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「(肩肘張らなくても…か)」
鏡を覗き込みながら、イナミ室長…イナミさんにかけてもらった言葉を思い出す。
今までストレスを感じた時、イライラしたとき、わたしのはけ口はだいたいランニングだった、と、思う。それでだいたいのことを解決してきた。でも今朝、イナミ室長にお会いして、お話をしていただいて、今まで当たり前に思っていたことの、その価値観をほんの少しだけ動かされたような、そんな感じがした。そこに置いてあって当然、ってものを、ちょっと動かされたような。そんなにすぐに考え方が変わるわけじゃないけど、肩の荷を少しだけ下ろして貰ったみたいな気がして。スーツを着たまま肩を回してみたら、女性らしさの欠片もない鈍い音がして、笑ってしまった。
久しぶりに小説でも読んでみようかな、なんて、軽い気持ちになれたのはきっとイナミさんのおかげ。野菜は好きだけど、うちで出してる野菜って買ったことなかったな。今度、スーパーで見てみよう。
それにしても、イナミさん、こんなところまで出張してきてるのか。わたしの毎朝の通勤が30分。大変だなあ、そう思ってふと時計を見ると、いつもの出社時間で。
慌てて鞄を掴んで家を出た。足どりは何となく、軽いように思えて。
小走りで揺れる髪からは、ハナレさんの香りがする。なんだか背中を押されているようで、思わず頬が緩んだ。
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ぎゅうぎゅうの鮨詰めの通勤を終えて、亥事業室に向かいそうになる惰性の足を叱咤して未事業室へと向かう。確認事項は頭に叩き込んだし、昨日のヒノト室長との出来事はリセットした。会社には色んな人がいるんだ、ヒノト室長にもきっと、他の室長たちみたいにいいところがある。そもそも、わたしの緊張をほぐしてくれたのはあの人なのだし。悪いところばかり見ていたらテンションも下がってしまう。ヒノト室長とはまだまだ言葉を交わした回数だって少ないし、うん、そうだ。仕事のできる人に悪い人はいない。いや、それはないけど、そこはちょっと突っ込むのを我慢して、わたし。
「コトカちゃん」
「にゃっ!?」
突然考えていたその人の声がして、大袈裟に肩を震わせて大きな声を出してしまう。そろりと後ろを振り向くと、目をまるくしたヒノト室長がいらっしゃった。顔に熱が露骨に集まってきて、じわじわ熱くなってくる。耳まで熱を持っているのが分かった。ああ、なんて恥ずかしい!
びっくりすると、大きな声を上げてしまう。人間の反射として当然と言えば当然であるがしかし、その出す声と言うのが問題で。猫の擬声のような声を出してしまうのがわたしの常なのだ。会社では隠していたというか、気を張っていれば大丈夫なんだけれど。まさか上司の前でこんな軽率に晒してしまうなんて。動揺して言い訳すら言えずにいると、ヒノト室長が小さく笑った。
「…ふふ」
「……っ、」
「ごめんね、驚かせて。びっくりしたよね。おはよう」
「おはよう…ございます……」
ヒノト室長が柔らかく、わたしに謝罪する。これはわたしが考え事に耽っていて、自分の世界に入っていたが故の失態なので、ヒノト室長が謝ることは何もないというのに。
「す、すみません、お見苦しい、いえ、あの、お聞き苦しいことを…」
「どうして?かわいいじゃない」
ますます体中の発熱がひどくなる。甘い言葉、というものに、わたしは一切耐性がない。かわいい、なんて言われてどうしたらいいかわからないのに、加えてそれが上司ときたら、わたしはもうどうしようもなくお手上げだ。キャパオーバーで何も言えないわたしに、ヒノト室長はにっこりと、目元を溶かすように穏やかに笑った。
「改めて今日からよろしくね」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
ああ、やっぱり、ヒノト室長は苦手かも!!精神統一は叶わず、ムズムズする心を抱えたまま、就業時間を迎えてしまった。
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