純愛

 長い長い五日間を乗り越えてやっとたどり着いた金晩。もはや毎週恒例となった彼氏のお家でお泊まり会のため、身体的疲労はあれど気分は明るかった。というよりも連日の残業につぐ残業でランナーズハイみたいな状態だ。
 自身も忙しい身であるはずにも関わらず私が泊まりにくる日だけは早々に仕事を切り上げて帰ってきてくれる彼氏様はいつも通り草臥れた私を優しく迎え入れてくれる。
「今週もお疲れさま。いっぱい頑張って偉いな」
 よくヌメラに例えられるにぱっとした笑顔のキバナは癒し効果抜群だ。この瞬間が生きててよかったと一番思う。
 欲求のままにふらふらと歩み寄って抱きつくとその長い腕ですっぽり包み込んでくれる。
「ううっ、キバナだいすきぃ……」
「オレさまも大好きだぜ」
 うちの彼氏様、最高すぎないか? 今すぐその辺の通りすがりの人を捕まえて自慢して回りたい。嘘、こんなかっこよくて優しいキバナを他の人に見せたくない。だってこんなの好きにならないはずがないもん。
 キバナは脳内で葛藤を繰り広げる私を慣れたように抱え上げると靴を脱がせて運んでくれる。そのまま脱衣所へ連れて行きスーツだけ受け取ってシャワーへ放りこまれ、汚れをさっぱり洗い流してくると今度はスキンケアグッズを準備して出迎えてくれる。良い香りのするボディクリームを塗り込み、髪もトリートメントを付けて乾かしてくれる。それが終わるとキバナは小腹が減っただろうとキッチンに立ち、お手製のサンドイッチを食べさせてくれ、歯磨きまで面倒を見てくれる。
 気づけば寝る支度が整って私はキバナの広いベッドの上で寝っ転がっていた。流れるようなスムーズかつスピーディーな作業だった。これが世に言うスーパーダーリンというやつか。
 そう思ったところではたと気づく。私ばっかり尽くされすぎじゃないか。愛しの彼氏様に一方的に世話を焼かさせるのはアリなのか? いや、ナシだ。私だってキバナに尽くしたいに決まってる!
 ベッドサイド以外の明かりを消して隣に潜り込んできたキバナに構わずガバッと起き上がった。
「ねえ、キバナ! 何か私にして欲しいことないの?」
「え、オレさま? う〜ん、明日の朝飯はアボカドのサラダにしていい?」
 私の勢いにびっくりして目をまん丸くしたキバナは少し悩んでそう答えた。キバナの作ってくれるサラダはドレッシングまでお手製で私も大好きだ。そういえばさっき食べたサンドイッチにもアボカドが入っていた。
「もちろん、いいよ」
「助かるわ。家にあったの忘れてまた買ってきちゃってさ、余ってんの」
 明日の朝食に思いを馳せてニコニコする私にキバナがおやすみのキスをくれる。そして、そのまま横になろうとしてまだ目的が果たされていないことに気づいた。
「いやいやいや! そういうのじゃなくってさ!」
 危うく絆されて忘れてしまうところだった。キバナは私の奇行にコテンと首を傾げる。何それ、可愛い。
「もっと他にして欲しいことないの?」
「そう言われてもなあ。オマエがいてくれたらオレさまはハッピーだし?」
「キバナは私をどこまで惚れさせたら気が済むの……? 何でもいいからさ、ひとつくらいはあるんじゃないの?」
 私が食い下がると優しいキバナは長くて綺麗な指を口元に当てて考えてくれる。まるで写真集の中の一枚のように様になっていて、さすがはキバナ様だ。
 じっとその美しい横顔を見つめているとキバナが何かを思いついたのか、あっと声を上げた。
「なに!? 私は何をしたらいいの!?」
「……いや、特にないよ」
「そんなことないでしょ!」
「言われても困るだけだと思うし、本当に気にしなくっていいって」
 キバナが言い渋るなんて余程のことだ。私は瞬時にいくつかの可能性を思い浮かべる。キバナほど出来た人にひとつやふたつ人には言えない性癖があったっておかしくない。むしろ欠点がない方が人間味が薄いと言えるだろう。
 スケスケのセーラー服から始まり、ドSの女王様に裏を返して首輪を付けられた犬、大穴でバブバブ言うキバナをあやすプレイまでありとあらゆる状況をシュミレーションした。大丈夫、私はキバナの全てを受け入れる。絶対に受け入れてみせる。
 覚悟を決めてキバナの青い瞳を見つめると、真剣さが伝わったのだろう。形の良い眉毛がへにょっと曲がった。少し躊躇うように睫毛が伏せられてその美しさに見蕩れてるとキバナが聞こえるか聞こえないかくらいの声で言う。
「……オマエの、人権」
 私は取り繕うことも忘れて固まった。今、彼の口から出たのは何だったのだろう。声量が小さいとはいえ、キバナの綺麗な発音のおかげで聞き取れてはいた。しかし意味を理解することができない。
 オマエノジンケンなるものを私はキバナに捧げられるものとして持ち合わせていない。そして求められる理由も分からない。これは空耳か? きっとそうだ。私の耳がおかしいのだ。
「ええっと、もう一回言ってくれる?」
「人として生きる権利を失ったオマエを自分のモノにしたい」
 今度こそ聞き間違えと言えないほどハッキリキッパリ言いきられてしまい私は逃げ場を失った。確かにキバナが申告した通り言われても困るようなシロモノだった。
「私、キバナのこと大好きだからどこにも行かないよ?」
「でもオレさまにオマエを所有する権利はない。人権がなければ、オマエは野生のポケモンと同じ扱いだ。トレーナー登録で誰にも奪われないようにできる」
 そんな横暴な、と思ったが私を見るキバナの瞳は真剣そのもので茶化すことはできない。
「オマエが生きるために必要な全てをオレさまの手で用意する権利も義務も生まれる。自宅に閉じ込めて外に出さないことだって誰からも咎められない」
「で、でも仮にキバナの手持ちになったとしたら恋人になれないし結婚もできないよ?」
「オマエがオレさまだけを見てくれるなら肉欲なんてどうでもいいんだ。死ぬまでオレさま以外に愛されることも愛することも無くなるならそれでいい」
 私は返す言葉が見当たらなくて押し黙った。キバナは言葉の過激さに似合わず穏やかな表情をしている。常識的に考えればきっと酷く歪んでいるのだと思うけれど、ただの狂愛だと言ってしまうには純粋さが残り過ぎていた。
 受け入れるとも受け入れないとも答えられない私に、キバナは緊張感をかき消すようにいつもの笑顔を見せた。
「心配しなくても困らせるようなことはしねえよ。オレさまの隣で幸せそうにしていてくれたら十分だ」
 私が流されるように曖昧な返事をするといつの間にか冷えてしまった右手にキバナの左手が重ねられた。
「じゃあ、今度こそおやすみ」
 すっかり照明が落とされて真っ暗になった部屋の中で、私はまだキバナの言った言葉を考えていた。キバナは優しい人だ。きっと無理強いはしないだろう。言葉通りキバナの隣で幸せそうにしている限りは
 しかし、もしもキバナから離れるようなそんなことがあればどうだろう? 笑顔で、は無理だとしても聞き入れてくれるのだろうか。ありもしない未来を想像すると背中に寒気が走った。急に繋がれたままの右手が怖くなって引き抜こうとするがびくともしない。ドクドクとうるさい心音を感じながら私は眠れない夜を過ごすことになった。