平和に行きましょう。
かるであ3
「老師、朝になったよ」
ぐちゃ、と肉塊に突き立てた拳が止まった。とっくのとうに骨ごと砕けて何だかよく分からない物体になっていたそれは、日の出の光が触れた端から塵のように崩れ、散っていく。
「些か疲れたな」
「一晩中殴ってたら、そりゃ疲れるよ」
老師と呼ばれた老人と、その服の端を掴む娘は互いに顔を見合わせて小さく息を吐いた。老人は娘が生きていることに安堵して、娘は老人のそんな顔を見て。
足元に広がっていた血の海は、肉塊と共に蒸発して消え去っていた。老人の返り血も同様で、後始末を考えなくて良いのは楽だな、と場違いに思った。
「町に下りよう。朝だから、きっともう出ないよ」
襲撃者の特徴として、日の光で死ぬ事、日中は現れないことは何となく分かっていた。
八雲沙は自分が決して優秀でないことは自覚している。そこそこ歴史がある魔術師一族でそこそこ魔術を扱えるが、何と言うか、根本的に「根源」とやらに全く興味がない。更に言うと隠密行動に特化した手札ばかりで、実戦となるとまるきり役立たずであった。基礎の身体強化こそ使えるが、召喚しちゃったチート臭いアサシンに比べたら巨人と赤子レベルで差がある。気が付けばアサシンに強度不足の扱い注意、すなわち幼女扱いにされ、守ってもらえるのは有難いが傍から見れば完全に祖父と孫になってしまったのは甚だ遺憾であった。けれどそれが結果的には周囲の人間を欺くカモフラージュとして最適であったので、目立ちたくない沙は歯噛みしながら差し出された手を繋いで歩くしかなかった。
「あらぁ、沙ちゃん今日もおじいちゃんとお散歩してるのねぇ。仲良しさんで素敵ね」
「こんにちは、浦田のおばさん」
道行く人に愛想を振り撒きながらも沙の目は死んでいる。何が楽しくて家族ごっこをせにゃならんのだという疲労感と、下手しなくても本当の家族よりも仲良くしていてそれを悪くないと気付いた時の虚無感がすごい。
この地に拠点となる工房を作成するに辺り、まず行ったのが周辺に住む人間への大規模な記憶改竄だった。最低でも爺と孫が2人、そこに数年前から住み始めたくらいの認識を持たせ、更に違和感を感じても記憶を曇らせて誤魔化す処置をしなければならなかった。その為、最終的に「武術家の祖父とその孫」という設定が生まれ、定着した。
「年相応に可愛げがあるな」
「うるさいな」
暗い色眼鏡の奥にある目が細まるのを見て悪態吐く。
あの老人が纏う気配と臭いには覚えがあった。昔まだ父も存命であった頃、父が斧一本で相手取った飢えた熊と同じ臭いだ。獣のようにどこまでも飢えているのに、それを表には出さない理性。そして、隣にいる女の子を気遣い、守ろうともしている。女の子は、老人の背にいながらこちらを真っ直ぐに見据えていた。怯えや恐怖というには冷静で、とても静かだ。
「この通り老人と子供だ。そう殺気立たず、矛を収めてはくれんか?」
「あ、すみません!」
絶対にどちらも一般人ではないけれど、鬼でもない。けれど老人は何かをするでもなく、ただ穏やかに炭治郎へ刀の納刀を請うた。確かに、鬼でもない素手の相手に急に抜刀したのは不味かった。
「急にすみませんでした!でも、今ここはとても危険なんです。こう、変な生き物が彷徨いているので!」
「ほう?なら、案外役に立てるかもしれぬな。なぁ、沙よ」
「えっ、心当たりがあるんですか」
隠れていた女の子が、炭治郎と老人の視線を急に向けられて心底嫌そうな顔をした。何と言うか、分かりやすく厄介ごとになったと思っている顔だった。
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