一目惚れ

 一目惚れだった。

 大器晩成型と言われながらも幼い時から気高い心を持つ彼らは扱いづらいと忌避される反面、その力強く美しい姿に皆が魅了された。私もその大勢の中の一人である。幼くして魅入られてしまった私は彼らのことをもっとよく知りたいと本を開いているうちにいつしか天才と呼ばれ、飛び級して大学へ入っていた。ナックルユニバーシティはドラゴンタイプのジムとして長い歴史を持つナックルジムとも共同研究を行っていて、私にとってまさにうってつけの場所だ。今までとは桁違いの情報量に知識欲が刺激される。周りから付き合いが悪いと遠巻きに見られていることもお構いなしに私は没頭し続けた。
 そうして一年が過ぎた頃に一人の少年が後輩になった。彼は私と同じく飛び級で入ってきて私より三つも歳下だった。歳が近いし同じ飛び級の天才同士で通じるものもあるだろうと面倒を任されたが、彼は私と違ってホンモノの天才だ。努力がどうこうではなく元の頭の回転が早い。人好きする笑顔で周りとの関係を良好に築きつつも、勉学に励み論文を書かせれば教授が思わず唸るほどの出来栄えだ。そんな才能の塊に嫉妬しなかったと言えば嘘になるが、それ以上に強烈に憧れた。そして何より彼もまたドラゴンに魅入られた人だった。
 小さな顔を半分ほど埋め尽くす野暮ったいメガネの奥に潜む瞳はよく澄んだ青空の色だ。普段は大人しいけれどドラゴンを前にすると途端に煌めき始める。彼はポケモンの扱いにも長けていて気難しいドラゴンによく懐かれていた。そうして寄り添っている姿は群れの幼いドラゴンを可愛がるような雰囲気さえ滲ませる。彼自身もまたドラゴンのように崇高な魂を持った人のように思えてならなくて、私は夢中で見続けた。そして気づけば将来の教授候補として育てられている彼の補佐のような立場におさまっていた。他人からは年下の腰巾着なんて恥ずかしくないのかと笑われたがそんなことどうだって構わなかった。だって彼はホンモノだ。私は彼以上にドラゴンを愛し、その本質を理解出来ている人を知らない。今にきっと彼は全世界に名が知れ渡る学者になるだろうと私は疑わなかった。あの時までは、

 彼がポケモントレーナーになると言って卒業と同時に大学を出ていた時は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。だってそんなこと誰も知らなかったのだから。彼のことを目にかけていた教授達は渋い顔をして才能はあるが精神が未熟すぎると苦言を呈した。
 私はというと、突然すぎる出来事に道に迷った子供のように呆然としていた。胸を占めるのは置いていかれてしまったという空虚感だ。私は彼の右腕としてずっと傍にいるのだとそれを目標に熱心に研究に取り組んできた。いくら地元では飛び抜けて出来ていたとはいえ大学ではできる者達ばかりが集まる。振り落とされないように必死に追いかけて、時には自分の才能のなさに絶望しながらも食いついてきたのにこんなあっさりと捨てられてしまうなんて信じられなかった。そもそも何の約束もしていないのだから彼の自由だ。理性では分かっていたけれど感情が追いつかない。裏切られたとまるで被害者のような気分になってしまう。
 彼はさすがと言ったところだろうか。彼の飛び抜けた才能はポケモンバトルのフィールドにおいても十二分に発揮され、次々にジムを突破していった。そのうちメディアにも取り上げられ始めて歳の近い現チャンピオンのライバル役として囃し立てられた。知りたいとも思ってもいないのに入ってくる情報に心を乱されながらも私は頑なに彼の試合を見なかった。見てしまったら最後、彼が私を捨てて旅立っていってしまったのは正解だったと納得してしまうだろうから。これだけ心を乱されておいて簡単に許したくない。そんなつまらない意地を抱えたまま私は研究を続けた。
 彼はやがてナックルジムにジムリーダーとして迎え入れられるとその美しい外見を生かして派手なパフォーマンスをし始めた。ファッション誌の表紙を飾る姿は大学にいた頃の面影がまるでない。そのことに気づいてようやく私が好きだった彼が居なくなってしまったのだと気づいた。諦めがつくと耳障りで仕方がなかった彼に関する情報も上手く聞き流せるようになり一人ぼっちの平穏を取り戻した。

