03

 荷馬車の轍を辿りローとベポは教会までやってきていた。
 だれにも侵入されないと信じきっているのか、見張りは正面に少数置かれているという手薄さだ。少し森の中を迂回すると、簡単に教会の裏手に忍び込めてしまった。
 この杜撰さからはドフラミンゴの影は感じられず、無駄足を踏まされた気持ちになったローが、船に戻ることを決めたときだった。教会から絶えず響いていたパイプオルガンの音が突然止み、引き返そうとした足を止めた。
「キャプテン、あそこ、だれかいる!」
 見上げた先の中二階の窓に、もみ合っているような人影がある。仲間割れかと思い注視していると、人影が突然窓を叩き割り、わずかの躊躇いも無く外に飛び出した。
 自分たちのいる方向へ降ってくる人間の手に嵌められた海楼石の錠をローの目が捉えた。
「ベポ!」
「アイアイ!」
 海楼石がある以上自分では受け止められない可能性を考え、ベポに硝子片と共に降ってきた男を受け止めさせる。
 こちらに気付かれていては厄介だと窓の割れた中二階を見上げた。
「宝石が! わたくしの宝石が! だれか! 早く見つけ出してあの者の治療をなさい! ああ、なぜ! なぜこんなことにぃぃぃ!!」
 もう一人のでっぷりとした男は慌てた様子の背中をこちらに向け、癇癪を起こしたように叫んでいる。
 それでも万が一見つかっては事だ。ローは草陰に隠れるようベポに指示をし、自分も大木の裏に身を顰める。
「キャプテン、これ生きてる?」
「知るか」
「……勝手に殺すな」
 ベポに抱えられたまま、全身切り傷まみれで血みどろになった全裸の男の瞼の下から現れた瞳に、ローは目を見張った。
「!」
 昼間に荷馬車の中に見つけたあの瞳だ。
「おいお前。なんで突然降ってきやがった」
「あんたに用事があるから」
 先ほど見た部屋の中にいたのも男だったが、目の前の若い男が全裸であるが故にやけに信憑性の高い理由に聞こえ、ローは胸糞悪いと言いたげな顔を隠しもしなかった。
 ベポの腕の中で、血の流れる蟀谷を抑えながら起き上がった青年は、真っ直ぐとローを見据えて言い放った。
「トラファルガー・ロー」
 暗がりなうえ、帽子の鍔によってできた影で顔はほとんど隠れているはずだ。
「人違いだ」
「その帽子、刀、刺青。間違いない」
「チッ」
 舌打ちをして帽子を深く被り直したローの袖を、海楼石に拘束された青年の指が掴んだ。
「お願いがある」
「見ず知らずの男の頼みをきいてやる利点はなんだ」
「賞金首の心臓」
 心臓、という単語が出た以上、硝子と血にまみれたこの男のことをローは無視できない。
「死の外科医が高額な賞金首の海賊を襲撃してる。襲撃された海賊はみんな『胸に穴が空けられた。命を握られた』と嘆いてる、って噂になってる」
「だからどうした」
「事情は知らないけど、あんたは高額な心臓を集めてる、ってことだと思う」
 苦しそうな呼吸をしながらも、あくまで冷静に話し続ける声に、ローは否定も肯定も示さなかった。そんなローににやりと笑った青年は「沈黙は肯定」と言い放ち、饒舌さに拍車をかける。
「あの教会にいる男の首は二億。明日、その心臓を奪うチャンスがある。そのチャンスと引き換えに、おれを五億で落札して」
「二億の首に五億じゃおれにとっちゃ損害がでかすぎる。却下だ」
「偽札でいい。鞄に札束をぎっしり詰めて、明日の典礼に来て。航海に出て時間をかけて探した心臓より、たった一日で手に入る心臓の方が安上りだろ」
「助けろとは言わないのか」
「あのキモいおっさんと一生を過ごさなくていいなら、あの教会から逃がしてもらえるだけで十分」
「なぜいま連れ出してくれと言わない」
「……この教会の中で、探したいものがある」
 どういうことだ、と問おうとしたローの言葉を遮るように、慌ただしい声が複数聞こえてきた。
「時間切れだ。このままおれのこと教会の方へ放り出して」
「そんな怪我してるのに!?」
「いい。明日には治ってる」
 モフモフとしたベポの体を青年は力なく押しのけ自力で立ち上がる。
「おい、」
 ふらついた青年にローが声をかけると、青年は返事の代わりに瞼を閉じて息を整えた。
「名前も知らない人間を助けてやるような義理はねェぞ」
「……人間じゃない」
 指先で流された青年の黒髪。その隙間から覗いた角が、ローの目に薄ぼやりと映った。
「名前はミズキ。とにかく明日、頼んだから」
 青年は話を切り上げるように言い捨て、覚束ない足取りで茂みを脱すると中二階の真下まで歩いて行った。しかし海楼石の影響なのか、出血による貧血を起こしたのか、電池が切れたようにその場に倒れてしまった。
「キャプテン……!」
「放っておけ、おれ達は船に戻るぞ」
「えっ!?」
「あいつは『明日自分を落札しろ』という要求以外しなかった。おれ達がそれ以上のことをしてやる必要は無ェ」
 海楼石で繋がれていたということはなにからの能力者の可能性が高い。また、この教会にいるという賞金首は先ほどの青年を愛でることはあっても殺すことはしないだろう。そう考えたローは、青年の生存率は低くないと結論付け、ベポを連れてポーラータング号へと足早に戻った。

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