平和に行きましょう。

ハイヤよん


 鼻腔に触れる不愉快な臭いに嘆息した。あぁ、何やらまた妙なことになったらしい、と。
「もし、私はこの通り目の見えない女です。見逃してはくれませんか」
 目は見えないが空間把握には長けているので、あまりハンデにはなっていないのだが、そんなことわざわざ言う筋合いも理由もない。いつもなら有無を言わさず伸すまでだが、何やら相手の気配が妙な生き物で、人型とは分かっていても得体の知れなさから手を出しあぐねていた。これで言葉を発するなら人間、そうでないなら獣と判断して行動しようと思っての命乞いであった。
「なんだァお前、女か。男なら肉が硬ぇから見逃してやったが、女の柔らかい肉は逃がさねぇよ」
 はいアウト。人語は通じても外道に落ちた人もどきの化け物ときた。足元に広がる水気と臭気の元、目の前にいる男が何を食っていたのかが確定してしまい、ハイヤはあまりの所業に目眩がした。故郷ザナドでネメシス率いる人間共に仲間を惨殺され、その死体で血塗られた武具を作られた時を思い出したのもある。辺り一面血の海にされて赤き谷とまで呼ばれるようになった故郷はハイヤの現代まで続くトラウマで、目の前にそれが小規模といえど再現されてたら気も滅入る。滅入るだけで済んでいるとも言えるが。
「人間が共食いとは、本当に愚かなことを」
「あァ?鬼が人を喰って」
 言い切る前に、ハイヤは動いた。
 左手にある杖が、ズァ、と軋む音を立てながら大きく湾曲した。火花が一瞬舞散りながら、一瞬前まで柄だった鋭利な刃が肉を裂く。柄の中に刃を仕込む杖ではなく、杖そのものが金属製の鞭となる得物は、大振りかつ変則的な動きを好むハイヤの愛用だった。大抵は杖のまま叩いて叩いて叩きまくるのだが、既に幾人も手に掛けた相手に情けは必要無かろうと、初手から殺しにかかった。
「ぐ、てめぇええええ!!このクソアマがぁ!!」
「おや、上半身と下半身を切り離しても生きているとは中々の化け物っぷり」
「日輪刀でもない鈍ごときに鬼が殺せるかよ!ざまぁみやがれ!!」
「そうなんですか。では、動けなくしておきましょうね」
 口汚く罵られたくらいで植物の域に達したハイヤの心は特に痛まない。が、真っ二つにされてまだ襲う気満々の自称鬼を見て、ここから去る前に「処置」だけしておこうとまた仕込み杖を振りかぶった。



 どうやら文化の何もかもが異なる国に来てしまったらしい、と気付いたのは数日経ってからだった。そしてハイヤの見た目は、この国ではまだ珍しい外つ国の人種でかなり目立つとも。幻術を使うことも考えたが、いくら日常生活から戦闘までこなせるからといって目が見えないことは覆せない。髪や肌の色、顔立ちの彫りの深さ、身長や服装諸々を考えたらキリがない。恐らく下手に真似て幻術を掛けたら、簡単に違和感を感じ取られてバレるだろう。大昔1度それでバレてめちゃくちゃ迫害されて逃げまくった記憶がある。年単位の逃亡生活は懲り懲りなので、いっそ外国人のまま過ごした方が良いだろうと最終的に結論づけた。
「ハイヤ先生、朝食の準備が出来ました。寮母さんたちが待ってますよ」
「はいはい、今行きます」
 そして、今はトウキョウの片田舎の寂れた教会にて、性別を偽り司祭として暮らすことにしていた。これには様々な経緯が複雑に絡んでいたが、要約すれば、ここの教会は神父が欲しかったし、ハイヤはまぁ一応なんちゃってとはいえ聖職者であったので、需要と供給が一致したのだった。元より性別の偽りやすい見た目であるハイヤが男物の衣装を着て異国の神父とやらを真似るのは些か無理があったが、おおらかというか雑というか、とにかく神父という旗頭が欲しかった彼女たちからすればさしたる問題ではなかった。あとそこまで大きく宗教的に異なる事がなかったし、聖書の読み上げ自体も盲目であるから代理として修道女が読んでくれるので苦労もない。とりあえずタブーっぽいことを最優先、次に常識っぽいことも覚えておけば、ハイヤは異国の聖職者を割と上手くやれていた。雑な周囲に助けられたのもある。
 そして、この教会には孤児院が併設されていた。ガルグ=マク大修道院にも孤児院はあったし、ハイヤも高い頻度で出入りしていたので宗教よりも遥かに勝手が分かる。警戒していた子供たちにセテス著の絵本を覚えているまま話してやれば、異国情緒の話に食い付いて中々簡単に距離は詰められた。先程呼びに来たのはその中でも年長に入る子供で、これが中々しっかり者で良い子だった。
「先生、目が見えないのに足元散らかしたらダメじゃないですか。今ちょっとどかすから、待ってください」
「机に置き場がなくなったから、ついつい。すまないね、ありがとう」
 本当はスキップしながら本を踏まずに正確に軽やかに部屋を出られるのだが、優しい子供の気遣いは享受する。
「そうそう、もうすぐ絵本が出来上がるから、また暇があったら皆に読み聞かせてあげてほしい」
「また出来たんですか?……というか、目が見えてないのによく書けますね。チビたちは喜ぶけど」
「訓練したから書けるんだよ。顔を触ってもいいなら似顔絵も書けるよ」
「それは後でやってほしいです」


「目は、戦争で失いまして。まぁ若い時分でのことだったので、今ではこうして文字も書けるくらいには色々こなせますよ」






























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