「名字さん、顔洗っておいでよ。その間にドリンク頼んでおいてあげるから」

「ぐすっ・・・うん・・・」


ようやく涙も収まり、萩原くんと松田くんが煙草を吸いに出たタイミングで諸伏くんがわたしにも顔を洗ってくるように提案してくれた。


「ありがとう。じゃあパリジャンでお願いします〜」

「まだお酒飲むの?」

「今日はつぶれたら伊達くんが担いでくれるって」

「おう!任せとけ!」

「任せた〜。じゃあちょっと顔洗いに行ってきまぁ、っとと・・・」

伊達くんにひらひらと手を振りながら立ち上がると、足下がふらりと揺れて、一二歩たたらを踏んでバランスを取り直した。


「大丈夫?一緒に行こうか?」

「いいいい。一人で行けるよ。いってきま〜す」




個室を出て、トイレへの道順を頭の中で思い出しつつお店のロビーの方へと向かう。確か、入店案内をしてくれた店員さんがトイレは入り口すぐ右の通路と言っていたはず。
それらしき通路を見つけて覗けば、奥にWCのマークが見えた。はい正解〜。


通路を曲がろうとしたとき、どこかから名前を呼ばれたような気がして、ぐるりと辺りを見回した。が、特に人影はない。ん?と首を傾げればまた小さく声が聞こえる。もう一度しっかり見直すと、ぶんぶんと動く影が視界に入り、少し先の喫煙ルームからガラス越しに萩原くんが手を振っていた。
名字ちゃーんと少しくぐもった声が僅かに聞こえる。にこにこと手を振ってくれる萩原くんにこちらも笑顔で振り返すと、隣で煙を吐き出した松田くんも煙草を指に挟んで軽く手を上げた。相変わらず愛想の少ない男だ。でもそこもかっこいい。・・・・・・・・・・・あれ、思考回路が緩くなってる?

手を振りつつ通路へと足を進めようとしていると、萩原くんが前、前、と指をぶんぶんさしている。何してるのかな?と首を傾げた瞬間、顔が何かにぶつかった。


「っわ」

「・・・っと、大丈夫?」

「あ、すみません!よそ見してました」



ぶつかって傾いた体を支えてくれたらしい。サラリーマン風のスーツの男性に腕を掴まれていた。慌てて頭を下げれば、気をつけてねと笑った男性は腕を放し、わたしが落としたポーチまで拾ってくれて、そのまま去って行ってしまった。

喫煙ルームの2人が、やれやれといった表情で再び煙草をくわえ直した。


「あぶないあぶない」

てへへと頭の後ろをかいて、今度こそちゃんと前を向いた。






顔を洗って、ついでにトイレも行って、軽く化粧を直す。意外と崩れていなかったアイメイクを念のため修正し、ファンデーションのよれがないことを確認して、ふんふんと鼻歌を鳴らしながらリップを塗り直す。
萩原くんの救済が完了するまで、松田くんとどうこうするつもりはない。ないけど、でも一緒に出かける機会があるというなら少しでも可愛く見てもらいたいと思うのが女心ってものだ。最近買ったばかりのリップがピンクコーラルにぷっくりと唇を彩って、気分も上がる。


もうパリジャン来てるかな〜?トイレからスキップ気味に足を踏み出して、また誰かの胸に飛び込んだ。


「っぶ」



「注意力散漫。学習能力低い。足もふらついてんぞ」

「・・・・・松田くんだ」

「松田くんだ、じゃねぇよ。暢気なもんだな」


両手をポケットに突っ込んで仁王立ちする松田くんの胸元に思い切り正面からぶつかったみたいで、ほんのり煙草の匂いが鼻を掠め、真上からクールな視線で見下ろされた。

萩原くんの姿はない。もしかして、待っててくれたのかな?わたしのちょろい心臓は、こんなことで簡単に音を立てる。
ありがとう、と言おうと上を向いたおでこをピンっと指ではじかれた。


「いたっ」

「たちの悪い酔っ払いもいるんだから、気をつけて歩け」

「大丈夫だよ〜」

「腕掴まれてただろ」

「支えてくれただけだよ。さっきの人優しかったもん」

「男は見た目じゃ何考えてるかなんて分からねえ生き物なんだよ」

「えー?」

「えーじゃない」


待っててくれたことが嬉しかったのに、何を言ってもお父さんみたいな説教ばっかり返してくる松田くんに、いつもドキドキさせられてる仕返しをしてやろうとふと思いついて、顔に出ないよう、内心でにやりと口角を上げた。




「・・・松田くんも?」

「は?」


「松田くんも、本当はやらしいこと考えてる?」





びっくりするか、焦るか、誤魔化すか。どれでもいいけど、いつも余裕そうな松田くんの表情が崩れるところが見れる。と、思って言ったのに。



「・・・・・・なに、気になるの?」

「え」

「俺が考えてること、知りたい?」


ぐっと腰を引きつけられる。


「い、いや」

「いいぜ。教えてやっても」


お腹がぴったりくっついて、お酒のせいで上がった互いの体温が熱い。もう片方の手で、さっきぶつかった男の人に支えられた腕の部分を掴まれる。逃れようと腕を引いてみたけど、びくともしない。罰ゲームで女子寮に来ていた松田くんに、廊下で完全に壁に押さえつけられたときのことを思い出した。

「っけ、けっこうです!」

「遠慮すんなよ」


近づいた顔が耳元に寄せられようとしているのを感じて、背中がふるりと震えた。無理!これ以上はもういろいろ限界・・・!


「っうそうそほんと遠慮とかない!ごめん冗談だから・・・!」

「・・・・・・・ったく」


力一杯胸を押し返すと、腰に回された腕が離され、左手も解放された。



「び、びっくりした・・・」


慌てて松田くんとの距離をとって、どくどくと血液を送り出す心臓を落ち着かせる。まさかそんな返しがあるとは思いもしなかったから、からかうつもりが、逆にひどい目に遭った・・・。お酒で頭が緩くなってるときに思いつきで行動するものじゃない。
胸を押さえるわたしに呆れ顔をした松田くんがまた説教を始める。


「男と女じゃ力の差があるんだから、これに懲りたら油断しないことだな」

「はい・・・」

「ちょっと迫られたぐらいでびびるんだったら、男に言う言葉はもっと考えた方がいいぞ」

「・・・だって松田くんだし・・・」


「・・・俺も男だけど?」

「そうだけど、松田くんは友達っていうか・・・・・」



相手の気持ちを無視して嫌なことする人じゃないって分かってるし・・・。つい安心して何でも冗談気分で言ってしまうところがある。今回だって、俺も男だぞって言いながら、結局はわたしに危険性を忠告してくれただけだろうし。

もごもごと零した言葉に松田くんからの返事はなく、もう戻ろうと声をかけて歩き出したわたしを、背後の声が呼び止めた。




「・・・・・お前、萩原に気があんの?」



「・・・・・・・え!?」




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