ナンパするキバナくんの話

「隣いい?」
 声をかけてきた男は首が痛くなるほどに背が高かった。そして、その辺では見かけないくらいのイケメンだ。
 夜も更けたいい頃合に一人でバーカウンターに座る女に声を掛けてくるなんて目的は明らかだ。一拍遅れて断りの言葉を言わなければと思う時にはもう遅く、マスターに酒を頼んだ男がすでに隣に腰掛けていた。これでは今さら無理だとは言えない。
 ジトリと睨んだ私に対してにっこり笑って返す素振りは確信犯に違いない。男にしては長めの髪をアイロンで緩く巻いたスタイルはいかにも遊び人そのもの。服装こそシンプルだけれど、鍛え上げられた腕に巻かれた時計はブランドものだ。
 全く厄介なのに絡まれてしまったものだ。
「お姉さんはよく来るの?」
「ええ、まあそれなりに」
 いつもの、という注文で男がここの常連客であることはすぐにわかった。常連同士でいざこざをおこすのは面倒くさいだろう。どこかへ行ってくれという思いは虚しくも男の嬉しいなという言葉でかき消される。
「オレさまもふと飲みたくなってよく来んの。ひとり酒って味気ないじゃん」
 チラリと流し目を向けられたのを無視して氷が少し溶けたグラスをあおる。頭の中ではどうこの男を巻くかずっと考えている。
「ひとりで来るのは初めてよ」
「へえ、友達と?」
「いえ、恋人と」
 ハッキリとした物言いに男の蒼い瞳が少し見開いた。私の目的はお酒を一杯飲んで帰りたかっただけで、そこに付き合ってくれる人は必要としていない。
 かなり不躾な態度だがこれで男もどこかへ行くだろう。向こうも私の返事を待たずに隣に居座ったのだからお相子だ。
「こんな可愛い彼女がいて放っておく男の気が知れないな」
「……別に関係ないでしょう」
 恋人発言に驚いたようだったが男は何故か引かずに話し続ける。浮気だってなんだってかまわないということだろうか、節操なしめ。
「関係なくないよ。オレさま、お姉さんに一目惚れしちゃった」
「は……」
 常識外れにも程がある言葉にドン引きしている間にも男はスツールを引き寄せて私に擦り寄ってくる。鮮やかなお手並みに私は呆けているしかない。
「な、彼氏に不満があるんじゃないの」
「ありません」
「嘘だあ。それならこんなとこ一人で来ないじゃん」
「少なくともアナタよりはいい男です!」
 私の大事な人を貶すような言葉に思わず熱くなってしまう。男の眼光が鋭くなった。
「じゃあ、身体の相性が悪いとか」
「何言って……!」
「大事なことだろ? 自分勝手すぎるとか」
「優しい人ですから!」
「優しすぎて物足りない?」
「っ……」
 一瞬、詰まってしまった私に男はビンゴと呟いた。蛇のように狡猾な男である。絡みつく視線が恐ろしい。
 ここにいてはダメだと本能が判断して逃げようとした私の手を男が掴んだ。そしてそのまま耳元へ顔を寄せるとうっとりとした声で囁いた。
「オレさま、セックス上手いよ」
 体の内側に響くような低音に背筋がぞくぞくする。何も声が出なくて視線だけを横へ動かすと、男の頬は褐色にほんのりと赤みが差していた。
「お姉さんは見かけによらずエッチなんだ? ふふっオレさまと一緒だね」
 長い腕が腰に回って男がマスターにお会計と言う声が聞こえたが、私は黙ってずっと俯いていた。



 ドアがバタンと閉まる音がしてゴソゴソと靴を脱ぐ。移動している間に酔いは覚め始めていて、先ほどのあれこれを後悔し始めていた。
 しかし男は違うようで私を捕まえる腕からは逃げられそうもない。
 言い訳を探している間にベッドルームへとたどり着いてしまい、誘導されるままにそこへ腰掛けた。上から見下ろす男の瞳は冷たい。
「で、何か言いたいことは?」
「……キバナくんがやりたいって言ったんじゃない」
 そう、目の前にいるこのナンパ男はキバナという。れっきとした私の彼氏様である。
 なぜこんなことになったのか説明すると、そもそもキバナくんのお願いが原因だ。外で初対面の振りをして会ってみたいというキバナくんのためにわざわざ行きつけのバーを別々に訪れた。
 マンネリ防止のワンナイトごっこみたいな感じだったんだと思う。私は全然、興味がないけれどキバナくんが楽しいならいいかと付き合ったのだ。しかしバーに来たキバナくんがいかにも遊び慣れた格好をしていてムッとしてしまい恋人がいるだなんて口を滑らせてしまったのだ。
 昔のことは知らないし、どうにもできないのは分かってはいるけれど、おおよそ正当な感情だろう。今は私のことをすごく大切にしてくれているから浮気なんて疑ってはいないけれど、ちょっとした意趣返しくらい許して欲しい。
「オマエ、流されやす過ぎて心配なんだけど」
「どっちもキバナくんじゃん」
「んー、まあ確かにそうね」
 台本と違う展開になった時点で引いてくれたら良かったのに悪ノリしてきた時点でキバナくんも同罪だ。私ひとりに責任を押し付けないで欲しい。
 拗ねてそっぽを向く私の頬をキバナくんの大きな両手が挟んだ。
「彼氏は優しくて面白みのない男みたいだし?」
「そ、それは……!」
 正面に来たキバナくんの顔は場に不釣り合いなほどニコニコしている。そっちが言わせたんだろうと私が言う前にキバナくんが囁いた。
「オレさまがセックス上手なとこ証明させてもらおうかな」
 すっかり罠に嵌ってしまった獲物の末路はひとつしかない。ギラギラ光る瞳に少しだけドキドキしまったのはきっと気の迷いだと思う。