控え室

 関係者用の通用口に戻ってきたキバナさんはまだバトルの余韻が抜けないのか鋭い視線をこちらへ向けた。お疲れ様ですと声をかけてタオルを差し出すと、無言で頷いて受け取り汗を拭う。常とは違う素っ気ない態度に何か考え事をしているのだと察する。無理もない。先程のバトルは大接戦で会場を目が眩みそうなほど熱気で包み込んだ。あとほんの少し指示のタイミングが違えば、あるいは相棒達のコンディションが変わればどちらに転んだっておかしくなかった。ファンサービスを大事にするキバナさんらしく観客の前ではいつもルーティンを行っていたが、ここはもう外からは見えない。
 深い思考の海に潜るキバナさんの邪魔をしないように静かに控え室へと先導する。試合後は相棒達のケアやバトルの分析に時間を当てているから今日の仕事はもう終わりだ。イレギュラーに備えて部屋の前に立っていると、しばらくしてキバナさんから声をかけられた。
「悪い。ちょっと考え事してた」
「大丈夫です。特に来客もありませんでしたから」
 汗をかいているから着替えたいだろうと中には入らずにいると、口をへの字に曲げたキバナさんにズルズルと腕を引かれてしまう。
「あの、何かありましたか?」
「肩貸して」
 突然のことに困惑していると簡潔に返され、熱が冷めないままの手が二の腕を掴んで動けなくされる。そしてそのまま長い体躯を曲げると私の肩口に額を押し付けられた。甘えるような仕草とは反対に深く呼吸をする様は興奮した獣のようだ。汗でじっとりと濡れた首筋が視界に入って唾を飲んだ。
「キバナ様……!」
「何?」
「ち、近いです」
「汗臭かった?」
「そうじゃなくて……」
 確かに汗の臭いは強い。けれどそれは不快ではなくて、何と言うかちょっと良くない。体臭がするほどの距離感で触れ合うことなんてプライベートの時くらいだ。もっと言うならそういうことをする時で、嫌でも意識してしまう。おまけに今のキバナさんはすごく色っぽいし。私の精神衛生上とても悪い。でも、そんなことストレートに告げるのは恥ずかしくて無理。もじもじとしりごんでいるとキバナさんが吐息だけで笑う気配がした。
「もしかして欲情した?」
「〜〜っ!」
 確信をつく言葉に声にならない声が出る。慌てて離れようとキバナさんの胸を押すが、力の差は歴然なのでビクともしない。仕事モードのスイッチが今にも落ちてしまいそうで必死で離してくれと訴えかける。本来なら控え室でこんな距離感でいること事態が間違いなのだ。キバナさんだってそれをわかっているはずだ。
「キバナ様! 誰か来たら困りますし離してください!」
「試合後は人払いしてんのオマエも知ってるだろ? そうやって逃げられると余計いじめたくなる」
 顔を上げたキバナさんと視線が合う。バトルの時と同じ表情なのに、欲をドロドロに溶かした瞳をしていて背筋がゾワゾワする。いつものような優しさだけを詰め込んだそれとは違う。こんなの私、知らない。
「付き合ってくれるよな?」
 ―――拒否権はなかった。