平和に行きましょう。
あぜがみ2
人とは異なる物を好み、厭う暦に、1度だけ左目の傷について聞いたことがあった。
「お前は、左目の傷が無ければと思ったことはないのか」
まともな返答を期待してのことではない。ただ、しのぶも玄弥も、暦の顔を見た人間は皆「傷跡がなかったら」と思わず零すから、美しい面差しをしているのだろう。他人から与えられるその価値に、果たして暦はどう思っているのかがふと気になった。
目の見えない悲鳴嶼にはとんと縁のない価値だが、この手で直接触れれば、ちゃんと形は理解出来る。初めて暦の顔に触れた時、まず顎から顔の小ささに驚き、それから肌の滑らかさにも驚いたのを覚えていた。つるりとした指の滑り方は剥き身の茹で卵のようだったし、口元に指先が触れると、ぽってりとしたふくらみを押し上げて、口もとても小さいのだと理解した。それから頬へ差し掛かった時、左側にある例の傷に触れた。なるほど、確かに綺麗な肌には似つかわしくない歪な曲線を描き、左目を縦断して眉にまで及んでいた。磨きあげられた玉に入った罅のような、全体的にはほんの僅かな差異でありながら玉としての価値を損なう傷。それが、暦の縫合痕であった。
素直に「勿体ない」と思った。そして顔に出ていたのだろう。
隣に座っていた暦が、腰を持ち上げた音がした。怒ったのかと思えば、悲鳴嶼の肩に小さな手が重なり、鼻先に微かな吐息が掛かった。膝立ちで巨躯に寄りかかった暦は、残った手で悲鳴嶼の顔を、己がそうされたように顎先から順繰りに触っていく。くすぐったい硬い指先が目元を撫で、こめかみを伝って額に差し掛かり、ぴたりと止まる。
「これ」
端的で静かな声が耳を滑った。指先は悲鳴嶼がかつて負った額を横断する傷跡をなぞっている。
「あなたも、わたしも、忌まわしい記憶の証だ」
ふ、ふ、と断続的に吐息が掛かる。
「でも、揃いなら悪くない」
その抑揚のない言葉に、どれだけの熱情が込められているのか。確かめようと体を掴む前に、ひらりと猫のように身を翻された。行き場のない手が空振り、それを見た暦は「あははは!」と悪童のように笑いながら、走り去ってしまった。
「悲鳴嶼さん!今、暦さんが笑って……って、どうしたんですか」
「……遊ばれた」
入れ違いに来た玄弥に、そういう他なかった。
キメツ時空
砦上暦は目の前で何が起きようと動じないことで有名だ。
「数学なんて使わねえし!」と豪語したクラスメイトが窓から吹き飛ばされようと、学園祭で集団中毒が引き起こされる音楽を至近距離で聞こうと眉根ひとつ微動にせず微笑み続け、その余りの不動さから「不動明王じゃん」と評された。
年頃の女の子にあるまじき厳ついあだ名を付けられてもふわふわにこにこと微笑む姿に、それを爆笑させたり絶叫させたり、とにかく崩してみたいと思うのがキメツ学園の生徒達。気付けば美術室がダイナマイトで破壊されているような学校で「不動明王砦上の反応引き出してみよう」大会がこっそりと開かれたらどうなるか。
なんというか、お察しである。
目の前を鼻眼鏡をした煉獄(兄)が通過した。砦上以外の周りが引き付けを起こして全滅した。悲鳴嶼が眼鏡を普通に注意して終わった。
砦上と課題のやり取りをしていた不死川(兄)のワイシャツを背後から宇髄が引きちぎって半裸にした。丁度通りがかった悲鳴嶼が宇髄を即座に指導室へ連行した。ちなみに砦上と不死川は、互いに何が起きたか理解できないまま保健室に保護された。
モテに飢えた我妻が落としたプリントを拾ってくれたという理由で求婚したが、遠くから呼び掛けてきた悲鳴嶼に砦上が気を取られてスルーされた。
「いや悲鳴嶼さんの頻度高ぇわ」
「必ずと言っていい程阻止されるな!」
「おい待てやァア…。そんな下らねぇことの為に女子生徒の前で半裸にされたのかぁ俺は」
別に心にゆとりがあるから動じないのではない。暦は顔に思ったことが浮かびにくいし、何かとゆっくりだから反応するまでに時間が掛かるだけなのだ。
特にここ最近は目の前で怪奇現象じみて周囲の奇行が目立ったものだから、こっそりカナエと悲鳴嶼に相談していた。カナエは霊媒体質で時々妙なのに絡まれる暦を助けてくれるし、悲鳴嶼は保護者なので物理的に何とかしてくれる。
prev next
Back to main nobel