「おねーちゃんまた遊んでねー!」

「いつでもおいで。でも、次はちゃんとお母さんに言ってからね」

「本当にありがとうございます・・・!ゆきが大変お世話になりました」

「いえいえ、無事見つかって良かったです。じゃあね、ゆきちゃん」

「ばいばい!」


小さな手を高く振りかざして、満面の笑顔で手を振ってくれるゆきちゃんにこちらも手を振り返し、その手を引いて何度も頭を下げるお母さんに小さく会釈した。



「ゆきちゃん、お母さんと会えて良かったねぇ」

「ゲンさん!」

「名前ちゃんもお疲れさま。温かいお茶入れたから、一休みにしようか」

「わーい!ゲンさんのお茶おいしくて大好きですー!」

「そうかいそうかい。じゃあ手を洗っておいで」

「はーい!」


にっこり笑うと優しく目尻に皺の寄るゲンさんは、警察官になってからこの方、ひたすら交番勤務一本で頑張ってきた人だ。町の人と1番近くで関われる交番勤務が好きで、これまで何度も昇進の話が出たが断り続けてきたらしい。自分から多くを語る人ではないので、ほとんどは他の先輩や噂好きの近所のおばさま方から聞いた話だ。いつもほとんど閉じられているような薄い目が、いざというときには開眼するという話だが、それは眉唾物かもしれない。

時たまスーツを着たお偉いさんがゲンさんを尋ねて交番まで来ることがある。どうやら警視庁や警察庁の各所に、かつてゲンさんのもとで学んで出世街道を駆け上がっていった警察官が散らばっているみたいで、上等な菓子折を携えて多少の世間話をしていかれるのだ。
その方々曰く、ゲンさんの直下に配属されたということは君も出世コース間違いなしだ、とのことだが、どちらかというと現場主義のわたしは出世したいわけではないので何ともピンとこない。だけどせっかくのコネを生かさないこともないので、刑事部の特殊犯係にいきたいのだということはそれとなくアピールさせてもらっている。



「ふあぁ〜、やっぱりゲンさんのお茶は染み渡る〜」

「ふふふ。名前ちゃんは反応が素直でいいねぇ」

「すみません、いつもゲンさんにお茶入れてもらってて・・・。本来ならわたしが入れるところですよね」

「構わないよ。こんなにおいしそうに飲んでもらったらむしろ腕が鳴るさ」

「ゲンさん大好き〜!」

「そうかいそうかい」

いつもにこにこしていて、穏やかで、優しくて、色んなことを丁寧に教えてくれる、最高に素敵な職場の上司だ!ゲンさん好きすぎる・・・!



「ほんと名字はゲンさん好きだなあ。もうそれ何回言ってんだよ」


「鳴海さん!おかえりなさい!早かったですね」

「おかえり鳴海くん。通報の件はどうだったかな?」

「ただいま戻りました。ただの夫婦の痴話喧嘩って感じでしたね。着いた頃にはもう落ち着いていて、ご迷惑おかけしましたってぺこぺこ頭下げられましたよ。今後はヒートアップする前にきちんと話し合うようにと厳重注意だけしておきました」

「そうでしたか。ご苦労さまでした」

「いえ。ありがとうございます」


ゲンさんに小さく一礼をして自分のデスクに戻り、制帽を脱いで腕まくりを始めた鳴海さんをうずうずした気持ちで見つめていると、ゲンさんがぽんとわたしの肩をたたいた。その目はいつも通り弓なりににっこりと細められているけれど、行っておいでと優しく語りかけてくる。こういう、部下のことをよく見てくれていて、静かに背中を押してくれるところもゲンさん大好きだ!



ファイルから書類を取り出している鳴海さんの横に駆け寄ると、ん?と大きな黒目に見あげられた。

「鳴海さんは今から報告書ですか?」

「ああ。何だ?別に名字は茶飲んでたらいいぞ」

「それ、わたしにやらせてください!というか書き方を教えてください!」

「それはいいけど・・・、お前って勉強熱心だよなぁ」

「名前ちゃんは早く一人前になりたいんだよね」

「はい!」

「特殊犯係だっけ?最初からそんなとこ希望するなんて名字も変わってるよな」


鳴海さんが少し横にイスをずらして、わたしのデスクからガシャガシャともう一つキャスターチェアを引き寄せた。
書類を何枚か並べて、見本にと過去の報告書も出してくれる。ここはこうでああで、実際はこう書いた方が後々役に立つだとか、ひとつひとつ丁寧に順を追って説明してくれる声を聞きながら、できるだけ1回で覚えられるようにと真剣に文字を載せていく。


鳴海さんは3つ上の先輩で、希望は交通機動隊だと配属されたばかりのころに教えてもらった。小さい頃から白バイ警官に憧れているみたいで、出勤の際にも大きな単車に乗ってきているのをよく見かける。
自分で書いた方が何倍も早く仕上がるだろう報告書を、わたしがゆっくりと書き上げていくのを隣でじっと見ていてくれる。今も昔も、兄なんていたことなかったけど、もしいたらこんな感じかな、なんて。みんなが家族みたいに温かいこの交番は、本当に素敵な職場だと思う。




