11時半きっかりに書類に目を通し、提出まで終えたヒノト室長は「さあ、行こうか」そう言って朗らかにわたしを車へ乗るよう促した。「緊張しないで、社会科見学みたいな気持ちでいてね」わたしの肩を叩いてそう言ってくれるヒノト室長は、人のことを良く見ているなあ、と、思う。

しかし。わたしが乗る前に助手席のドアを開けていわゆるエスコートをしてくれる室長に、朝の気持ちが思いっきりぶり返した。

「不服そうだね?」
「!」
「俺、女の子には優しくしたい質なんだよね。そんなに気にしないで、付き合ってよ」

顔に出てしまっていたらしく、ずばりと指摘されてしまって言葉に詰まる。慣れた様子でエンジンをかけながらヒノト室長はそう言うけれど、それってやっぱり女慣れしてるっていう風にしか聞こえないんですけど。いや、別に室長がどういう生活を送っていようがわたしには関係ないんだけれども。

「…あの、室長」
「ん?」
「わたしにはそういう気を回していただかなくて大丈夫です」
「俺が大丈夫じゃないから駄目」
「………」

オンナノコ扱いって、慣れてないし苦手なんだけどな。ばっさりと遮断されてしまった以上、わたしはヒノト室長の行動に慣れていくしかないと決定した。まあ、それなら適応していく他にないから、努力するしかないだろう。図らずも口元が苦く歪んだ。

「それよりコトカちゃん、何食べたい?」
「え、っと、お任せします」
「近くにお洒落なカフェがあるんだ。そういうところは嫌いじゃない?」
「は、はい」

ヒノト室長は運転しながらもすらすらと会話を振ってくれて、どうやら運転は得意な方らしい。というか、上司に運転させるって駄目じゃない?さあっと血の気が引いた。

「ひ、ヒノト室長」
「ん?」
「あの、次回からちゃんと、わたしが運転しま、」
「あー、いいのいいの。俺は場所分かってるし、行くのも慣れてるしね。免許は持ってるの?」
「……持ってはいます」
「あはは、ペーパーなんだ。それなら尚更気にしなくていいよ。こんな都内の会社で、車使うことのほうが珍しいからね」

結局、着くまでに喋り上手なヒノト室長に乗せられ、最寄り駅やら

個人情報を漏らしてしまった。しかも、この都内の混雑した道でも気にならないくらい、運転がうまかった。なんか、色々と凄い人だ。



「おいしい…」
「そうでしょう?ここ、うちの会社とも契約してるんだ。丑事業室と、あと酉事業室も」

ヒノト室長に連れられてやって来たカフェは、木目調の温かみのあるつくりで、お皿やコップまで凝った、本当にお洒落なところだった。平日で、立地もちょっと不便なところなのに、店内はなかなかに賑わっていた。お洒落なだけあって女性客が大半で、一瞬ヒノト室長を心配したけれど、彼は全く居心地の悪さなど感じていないようだった。まったく杞憂もいいところだ。レモンの浮いた水を飲んでいる姿すら様になっている。
一緒に頼んだ日替わりランチはとても写真映えしそうだけれど、

「ヒノト室長」
「なあに?」
「これでお昼、足りるんですか?」

きょとんと目を丸くしたヒノト室長は、本当におかしそうに笑った。目尻のしっかり下がった笑い方は今までのヒノト室長の艶っぽい笑顔とは違くて、こんな笑い方もするんだ、と思わず見入ってしまう。

「ありがとう。大丈夫だよ」
「何で笑うんですか」
「いやあ、変わってるなあと思って」
「?」

チキンソテー、サラダ、コーンスープにバゲット。わたしは十分だけど、とても成人男性が満足できる量ではないように思ったから、聞いただけなんだけど。男性に食べる量を聞くのが失礼とか、そういうのってあったっけ。いや、ない。

「ところで室長」
「うん」
「契約してると言いながら、野菜を残すのはどうかと思います」
「…コトカちゃんて、こういうの見逃してくれないタイプ?」
「食事を残す人の人間性を疑います」
「そんなに?」

ヒノト室長は野菜を残さず食べられました。そしてヒノト室長は、約束通りご飯をご馳走してくれた。



「どうだった?」
「すごく勉強になりました。ご一緒させて頂いてありがとうございました」

工場見学が初めての体験だったというのもあるけれど、それを抜きにしても、工場の拘りが伝わってきた。本当に、良い体験をさせて頂いたという他に言葉が出ない。わたしたちの仕事がこんな風に形になるんだと、じんわりした感動がまだ胸に残っていて、口元がゆるゆるしてしまう。

「…コトカちゃんは凄く仕事熱心だよね」
「え?」
「心強いよ」

ちらりと運転しているヒノト室長を盗み見ると、口角が上がっているのが見えた。

「…がんばります」
「うん。無理は禁物だよ」

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