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翌日の昼、俺は喫煙所に来ていた。それは目当てである1人目に用事があったからだ。

「ハナレじゃん。珍しいな、ここに来るなんて」

煙草の煙を吐き出しながらイヌイが珍しそうに俺を見る。そりゃそうだ。俺はここには来ないからな。
イヌイの他に誰もいないことを確かめると何かを察したのかイヌイは煙草の火を消して俺を見た。

「俺に何か用か」
「ああ。察しが良くて助かる」
「で、何?」

イヌイは知らないだろう。昨日コトカが泣いたことも、昨日お前が何気なく言った言葉でコトカがどれだけ傷ついたのかも、俺の腸が煮えくり返っているのも。
だからそんなに飄々としていられる。仕事の手腕は認めよう。だがな、お前の言葉や行動で傷つく奴がいるってことをもっとちゃんと、知っておくべきだ。

「コトカは知ってるな?」
「ああ、お前が言ってた奴だろ。昨日会った」
「そこでお前、コトカに何言ったか覚えてるか?」
「ヒノトに手、出されたのかとか言ったな」

いざ、本人からその言葉を聞くと今すぐにでもその胸ぐらを掴んで壁に叩きつけてしまいたくなる。
コトカは、この言葉を不意に聞いて、どれだけ腹が立って、どれだけ悲しかっただろう。

「おいおい、いつになく怖い顔すんなよハナレ」
「手を出さないだけ有り難いと思え」
「は?」

イヌイの眉がぴくりと上がったがそんなのは想定内だ。

「もしコトカがお前の所に異動していてヒノトにその言葉を言われたらどう思う?何よりお前がコトカの立場だったらどう思う?」
「そりゃ腹が立つんじゃね」
「言葉が軽いな」
「…今日はやけにつっかかってくるじゃん。何、お前あいつのこと好きなわけ?」
「ああ、好きだよ。異動したって大切な部下に違いない」

イヌイは面白くなさそうに顔を歪める。からかったつもりが、いなされて余程お気に召さなかったようだ。

「コトカはな、誰よりも努力する奴だ。異動したてで早く慣れようと、馴染もうと頑張っているコトカを、それを興味本位に傷つけたお前が許せない。コトカに謝れと言っているんじゃない。その軽はずみな発言でコトカがどれだけ傷ついたのかその頭にきつく叩き込め。そしてお前とヒノトの喧嘩にコトカを巻き込むな」

イヌイを睨みつけながらそう言い放つと俺は喫煙所を後にしようとした。イヌイがこれでどこまで反省するかは分からないが少なくとも釘は刺せただろう。

「…過保護なことだな」
「過保護にもなるさ。あいつは不器用だからな」
「そうか」
「ああ。それからこのことは他言無用だ」
「分かってる」

喫煙所から出る際、イヌイが煙草を吸った後に使用するウッディ系の香水がやけに鼻について思わず顔を顰めた。















定時から1時間程が経った頃、まだ明かりのついている未事業部に足を運んだ。いるのはどうやらヒノトだけらしい。

「珍しくこんな時間まで残ってるな、ヒノト」
「あれ、ハナレ」

缶コーヒーを室長室のデスクに置く。他に誰もいないのは好都合だ。2人目の目当ての人物であり、諸悪の根源と言っても過言ではないヒノト。
ヒノトは「ありがと」と言って俺が置いた缶コーヒーに手を伸ばした。

「あつっ!ねえ、ハナレこれ嫌がらせ?」
「ああ、そうだ」
「え?」

些細な嫌がらせだがな。冷めたら冷めたで飲めるだろ。

「ハナレがこういうことするの珍しいね。何かあった?」
「思い当たる節はないのか?」
「…もしかしてコトカちゃんのこと?」
「ああ」

どうやら自覚はあるらしい。それにイヌイと違ってヒノトはコトカの仕事振りを間近で見ているから今はもう異動初日の時のようなことはしていないだろう。女扱いはやめられそうにないがそれは仕方ない。ヒノトの長年の癖みたいなものだ。

「今日、コトカちゃんが休んだのってもしかしてハナレが?」
「ああ、それも当たりだ」

ヒノトも相変わらず察しがいいな。その癖、肝心な所で察しが悪くなるから質が悪い。

「昨日、お前がコトカを定時で上がらせてくれたろ」
「うん」
「俺も定時で上がって、下でコトカに会ったんだ」
「そう」

ヒノトは缶コーヒーを冷まそうとプルタブを開けた。その顔には少し寂しさのような、切なさのような、何とも言えない愁いを帯びていた。

「久しぶりだったから、一緒に飯食べに行ったんだ」

ヒノトは俺の言葉に静かに耳を傾けつつ遊ぶように缶コーヒーの縁を指でなぞっている。
それはやるせない気持ちを誤魔化しているようにも見える。

「そこで何があったかは伏せるが、コトカは未だに初日のことを気にしてる」
「えっ…」
「女だから、呼ばれたんじゃないかって、な」

ヒノトは長い襟足に指を絡め始めたかと思ったら、いつの間にか後頭部の髪をぐしゃりと握っていた。

「あの日のことは反省、してるよ…」
「ああ、お前を見れば分かる。だが女だからって誰しもが男に慣れているわけでも、女扱いが好きなわけでもない。それはコトカと接して分かったんじゃないのか」
「うん。コトカちゃん自身にもそういうのしなくていいって言われた」
「だろうな。だがお前の性格上、それをやめることは出来ない」
「そうだよ。それもコトカちゃんに言った」

ヒノトはついにデスクに頭を預けた。声も小さく弱々しい。こんなヒノトは初めて見るかもしれない。

「なあ、ヒノト」
「何?」
「今日、コトカが休んで大変だっただろう?」
「すっごく大変だったよ…俺も含め皆、いつの間にかコトカちゃんに助けられていたことに気づいた」
「俺が育てたからな、コトカは」
「その言い方なんかムカつく」
「ははっ、まあコトカはもとから頑張りすぎる傾向にあるからな。その辺、上手くセーブしてやってくれ」
「…ハナレにはまだ勝てないのか」
「なんの話だ?」
「別にーただの独り言」

ヒノトは少し冷えたであろう缶コーヒーを飲んだ。

「…なんかいつもより苦いや」
「そうか」

ヒノト、お前は変わろうとしてるんだな。自分で自覚はしていないようだが俺の目にはそう映ったよ。

「お前も、頑張りすぎて疲れ溜め込むなよ」
「余計なお世話」

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