平和に行きましょう。
そのさん
頭蓋の裏側に、泥のようにしつこくこびり付く睡魔が意識を絡め取る。身動ぎすら億劫な程に重苦しく気だるい身体だが、気分は妙に軽い。
睡魔を甘受しようとすればする程に、無情にも意識は浮上する。ずっとずっと眠りたいのに起きなければならない。ジレンマがせめぎあい、しかし身動ぎした瞬間に頭部へと激痛が走り、瞼の上から光源が差し込んだ。暗闇に沈んでいた中ではあまりにも強過ぎた刺激に、強制的に目覚めが促された。
「…っ」
呻き声が思わず漏れる。
やけに重い頭を庇いながら、分厚い布団に包まれていた上半身をゆっくりと上げると、ずるりと何かが落ちる。タオルに包まれたそれは氷の入った袋で、即席の氷嚢なのだろう。頭痛の原因の一端であるそれを放置し、他に何か違和感がないかと未だ睡魔の泥に捕らわれた寝惚け眼で確認する。
そこは二人部屋なだけあって、少し痛む頭を回せば部屋の全貌は窺える。自宅の和室に比べれば真新しさは劣るものの、丁寧に使い古したように小綺麗な旅館の一室だ。小型の冷蔵庫や金庫を視認し、窓の方へ見ると、沙良は急減に意識が晴れ渡る感覚を感じた。あるいは、肝が冷えたとも。
「た、多々良先生…」
「あぁ、兎山。ようやく起きてくれたか」
窓枠に肘を付き、胡座をかいて火の付いていない煙草を嗜んでいたのは多々良だ。普段と何ら変わらない態度と穏和な表情だが、起き上がった沙良を見て安堵したようにも見えた。
「頭の方は大丈夫か?」
一瞬馬鹿にされているのかと殺意が芽生えるが、ジェスチャーのように示された部分に反射的に触れると、確かに若干腫れた部分があった。皮膚も切れているのか、ピリピリした痛みを感じるが、冷やし過ぎたせいか感覚は鈍い。
「あぁ、二、三日は運動は控えておきなさい。頭の怪我は怖いぞ」
「…」
あくまで柔らかい物腰のまま世話を焼く目の前の男に、沙良は形容し難い薄気味悪さを感じた。「あねや」での男らといい、多々良といい、やっていることの異常性の割に随分とこちらを優遇する。意図が曖昧なのだ。
警戒心を隠さない沙良の表情に、多々良はくつくつと笑う。
「君らには事が済むまで大人しくしていて欲しかったよ。ここに来た時は本当驚いた」
「…何が、したいんですか」
「何だ、苗から聞いてないのか?村の連中がよりにもよって苗を君らの世話役にしたせいで、する必要もない儀式の話が漏れていると思ったんだが。だから虎杖共々、慌ててあの旅館から逃げ出したんじゃないのか」
それとも見張り番が口を滑らせたのか?と口にした瞬間、柔和な目が細められる。その視線は既に沙良から離れ、視界にも入れていない。思考に溺れた意識はやがて集中力を切らしたのか、「まあ、本人に聞くか」と面倒臭げな言葉と共に打ち切られた。実際問題、沙良は赤彦らと共に苗からその話を聞いているどころか、最古参だという老婆から村ぐるみの所業について聞いてしまっている有り様なのだが。
「そうじゃなくて」
「うん?」
「…その、山奥の旅館では、逃げ出そうとしたり逆らった子たちはどこかに連れて行かれました。なのに、どうして私はここに」
「…特に深い意味はない。言わば保険に近い」
「それは、どういう…」
意味ですか、と言いかけた口はつぐまれた。その目はあからさまではないものの、明らかに見下すような、自分よりも弱い生き物を見る目をしていた。
「僕自身まだ親になったことはないし、何だかんだ実際に変わる様を見るのは今回が初めてだ」
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