そして透明な春が来る
のそりと隣で消太が起きる気配に目覚めた。
薄目を開けた先にいる消太はぼーっと空を眺めているようで、その先にある時計を見ると時刻は朝五時。
いつもより早いな、なんて思って「早いね」と声をかけると「悪い、起こしたか」と無愛想な消太は伸び切った髪を撫で頭を掻いた。
「昨日の仕事がまだ残っててな。今日は少し早く出る」
「…そうなんだ。じゃあ朝ご飯用意するね」
「頼む」
昨日遅くに帰ってきて、船を漕ぐ私を気遣い入れなかったお風呂に向かった消太を見送り、私も顔を洗ってキッチンへと入った。彼は意外と綺麗好きではあるのだ。ちょっぴりだらしはないけれども。
学校にいる間は、非合理だとか言ってお昼はゼリー飲料で済ませるから、朝と夜くらいは食べろと以前言ったら渋々頷いた消太に笑ったっけ。
いつのことだったかな、消太と暮らすようになったのは。付き合ってからはもうすぐ三年。消太が教師になる前からの付き合いだ。きっとそのくらいだろう。
末端のヒーローである私と、あの名門雄英高校の教師を務めるほどの実力を持つ消太。信頼は誰よりもしているとはいえ、もちろん不安がないわけじゃない。教師をしている間も油断はできない。ヴィランというのはそれほどまでに凶悪かつ劣悪な存在なのだ。それは私も身に染みてわかっている。
消太は強い。それも重々理解している。
けれど、それでも思ってしまうのだ。消太が怪我をしたらどうしよう。消太に何かあったらどうしよう、と。考えても仕方ないことなのに、それさえもわかった上で思ってしまう。これもある種の職業病だ。
軽妙に食材を刻んでいた包丁のリズムが止まった。
考えたらそればっかりになってしまっていけない。なにかあったらどうしよう、でも消太なら大丈夫、信じるって決めたでしょ。この堂々巡り。朝から、しかもこんな日に何をしてるんだと自分自身に呆れの息を吐いた。
そう、今日は私の誕生日。
二十数回目のこの日は、年を追うごとに嬉しくない日になりつつあるけれど、消太に祝ってもらった日だけは、とても有意義で、そして幸せだった。
しかし、彼も私もヒーロー。
特定の日に休みが取れるなんて奇跡に近い確率だし、まして消太は今春から教師になった。ヒーローの傍ら教師という甚だハードな二足の草鞋。ようやく慣れては来たようだけど、フルタイムで働いた上で行うヒーロー活動はやはりきついようで、最初の頃はリビングで倒れるように眠っていた。その疲れもまだきっと癒えていないだろうから、今年は仕方ない。期待はしない方がいいだろう。
「風呂上がったぞ」
「! あっわかった、ごめんもうちょっとでできる!」
「ん、先に着替えてくる」
「はーい!」
寝室に着替えに入った消太を見て慌てて料理を完成させた。
* * *
「じゃ、行ってくる」
「ん、気をつけてね」
いつものだるっとしたヒーロースーツに身を包み腰を下ろして靴を履く消太を見送る。私は今日昼からなので、掃除洗濯をしたら二度寝でもしようかな。口に手を当てあくびを噛み殺した時。
「あかね」
「ん?……うおっ」
「これ、やる」
「!」
背中を向けたまま立ち上がった消太から投げ渡された小箱を慌てて受け取り、掌から消太へと視線を移した。
「今日誕生日だろ。もらっとけ」
「…っ!」
「返事は夜ってことで」
「行ってくる」
そう言って出て行った消太に言葉が出ないまま、ばたんと扉の閉まる音で再び掌に視線を落とす。どんどんと噛み砕いていくと、目の前の現実にはらりと涙が頬を伝った。
「…直接、言ってよ」
"誕生日おめでとう。家族になってください。"
小箱の上に添えられたたった一行のその言葉が、私の胸にすっと染み込んだ。
そして透明な春が来る
fin.