平和に行きましょう。
黒狐2
「わぁ…可愛い」
うっとりとした表情で童女は吐息を漏らした。丸い目を細めた先には不気味な生き物が描かれた紙があり、それを描いた張本人である白澤は心底満足そうに頷く。
「だろう?猫好好っていうんだ」
「この子にぴったりな名前ですね、白澤様」
百合がやたら咲き乱れる茶屋にて、白澤は店主である愛らしい少女と共に珍しく下心のない会話に興じていた。
今まで大多数の者に大不評を食らった絵にようやく嬉しい反応をもらったのもあるが、この童女の本当の笑顔とは予想以上に貴重なものなのだ。
先程淹れてもらった茶を飲むと、ハーブティーらしい爽やかな風味が鼻を通る。水出しで漉したと言うハーブティーは飲食物らしからぬ不思議な青色をしていたが、蜂蜜を少し垂らせば橙にも色を変える。この味も見た目も面白い茶は、天国地獄世界広しと言えど、この店で唯一調合されるものだった。
「可愛いって言ってくれるの黒狐ちゃんだけなんだよ」
「そうなんですか?」
「そう。どっかの補佐官なんか呪われてるとか散々言うしさ」
黒狐、と呼ばれた童女は心底不思議そうに首を傾げる。受け取った紙には相変わらず疫病神並の面相をした生き物(?)が黒狐を見つめているが、黒狐にはどう悪いのかが全く分からない。
艶やかな黒髪が流れる頭に生える狐耳がピクピクと震え、ぺたりと伏せられる。その様子を白澤は珍しく手を出さずに眺めていた。
黒狐は仙狐であった。
中国、日本に共通して“平和の象徴”、北斗七星の化身とされる神獣であり、仙狐として数千年以上前から存在している。
現在は天国でここ“茶屋百合処”を経営している穏やかな愛らしい娘で、しかしどこか事なかれ主義が過ぎるきらいがある(八方美人でない所がミソだ)。その為愛想笑いは頻繁に見れるが、逆に心の底から浮かべる笑顔というのが滅多に見れない。大抵の客はその違いが分からず満足していくが、白澤を始めとする常連はそれを良しとはしなかった。
「白澤様、この子の不評な点についてですが、よろしいでしょうか?」
「え、何?どっか変な所あったの?」
「尻尾がないのです。尻尾の無い猫は存在しますが、あまり知られてはいませんので…」
「…あ、本当だ」
然程大きくはない縁台で肩を寄せ合い、一枚の紙を覗き込む二人の距離は頬が触れ合う程に近い。しかし白澤が黒狐の肩を抱く事はなく、それ以上に何かがある訳でもない。ただ兄妹のように仲睦まじい雰囲気で楽しげに談笑していた。
「おい、黒狐。離れんか」
…と、そこへいつの間にやらやって来た、顔面に不機嫌を張り付けた老人が(特に白澤へ向けて)嗄れた声を上げた。
「げ…偏屈爺…」
「あ、北斗星君様!」
白澤は顔を顰め、黒狐は嬉しそうな笑顔を浮かべて、眼前にいる老人を出迎えた。北斗星君と呼ばれた老人は、すぐさま駆け寄った黒狐の髪を仏頂面のまま掻き分けるように勢い良く撫でる。乱れた髪など意に介さず黒狐は楽しそうに笑う。
「お仕事が落ち着いたのですか?」
「様子を見に来ただけだ。…これ、抱き着くとははしたないぞ」
反応が古臭い、とその様子を見ていた白澤は溜息を吐く。抱き着いてきた女の子を引っペがすとは男のやる事ではないし、黒狐の全てを無条件で得られるこの老人は、そのくせ非常に素っ気ない態度でいるのが気に食わない。
仏頂面といい性格といい、顔立ちは似ずともどこかの常闇鬼神を連想させる北斗星君を白澤はあまり良く思っていなかった。
北斗星君は、その名の通り北斗七星が神格化された存在だった。「死」を司り、対の存在で「生」を司る南斗星君(南斗六星)と共に中国の地獄で死者を裁く役目を持つ。そして北斗七星の化身たる黒狐の保護者のような存在で、こうして時折黒狐が営むこの茶屋へ足を運んでいる。
誰にでも厳格で素っ気ない性格だが、態度とは裏腹に黒狐をとても大切にしているのだ。…普段共にいられない黒狐の隣に、いつの間にやらいる白澤を引き離そうとしてしまう程度には。
先程まで側に感じられた温もりを物の見事に掻っ攫われた白澤は、目の前の老人へ妬ましげな視線を向けた。結局離れない黒狐を腕に抱き、北斗星君も白澤の座る縁台へ近付いた。
「白澤よ。主はまた性懲りもなく来たと」
「別に僕が来て悪い事はないだろう?ここは茶屋で、僕は客」
「道理ではあろう。しかし納得はせぬ」
「一緒にいてやらない誰かの代わりにお喋りしてただけださ」
「ふん、それはご苦労であったな」
互いに大切にしている黒狐の手前言葉は控えているが、棘と毒の応酬は容赦無く繰り返される。
「北斗星君様、見て下さい。白澤様が描いてくださったのです!」
「……疫病神の如き面妖な生き物だな」
「美好好ちゃんという猫です!」
「………白澤よ」
「何だよ、北斗星君」
「貴様、絵心という物が無いのか?」
「うるせー!!」
心底不思議そうな表情が殊更白澤の心に突き刺さる。
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