平和に行きましょう。
そのに
「た、多々良先生…?」
「一体お前はどこに行ってたんだ!虎杖と赤城はまだ想定内だったとしても生徒の半分もいなくなって、心配したんだからな!」
痛いくらいに肩を掴まれ、詰め寄られる。普段の穏やかな雰囲気はなりを潜め、その身に危険は無かったのかと、ただただ純粋に心配しているような様子に沙良はその場にへたり込みそうになった。
「違う、朝、朝に起きたらここみたいな、変な旅館にいて、誘拐みたいで、えっと。その、いきなり堀川さんが男の人に殴られて連れ去られて、それでその、真っ赤な気持ち悪い箱があって、こ、怖くなって赤彦達と一緒に、出てきて、それで、えっと、他の皆もいたけど、ずっと起きなくて、置いて、きて…」
これまで状況整理もままならなかった中で、気付いてしまった事実に血の気が失せる。自分は、自分達は一緒に逃げられたかもしれない仲間を見捨てて、協力者である苗と共に四人だけで助かろうとしたのだ。
がり、と柔い肉へ歯が食いこみ皮を突き破る瞬間、後頭部への衝撃が走り共に視界が白んだ。力が抜けた隙を見逃さず、顔面を掴まれ思い切り床へと叩き付けられる。板張りの廊下が嫌な音を立てた。
「がっ…!」
「全く…、毛並みはいいから躾されてると思ってたんだけどな」
手にくっきりと残った歯型に忌々しげに舌打ちする多々良は、そのまま力無く倒れ込む沙良の喉を片手で締め始める。
一瞬、呼吸が止まる。
「逃げたと聞いた時は肝が冷えたけど…僕の所に戻ってきたのは日頃の行いと言うべきか」
じわじわと喉仏を押し込まれ、気管が狭まっていく嘔吐感と苦しさに視界が滲む。片手とはいえ容赦なく親指を抉り込まれ、意識がゆっくりと引き剥がされるような恐怖から、標本の虫のように押さえ込んでいる手をどかそうとなりふり構わず暴れ始める。
頭上から微かな笑いが零れるのが聞こえた。
「やんちゃな生徒が多いのは構わないけど…あんまり仕事増やすのは勘弁してくれよ」
「何でもないから部屋で待っていなさい」
静かで優しい声でそう言うと、赤彦の周りに集まりつつあったクラスメイトらは、言われた通り口をつぐみ、静かに部屋へと戻っていく。
「…マジかよ、アンタ」
呆然とした赤彦を階下から見上げながら多々良はわざとらしく肩を竦めた。
「流石に大婆や長老らとまではいかないけど、僕もそこそこ古株でね。それにあの子らは君らを裏切った訳じゃない、あんまり責めてやるな。…おっと兎山、悪かった」
既に微動だにしなくなった沙良から慌てて手を外す。
「来るな馬鹿!」
「え?」
声もなく、殺意もなく、ただ鋭い衣擦れの音がした瞬間に。
襟首を掴まれ距離を詰められた赤彦が、吸い込まれるように池へ叩き込まれる様子を、沙良はスローモーションに補正された意識の中でただ呆然と見ていた。
大柄な青年に見合うそれ相応の重量を飲み込んだ池は派手な水柱を上げ、叩き込まれた赤彦は勿論、至近距離にいた多々良は投げた体勢のままその水をモロに浴びる。ほんの一瞬でずぶ濡れとなった赤彦はまとわりつく服により池の中でもがいていたが、多々良は濡れた顔面を簡単に拭うだけで表情は随分と涼しい。
「確かに特別鍛えちゃいないが、僕だって伊達に君らより長生きしてる訳でもないんだよ。…流石に少々無理はしたけど」
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