今回のミッションは、隙を見て汗だくのキバナくんを捕獲。その後に腹または背中に顔を押し付け深呼吸をする、以上だ。
作戦概要、及び注意点についてはこれから順を追って説明しよう。
キバナくんは常時イイオトコの香りを纏っており、運動後など汗をかいている時は一定距離以上に私を近づけさせない。これが通称、キバナフィールドだ。
キバナフィールドはキバナくんを中心に約二メートルほどの範囲で展開されている。調査のため何度かフィールド内に立ち入ろうとしたが、鉄壁の笑顔と長い手足、巧みな話術に阻まれ一度も成功していない。
そもそもキバナフィールドが展開された時点で第一種戦闘配置に移行されているため、警戒レベルが格段に上げられているのだ。天下のドラゴンストームの警戒網を掻い潜ることなど一般人には不可能だ。
つまり正攻法ではなく、奇襲攻撃を仕掛けるしかない。キバナくんが私を捕捉し警戒状態に移る前に勝負を決めなければならない。
作戦はこうだ。まずキバナくんにお家デートの約束を取り付ける。ジムリーダーという立場上、気安く出歩けないキバナくんは易々と受け入れてくれるだろう。
時間は昼前くらいがいい。手料理を振る舞うという口実で午前中の微妙な時間帯を狙う。その後は持参したDVDでも観ればいいし、流れでお泊まりになるのもほぼ確実だ。
これで完全に退路は塞いだ。キバナくんは丸一日デートで時間がつぶれるとなると、きっと日課のトレーニングを私が来る前に済ませようとするだろう。もちろんポケスタの投稿で汗が浮くほど負荷がかかるトレーニングをしていることは確認済みだ。
アッごっめ〜ん☆約束の時間を間違えちゃったドジっ子作戦の下準備としては完璧である。
そう、つまりは読んで字のごとくウッカリを装ってトレーニング後のキバナくんに遭遇してやろうという訳だ。キバナくんのことだから急なトラブルへの対処もバッチリだろう。しかし、平時よりは多少は隙が生まれるはずだ。その僅かな隙を掻い潜るしか私には道はない。
という訳でやって参りました、キバナくんのお家の真ん前。
仕込み段階については、普段のキバナくんの優しさを鑑みれば楽勝だろうと思っていたが本当にチョロかった。あまりにトントン拍子に行き過ぎて謎の申し訳なさに駆られるほどだ。けれど、私には成すべき大役があるんだ。許せ。
ピンポーンとインターホンを鳴らすと、部屋の中からドタドタと慌ただしくキバナくんが出てきた。
「っ、約束って十一時のはずじゃ……」
私は予定していた時刻よりも一時間以上も早く到着していた。読み通りにキバナくんはスポーツブランドのロゴが入った軽装である。息が上がっているので私の強襲を受けるまでまさにトレーニング中だったんだろう。ナイスタイミングだ。
私はなけなしの演技力をかき集めて、努めて自然に振舞おうとする。
「え、あ、ごめん……時間を間違えちゃったみたい」
大根役者もいいところではあるが、バレたらそれはそれで言い訳が立たないのでもう押し切るしかない。迷惑だったよね、一回出直してくると矢継ぎ早に告げて顔を伏せるとキバナくんから待ったがかかった。ひっそりと口の端を持ち上げる。
紳士なキバナくんが彼女を追い出すなんて万に一つも有り得ないのだ。距離こそはしっかりとソーシャルディスタンスが保たれているが、あっさりと家に上げてくれた。
その頃には焦りの滲んだ表情もすっかり普段の優しい笑顔に戻っていて、そういうところはさすがスパダリだと思う。
「オレさま、着替えてくるからちょっと待っててな」
くるりと回ってこちらへ無防備な背中が向けられる。ノースリーブのトップスから伸びた長い腕はしっかりと筋肉がついていて綺麗な形をしている。しっとりと汗ばんだ肌は見るからに美味しそうだ。
これは行くしかない。
一つ深呼吸をして私は狙いを定めた。向かうべくは背筋がすんなりと伸びた大きな背中だ。幸いにもキバナくんの注意が逸れている今がチャンス。
「ひえっ……!」
勢いよく飛びかかって腰へと抱きついた。興奮のあまりに少々やりすぎた感は否めないが、キバナくんはさすがの体幹で耐えてみせる。
私が回した腕はきっちり一周してガッチリとキバナくんをホールドしている。この身長にしてこの腰付きはいささか細すぎないだろうか。エッチだ。
と、いかんいかん。まだミッションは完了していない。ここからが本題なのだから。
それでは、心ゆくまで堪能させて頂こう。
スゥっと空気を吸い込むとキバナくんが身を震わせて悲鳴を上げた。同時に香水とは違う酸っぱい匂いが広がる。これがキバナくんの体臭なのか。なるほど、とてもいい。
「やめてよぉ……」
弱々しく身動ぎするキバナくんはそれでも強引に振り払おうとはしない。自身の身体の大きさや力の強さから不用意に乱雑な動作をしないように心がけているらしい。なんと心優しい可愛いひとなんだ。
クンカクンカとハムスターのごとく顔を押し付けているとキバナくんがズルズルと座り込んだ。これでは高い位置にある首が丸見えだ。普段はヘアバンドで隠れている項も無防備に晒されている。スッキリと刈り上げられたラインは芸術的な美しさだ。
「っ……」
ゴクリと生唾を飲む私の前で首筋に一筋の汗が伝った。こんな光景を見せられて我慢できるやつがいるだろうか。少なくとも私には無理だ。
欲望の赴くままに頂きますと静かに手を合わせた。そして、そのまま大きな口を開いてカプリと齧り付く。
「うぁっ」
もちろん齧り付いたいっても甘噛みである。キバナくんの身体に傷をつけるなど言語道断だからだ。塩っぱいのはきっと汗だろう。私は夢中になってはむはむとキバナくんの項を味わう。
ああ、至福のとき――と浸っていられるも一瞬だった。
「ぎゃっ」
前から伸びてきた腕が私の頭をがっちりと掴んだ。そして何のマジックなのかキバナくんの首から引き離されると抑え込まれる。
無様に床に寝っ転がる私と上から押さえつけるキバナくん。形勢逆転である。
「な〜にしてんのかなあ?」
口元こそニコニコしているものの、キバナくんが激おこであるのは丸分かりだ。調子に乗って墓穴を掘った。すみませんでしたと叫ぶ私の声と同時に首に痛みが走る。
後日、キバナフィールドは全面的に解除される運びとなった。