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珍しく早く寝たからかわからないけど、夜中の2時に目が覚めてしまった。ぼんやりとした暗がりに浮かぶのは飛鳥の背中で、僅かに見える項には鬱血痕が見えて思わず指でなぞる。ああ、これこの間の。まだこんなにはっきりと残ってたんだ。
自分が思ってる以上に目の前の女の子に入れ込んでいるんだなと思う。好きでたまらなくて、付き合えたことすら今でも嘘なんじゃないかと思ってしまうこともある。それほど彼女は魅力的で、不思議な人だ。
自分なんかが、なんて言ったらきっと飛鳥に怒られるんだろうけど。
そもそも告白する気なんてなかった。たまに現場が一緒になって、事務所で挨拶する程度で、遠くから見てるだけでいいと思っていた。その距離感に満足していた。
周りにだって相談できるわけない。大っぴらに言いふらすほど子供でもないし、片想いしていた時期はそっとしておいてほしいという思いの方が強かった。
飛鳥は中学生の頃からこの業界にいて、知り合いも多かった。彼女を慕う後輩も可愛がる先輩も多く、本人が思う以上に周りは飛鳥が好きだ。本当は人見知りな飛鳥に言っても照れてしまうだけなんだろうけどね。
だからこそ、だからこそだ。
きっと、もっとすごい人の方が彼女に相応しい。なんて、振り返れば馬鹿な考えだと思う。
「ご飯、ですか」
その日は雨だったと思う。アニメの収録が終わって、帰ろうとしていたときだった。
傘を持ってきてないことに気付いて、空を見上げてため息が出た。通り雨でもないし、小雨でもない。思い切ってコンビニまで走るか待つか。でも台本が濡れたりしたら嫌だな、なんて思いつつ休憩所に行くと、誰もいない中、飛鳥がひとり文庫本を片手に座っていた。
実質2人きりになってしまって、なんだかこのまま入ったばかりで出るのも不自然な気がして、次のアクションを考えていると、ぱちりと視線が噛み合ってしまった。
「あれ、帰ったんじゃなかったんですか?」
「……あ、あー、雨が降ってて。傘忘れちゃって」
我ながらすごくかっこ悪いのがわかった。なんか吃ってるし、なんだよこれ。酷すぎるな。
飛鳥はカバーの掛かった本に栞を挟みながら、「予報では雨じゃなかったですもんね」と淡々と口にした。
「茜さんは?もうみんな帰ったのに、どうして?」
「ああ、本の続きが気になっちゃって。キリのいいところまで読んじゃおうかと」
悪い癖です、と少しだけ微笑んだ姿にどきりとして、一気に手汗を感じた。いけない、これじゃあ中学生みたいなものじゃないか。平常心、できるだけ平常心を。
「あの、傘必要なら私の折りたたみ傘使いますか?」
「え、でもそれじゃあ茜さんが困りますよね…?」
「私は本でも読んで雨が止むのを待ちますよ。だから、はい。よろしかったらどうぞ」
と、言ってももう外はだいぶ暗い。こんな中待たせて帰りが遅くなってしまったらそれはかなり心配だ。駄目に決まってる。
「マネージャーに迎えに来てもらえば大丈夫ですよ」
「……っあの!」
「え?」
そのとき俺は何を思ったのか、気がつくと前のめりで真剣だった。
あとから聞いたことだけど、あのとき鬼気迫ってたよと飛鳥は言う。
「よかったら、ご飯、行きませんか」
「ご飯、ですか」
「えと、はい。すぐ近くの定食屋ならコンビニ行くより近いし、ご飯食べつつ雨止むの待てます」
「え、でも…斉藤さんは、いいんですか?」
「茜さんさえ、よければ」
たまに現場で一緒になって、事務所で挨拶する程度でよかったのに。よかったはず、なのに。
自分の口から出た言葉に自分がいちばん驚いた。なんだよ、ちっともいいと思ってないじゃん。
本当は誰よりも近くで、傍にいて、茜飛鳥という存在の本質を見抜きたいのかもしれない。そんな浅ましさに嘲笑する。醜い姿は、できれば見せたくはないから。
「…じゃあ、行きましょうか」
「っよかった。断られるかと思ってた」
「私もお腹すきましたし、一石二鳥です」
これがきっかけで話すようになったんだ。話せば話すほど、彼女に嵌っていくのがわかるし、なにより本の趣味も合った。それから身長が小さいのを気にしてるのも。俺も大きいほうじゃないし、同意する。いや、でも、飛鳥のサイズ感は好きだけどね。
今はこうやって、目の前で無防備な姿を晒してくれるくらいまでになったんだ。この、たくさんのものを背負ってるであろう背中が愛おしくてたまらない。
んん、という小さく呻く声と共に、飛鳥が此方を向いた。とろりとした目が開くと「そうまくん…?」と掠れ気味の声が僅かに部屋に響いた。その声が可愛らしくて、つい笑ってしまう。寝起きのこの声が、実は好きだったりする。
「ごめんね。起こしちゃった?」
「んー……うん。おきてたの…?」
「起きちゃった。でももう寝るよ」
無言で擦り寄ってきた飛鳥の背中に腕を回してぽんぽんとゆっくり撫でる。すぐに眠りに落ちたみたいで、寝息が聞こえてきた。
願わくば、このままの生活が続けばいい。穏やかで健やかで、誰にも干渉されないこの空間が大切で、守っていきたい。永遠なんてないけれど、それでも望んでしまうのが人間の性なんだと思うのである。