 きっとそのまま一生、話すこともなく生きていくんだろうと思っていた。そして私はそのつもりだった。それが何の縁だかナックルジムとの共同研究のチームリーダーに選ばれてしまった。もちろん責任者である彼とも顔を合わせることになるだろう。若くしての大抜擢だと湧く周囲に私は断るという選択肢は残されていなかった。
 発足前に一度顔を合わせておきたいと呼び出され、私は一人ジムを訪ねた。応対してくれたジムトレーナーはとても愛想がよくジム全体の雰囲気の良さが窺えた。彼がトップに立つのだから当然のことだろう。この後に及んでも彼に対する尊敬の念が消えない自分に苦笑しながら案内された執務室のドアを開いた。
「久しぶり。十年以上振りか?」
 私よりも小さかった背は見上げるように高くなり、甘いマスクは惜しげもなく晒されている。まるで別人のようだ。
「お久しぶりです。この度はチームリーダーに推薦していただきありがとうございます」
 おそらく彼が選んだのではないだろうが建前として礼を述べると、彼は堅苦しいのはいいと手をヒラヒラ振って分厚い書類の束を差し出した。複数枚をめくって中を確認するとナックルジム内の研究チームからの報告書だった。彼は詳しいことは報告書を読んでくれと言いながら現在の経過について掻い摘んで説明してくれる。
「という訳だ。オレさまが直接、指揮を取れればいいんだがあいにく時間的余裕がない。バックアップはするが全面的にオマエに動いてもらうことになると思う。頼めるか?」
「……私では力不足かもしれませんが全力を尽します」
 自信がなくてそう答えた訳ではなかった。今まで積み重ねた経験値から冷静に判断すれば出来ると確信していた。
 これはただの意地だ。まだ大学にいた頃、彼はよく私に頼み事をしてきた。小さいことから大きいことまで何一つだって断ったことはない。頼めるか≠ニその言葉だけで彼から信頼を得ているようなそんな気がして二つ返事で頷いていた。実際は私の思い込みにしか過ぎなかったのだけれど
「本当にそう思ってんの?」
 突き刺すような鋭い声に顔を上げて彼の顔を見ると蒼い瞳が静かにこちらを見据えていた。まるで子供っぽい駄々をこねた私を心の奥底まで見通すようで小さく身震いをする。
「……はい、私よりも優秀な者はたくさんいますから」
 そんなことしか言えない自分に羞恥心を感じて俯く。静かな部屋に彼が立てる足音が控えめに響く。彼の履くスニーカーのつま先が視界に入って止まった。
「オレさまはこのプロジェクトを任せるならオマエしかいないと思ってたんだけどな。買い被りだったか?」
 暗に私を抜擢したのは自分だと匂わせるような言葉に心臓が大きく音を立てた。
「お、覚えて…………?」
「当たり前だろ。オレさまと対等に話せるのオマエくらいだし。あーあ、忘れてると思われてたなんて心外だな」
 茶化すように悲しいと泣き真似をしてくる彼は確かにあの頃の彼とは違うように見えたけれど間近で見たその瞳はあの頃と同じく美しいままだ。目が曇っていたのは私の方だった。姿や言動が少しばかり変わったくらいで、あの気高い魂は変質したりなどしない。どうしてそれに気づかなかったのだろう。
「もう一度、聞くぜ。頼めるか?」
「っ、もちろん!」
 私の愛するドラゴンは満足気に微笑んだ。