平和に行きましょう。

病院


 切れたニコチンを補充するように紫煙を深く吸い込む。肺腑の奥まで染み渡る苦味はここ十年で慣れ親しみんだ心地良さだ。喫煙室の無機質な白い部屋の中、柔らかくもないベンチに座りながら、溜息諸共に吐き出した疲労と副流煙が脳天先の換気扇に吸い込まれていく様子をぼんやりと眺める。
 禁煙こそすすめられないが、喫煙に関して決して良い顔をしない妹の前では自然と控えることの多い煙草だが、流石に仕事と見舞いが続けば働き盛りの歳とはいえ本数も増えるものだ。眠気が遠いのが幸いだが、顔を見て安心して、緊張が解けたせいか酷く思考が鈍い。そして大概、こういう時程いらない記憶の蓋が緩み、ぽろぽろと零れるように思い出していく。
「…あー…そうか…。そういえばあの人も吸ってたっけなぁ…」
 消える紫煙に幻視したのは、一人のひょろりとした男。
 そういえば、前もここだった。先ほどから脳裏にちらつく既視感の正体を知り、次いで面倒臭い思い出も思い出す。八年前、散々この病院と自宅の玄関を覆い尽くしたマスコミの喧騒や目線の煩わしさは、今でも瞼の裏に存在していた。
「もういっそ全部あの人のせいじゃないのか…」
 故人に対して不謹慎な言葉だと自覚しているが、それでも言わずにはいられなかった。八年前に、沙良の精神状態が砂像のように形を保ちながら非常に危うい強度になっていた原因は、どちらかと言えば彼のせいではないのか?責任転嫁じみた考えを持つ程度には疲れているのかもしれなかったし、しかし実際あの男はそれぐらい慕われていた。一度事務的でなく話す機会があったが、割と気安く、親しみやすい誠実な人柄だったように思う。事件の当事者の身内でありながらマスコミの又聞きになってしまうが、その最期を伝え聞くに、少なくとも無責任な人間ではなかった…らしい。
 そこまで考えてから「それがどうしたこの野郎」と頭の中で冷静な部分が思考を蹴り飛ばす。
「……帰って寝るか…」
 二十三年前とも、八年前とも違うのだ。沙良は既に大人で、金銭面でも精神面でも自立している。電話一つで飛んでくる友人がいるし、隣の病室にも友人がいるのだから大丈夫じゃない要素こそない(友人共々病院送りになってる状況が大丈夫じゃないのだが)。
 吸わずに放置しているだけでフィルターまで灰にし尽くした煙草を喫煙室中央の専用灰皿にねじ込んだ。ベンチから上げた腰は、疲労だけでなく重い。…意外と憂鬱なのだ、自分以外の誰もいない自宅というのは。






「…はい、貸し切り?しかも厨房使わせろって、会長…それはちょっと…」
『えぇ〜いいじゃない、一日だけ!』
「その分の経営どうするって話なんですがね」
『お休みの日でも駄目かしら?』
「俺の休日と貴方の休日を同列に語らないでもらいたい」
 堂々巡りを続ける会話は最早通例ですらある。電話の相手は間延びた声を困らせたようにしながら、それでもこちらの気を引くためにあれやこれやと条件やプレゼントを持ち出すが、生憎真雪の気を引く物は無い。というより、生活用品や必要経費ならばそこそこの大盤振る舞いを見せるが、それ以外での物欲は人並み以下を自称する真雪にとってその手の類は割とどうでもいいのである。妖食倶楽部なんて酔狂なグループに所属しているのも、沙良のついでのようなものだ。いや、というよりも…
「俺の食育はどこで間違った…?」
『えっ、なぁに〜?』
「なんでもないです…とにかく!うちはただの喫茶店なんだ、厨房好きに使わせる気はありませんよ」
「あら〜…」
















































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