平和に行きましょう。

蘭のはなし


 本来受けられるべき時分に受けられる愛情を欠いた人間というのは、やはりそれを別の何かで埋める為にどこかで歪な形になっているものだ。土台がやわやわとしているのだから、その上にどれだけ立派な物を作ろうがそれは砂上の楼閣の如き脆さでしかない。
 自慢の弟でさえそんな有様だ。見掛けはまともでも、中身は伽藍堂。無いものは与えられない。あれの言う愛情とは、ガラスを差し出して、これは宝石だとだまくらかしているようなものだ。



 いつも夢を見ているように虚ろで、こちらを見ているようで見ていない。見透かしているとも違う。そんな聡明で賢しい視線ではなく、心ここに在らずといった目を、彼女はしている。
 会話をしていても、どことなく掴み所がない。また要領を得ない回りくどい話し方で時間がかかる。時々一瞬で話の本質に触れることもあれば、とんちんかんで空想的な発想で全くどうにもならない時もある。好ましいといえば好ましいが、時間と余裕のない時にはひどく疎ましい話し相手であるのは間違いない。
 しかしそれでも、蘭夜行は山桜桃梅が好きだった。
 いっそ愛していると言い替えても良い。
 彼女から生まれる物語は荒唐無稽で、理想論で、王道だった。御伽噺で、くだらなくて、それでいて美しかった。
 あの小さな頭に無数の世界と人間が存在している。彼女が死ねば無数の世界も全て死ぬ。
 さしずめ山桜桃梅は神様なのだ。
 そして、酷く俗っぽくて頼りない神様に魅入って、人間になんてこれっぽっちも興味のない神様の近くにいたくて、全部かなぐり捨ててまでそばに居る自分は、その信者だった。


 背後から胸をわしづかみにされた。
 あまりにも唐突で、躊躇いがなくて、悪意や害意なんてものを感じる余裕すらなく呆然とした山桜桃の胸は、2度3度と揉みこまれたあとパッと離された。
「な、あ、うぇ」
 声にならない声をあげて振り向こうとした瞬間に、鼻の先に空を切る感覚があって──人が吹き飛んだ。
「ェぎゃっ」
 夜行の拳が背後の男の鼻を折った後、顔を押えて前のめりになったことで差し出された頭部を肘関節と膝関節で挟み込む。ごきゃ、とまたどこかの骨にヒビが入る音が聞こえた。そのまま倒れ込む体を襟首を掴むことで(しかも片手で)支え、そのままもう片手を何度もボディへめり込ませていく。
 こんなことをしたらヒトはどうなるんだろう、という想像と躊躇いが一切ない滑らかな動き。見たことがないくらい早業で、思い切りの良い行動であった。
「て、わ、わぁあああ!!死ぬ!!蘭さんその人死んじゃう!!」
「安心してください、脊髄とかはやってないんで」
「そーこーじゃーなーいー!!」
 しかし悲しいかな、山桜桃が3人いたとしても夜行の腕力には勝てる見込みがない。止めに入ろうと殴る腕を握り込むが、両手でも包めない太さの筋肉は簡単に動く。


























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