「・・・・・名字はさ」

「はい?」


書類と睨めっこしていた顔を上げると、頬杖をついてこちらを見ていた鳴海さんと目が合う。


「なんつーか・・・・・、人助けが似合うやつだと思うよ」

「人助け、ですか?」

「よく近所の中学生の話を聞いてやってるだろ。妊婦の方とか、お年寄り見つけたらすぐ手貸しに行くし」

「はい」

「今日も迷子の女の子の面倒見てたけど・・・・・なんか、そういうのが似合うんじゃないか?」

「そういうの、ですか」

「・・・あー・・・・・」


言葉を選ぶように話す鳴海さんに、いまいちピンとしない返事しか返せないわたしを見て、鳴海さんは困ったように唸って首後ろで跳ねる黒髪を掻き上げた。



「つまり鳴海くんは名前ちゃんが心配って言いたいんじゃないかな?」

にこにこと微笑むゲンさんがほっと湯飲みから口を離した。


「っいや、・・・・まぁ、それもないことはない、と言いますか・・・」

「はい・・・?」

「・・・・・だから、お前みたいなやつがハイジャックとか爆弾とかが関わるようなそんな緊迫した現場にわざわざ突っ込んでいかなくてもって思ったんだよ」

「ふふふ」

「・・・お前は困ってる人とか、悩んでる人を助けるのが似合ってるよ」

「・・・・・」

「生活安全部とかでもいいんじゃないか?」

鳴海さんが真面目な顔でわたしの目を見る。
・・・・なんだか、前にも似たような話をした気がするなあ。



「わたし、そんなに合わなさそうですか」

「違う。そういうことが言いたいんじゃない。何になりたいかなんて、人それぞれ希望も理由も違うだろ。お前は本当によく頑張るやつだし、どこにいっても一生懸命真剣に取り組むんだと思う」

「・・・・・・・なら・・・」


「でも、名字を見てると・・・・・」



一度言葉を止めて軽く合わさった鳴海さんの唇が、数瞬の間の後、次の言葉を紡ぐために再び形取られる。自分の脈の音や、浅い呼吸音まで聞こえてくるようで、その一瞬がまるでスローモーションのように感じられた。





「生き急いでる感じがするんだよ」



言い当てられた、と思った。







「・・・なに言ってるんですか鳴海さん!わたし、警察学校出たての新人ほやほやなので、やる気に満ちあふれてるだけですよ!」

「・・・・分かってるよ。別に俺も本気でそんなこと思ってる訳じゃないけど、お前たまに猪突猛進なとこあるからなぁ。ちょっと心配してやっただけだ」

「猪突猛進、ですか」

「自覚あるだろ」

「えー・・・っと?」

「この間巡回中にいきなりパトカー飛び出していったやつは誰だ?」

「あれは女子高生が泥酔男性に絡まれているのが見えたので・・・」

「俺に一言言えばいいだろ。そういうとこだよ」

「はい。すみませんデシタ・・・」


せ、説教タイムですか・・・?
ちらりとゲンさんを見ても、にこにこ笑っているだけだ。ゲンさんはこの交番で1番経歴が長くて直属の上司にあたる人だけど、わたしに注意をしたり叱ったりすることはほとんどない。そういうのは暗黙の了解で鳴海さんの役目ということになっている。多分、鳴海さんの何だかんだ面倒見の良い性格がこういう図を生んでいる最大の要因だとわたしは思っている。


「聞いてるのか?名字」

「はい、その節はご迷惑をおかけしました!」

「ったく・・・・・まぁ、その件はともかく・・・、さっきのは、名字が特殊犯係に向いてないって言いたかったんじゃないからな」

「はい」

「生安っていうのは俺の一個人としての意見だ。気にしなくていい」

「いえ、いつも指導してくださっている鳴海さんからいただいた意見はとてもありがたいです。今は目標があるので希望は変わりませんが、それが達成できたら、生活安全部にもいってみたいと思っています」

「そうか。・・・・・悪かったな、勝手にいろいろ言って」


ばつが悪そうに、さっきまでの真剣な表情を少し緩ませて、安物のデスクチェアをぎしりとしならせた鳴海さんの顔をのぞき込んで、首を振る。



「いいえ、すごく嬉しかったです。わたしのために真剣に言葉を伝えてくれて、いつもわたしのことを思ってくれて、本当に感謝しています。わたしも将来は鳴海さんみたいな優しくてかっこいい警察官になりたいです!」


「っ・・・だ〜か〜らぁ!お前は!そういうことさらっと言うのやめろって言ってるだろ!」

「警察学校時代は素直でいいって褒められました!」

「誰にもかれにも言うのはやめろ!変なヤツに勘違いされても知らねぇぞ」

「素直なのは名前ちゃんの良いところだよねぇ」

「ほら!」

「ゲンさん!名字を甘やかすのはやめてください!」

「名前ちゃんが来てからここがさらに明るくなって、私は嬉しいけどねぇ」

「ほら!」

「ほらじゃない!ゲンさんを味方につけるのはやめろ!」


鳴海さんの怒る声と、ふふふとゲンさんのいつもの笑い声。遊びに来たよ〜と部活帰りの中学生が顔を出して、今日も元気ねとネギがのぞく買い物袋を持った奥さんが笑う。ここには笑顔と日常と安心が満ちあふれている。





デスクの上では、充電器につながった携帯がメールの着信を知らせていた。


件名:今日もばっちし解体!
本文:名字ちゃん今日の夜あいてる?
   おいしいご飯屋さんあるから、
   ご飯食べがてら報告会でもどう?



運命の歯車は着実に噛み合っていく。




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