をいいつつ、真剣に授業やレポート課題の意見交換をしつつ変わらぬ日々を送っている。
たまに萩原くんが、わざとらしく“ヒロくん”と呼んでみせてはにやにやするので、今度いきなり研二って呼んで驚かせてやろうとは思っている。
とにもかくにも、いろいろと相談に乗ってくれて、なおかつわたしと降谷くんにとって1番いい形に収まるように考え手を尽くしてくれた諸伏くんには本当に感謝してもしきれない。大げさだなあと笑ってくれるが、言葉だけでは伝えきれないこの気持ちをお礼の品としても返したいと思い、土曜日に街に出てきたのだが・・・・・。
「あっついなー・・・」
休暇とはいえ、外出時はスーツと決められている警察学校の見習いの身。濃紺のスーツにじりじりと日差しが照りつけ、確実に熱を吸収し続けている。
「買いたいものは全部買えたし、次は・・・」
諸伏くんにと思い、普段トレーニングの時に着ることができる簡単なウェアとスポーツタオルを購入したのだが、いろいろ見ている内に楽しくなってきて、結局普段からお世話になっているお礼として他の4人にも細々と買いそろえてしまった。重い品ではないので持っていても大したことはないのだが、それなりに嵩張ってしまった荷物をひとまず駅前のコインロッカーに預け、腕時計を確認する。時刻は午後2時。
逡巡したのは一瞬のことで、今日のもうひとつの目的地として頭の片隅に入れていた場所へと足を踏み出した。
そこは、土曜日ということもあって小さな子供連れの家族で賑わっていた。
楽しそうにはしゃぐ子供の声や、走って転ぶなよと優しく注意するお父さんやお母さんの声で満ちており、とても平和で、心温まる休日の空気が流れている。
はやくはやくと小さな女の子がお父さんの手を引っ張って駆けていく。その先を追いかけるように視線を移し、ゆっくりと回る大きな観覧車を見上げた。
“杯戸ショッピングモール大観覧車”
松田陣平が、26歳という若さにして殉職した場所。今から、たった4年先のことだ。
順番待ちの列に並びながら、当時の松田くんを思い浮かべる。
萩原くんが死んでから、ずっとその仇を討つために、切なく暗い気持ちを抱え込んで一人で犯人を追いかけ続けた日々。犯人からのFAXを受けて迷いなく乗り込んだゴンドラ。それは松田くんを死へと導く悪魔の方舟で、たくさんの市民を救うために下された警察官としての判断。・・・・・怖くは、なかったのだろうか。
近づいてきた観覧車を見上げ、降りてくるゴンドラの数字を確認する。46や47の数字が見え、このままではどうやら50番台のゴンドラが回ってくるようで、列を抜け出し最後尾へと並び直す。その後も、後ろに並んでいた幾人かのお客さんたちに先に乗ってもらい、目的の数字が来るのを静かに待った。
夏の熱気で暖められたゴンドラの中は、少しむっとした空気が淀んでいる。72と印字された扉を閉めれば、先ほどまでの休日の喧噪とは隔絶され、世界には自分しかいないかのような錯覚を覚えた。
こんな一人きりの狭い空間で犯人からのメッセージを目にして、大衆のために自分が死ぬと判断を下した彼には、何が見えていたのだろう。死までの数分間、何を思っていたのだろう。
少しずつ、少しずつ小さくなっていく景色から視線を外し、じっと目の前のシートを見つめる。そこに、松田くんの背中が見えるようだった。
「うわー、雨かぁ・・・・・・」
観覧車を降りれば、ぽつぽつとではあるが雨が降り始めていた。どうりで空気が湿っぽいと思った。
雨は得意ではない。
雨に濡れるのは特に勘弁願いたいと、お土産物売り場で1番シンプルな柄のものを選んで傘を購入する。まだ門限までに時間の余裕はあるが、雨の中にいてもいいことはないので早めに切り上げて帰ろうと決め、コインロッカーに預けた荷物を回収するために少し早歩きで駅へと向かった。
次第に雨脚が強くなってきて、辺りを行き交う人々の歩調も忙しなくなっている。何度か傘同士がぶつかり、お互いに会釈を返しながら足早に目的地へと向かう。靴に撥水スプレーしとけば良かった、なんて自分の足下を見下ろしていたときだった。
危ない!!
少し先で、空気を切り裂くような怒号が聞こえた。
「え?」
傘を上げた瞬間、目の前を黒い何かが落下した。
なんとも言えない、かたいものがぶつかる音が響いた。
ザーザーと降り続く雨が、昼間の太陽の熱を蓄えたアスファルトに打ち付けられ、辺りには雨の日特有の匂いが立ちこめていた。
地面に染みこみきらず表面に溜まった透明な雨水に混じって、“そこ”から赤がじわりじわりと浸食を始める。無秩序に行き交っていた足音がぴたりと止み、異様な静寂が訪れた一瞬の後、堰を切ったようにあちこちから上がる悲鳴。悲鳴。赤。悲鳴。
頭上から雨が降り注ぎ、首や胸の間を伝って流れ落ちる水滴があっという間に体温を奪う。雑踏に紛れていた雨音が存在感を増して、次第にすべての音が遠ざかっていく。
フェンスの外側に立っていたあの日の少女がうっそりと微笑んだ。
「・・・・・とめ、ぎ・・・・・・・・・さん・・・」
どこかから、わたしの名前を呼ぶ声がした。