平和に行きましょう。
あかご
赤子特有の甲高い泣き声が耳に刺さる。重みはないが、その分気を付けないと零れ落ちそうな柔い感触にもう1度抱き直す。
「あぁもう…あと少しだぞ?お前それでも男子か?」
直線距離で1里、戦場を迂回すれば更に半分程伸びる場所にある村が待ち遠しい。
馬でも欲しい所だが、沙の馬術は素人裸足もいいとこの粗末なものだ。片手で馬を御しながら、もう片手で軟体動物より繊細な生き物を守るなんて芸当は、最終手段であっても遠慮したい。
とっくにすり減った草履で地面を滑るように走りながら、沙は今回降り掛かった己の不運を呪った。
「え、伝令!?」
「ああ。往復で多分3日学園を空けることになる。たかが3日で何が起こる気はせんが、下級生を任せるぞ」
簡単な荷物を纏めた風呂敷を背負い、沙は辟易とした溜息を吐いた。背後でおろおろと心配そうな伊作と同じように沙だって頭を抱えたい位だ。
「…すまない、沙…。僕のミスで…」
「やめろ、お前のミスは私のミスだ」
嫌な…事件だったね…。
事の次第を知る誰もが下を向いて遣る瀬無い気分になる数日前の「学園長褌紛失事件」は、未だ保健委員の中で尾を引く酷い出来事だと色濃く記憶に残っている。
「…まさか包帯にする為に集めた古着の中に学園長のお気に入りの褌があるとか…誰も予測出来んよ流石に…」
「そもそも僕らは生徒から集めたはずなのにね…」
何が起きたか?誰が悪いのか?など最早追求するだけ無駄だ。そこに保健委員による不運がトッピングされた時点で、巻き起こる事件と被害者は既に決まっていたようなものなのだから。
そして沙は、だいぶ理不尽だが罰として学園長直々に課外授業を言い付かり、その為に夜半から学園を出ようとしていた。本当ならば当然の権利として伊作を巻き込む腹積もりだったが、合戦場をスキップするような自殺行為だと気付いてからは保健委員代表として1人で行くことにした。あと、単純な人望として伊作の方を残そう、とも考えて。
綺麗な勘違いをしている伊作を尻目に、軽装を確認し終えた沙は「よし」と立ち上がった。
「じゃ、私は行ってくる」
「気を付けるんだよ。沙はおっちょこちょいなんだから」
「不運大魔王のお前が言うな!」
三日前そう言っていた時期もありました。
課題の伝令だった書簡を目的地にいた先生へ渡したのが昨日の夜半。そこから今朝までゆっくり休養を取り、余裕を持って帰ろうとしていたのが一時前。
そして、名も知らぬ赤子を託されたのが、一刻前。
更に大男の曲者と出会ったのが、たった今。
「やぁ、久しぶりだね、辺銀沙くん」
突如頭上から現れた雑渡に対して、悲鳴も逃走もしなかったのは、ひとえに腕の中にいる赤子を心配してのことだ。
「伊作くんから聞いたんだが、君が三日前から学園を出ていて心配だって言うからね。私も一応見に来たのさ」
「出たな伊作クラスタ…じゃない、雑渡昆奈門」
「その間違え方は初めて聞いたな」
伊作の名前さえ出せば偽書にもかかる雑渡への評価は沙の中で急降下している。別段害を被られたことはないが、普通仲間でも味方でもないどっち付かずな人間と和気藹々で出来る伊作たちを注意せねばと常々思っていた。潮江や食満のように真っ向勝負で対抗するような気はさらさら無いが、しかし元凶がこうも容易く唐突に現れたら結構反応に困る。
「…何です、じっと見て」
赤子を抱え直すようにして庇いながら、沙は半眼のままじりじり下がった。
「その子、沙くんが産んだの?」
「産むか!産めるか!」
「怒鳴ると起きるよ。見た所、課題は終わったようだけど何でまた赤子なんぞを抱えているんだ、お前は」
「……色々あったんです」
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