「で、アンタはなんて言ったの?」
「“解釈違いだからごめんなさい”」
今日だけでもう何度目かになる問答に、友人は再びお腹が痛いと言って笑い転げた。よくもまあ同じネタでそうも笑えるものだ。
長話のし過ぎでぬるくなったコーヒーに口をつけながら冷めた目で見る。こっちは真剣に悩んでいるのだから少しは一緒に考えてくれてもいいと思うのに、一向にまともに取り合おうとはしない。
「……本当に困ってるのに」
「うんうん、たくさん悩んで早くくっ付いたらいいんじゃない?」
「そういうのじゃないって言ってるでしょ!」
そもそもの発端は私の見通しの甘さにある。
私はかれこれ数年ほど同じ相手に片思いをしている。それも絶対に報われないタイプのやつ。相手が既婚者かというとそういう訳ではなくて、本人がフリーだと言っていたから見かけ上のチャンスはある。
ただどう甘く見積っても私では分不相応としか考えられないのだ。それほどまでに彼は非の付け所のない人だった。分かっているのなら始めから惚れるなという話だが、私だって好きになってしまうとは夢にも思わなかった。
きっとモテるんだろうなあ、友達だと言いながら好きになってしまう子もいるんだろうなあと考えていた当の本人がこのザマなのだから彼は人を狂わせる魔性だ。
そうして募りに募った思いを捨てきれずにぶちまけてしまったのだ。
『私、キバナさんが好き』
何の前触れもなく投げかけた告白にキバナさんの青い瞳がまんまるに見開かれる。
だって、それもそうだ。私はキバナさんに気がある素振りなんて一度も見せたことがなかったのだから。
この恋が実を結ぶとは全く考えていなくて、私自身もそれを望んでいなかった。告白したのはただ知っていて欲しかったからにすぎない。叶わずに消えるしかない恋心にせめても報いてあげたかった。まあ告白される方からしたら、たまったものではないだろうが
キバナさんはたっぷり数十秒ほど黙り込んだ後に口を開いた。
『ありがとう、嬉しい。オレも好きだよ』
返ってきた言葉に今度は私が目をまんまるにした。予想外の事態だ。
両思いだなと照れたように言いながら私の手を握ろうとするキバナさんから飛び退くように距離を取った。それは私が望んでいた答えじゃない。
『解釈違いなのでごめんなさい』
拒絶の意思を見せられてキバナさんが驚いているのは分かったが、他人を気遣う余裕なんてものが私にある訳ない。言葉の意味も理解せずにそう言い捨てて走って逃げた。
キバナさんからすれば何のことだか全く訳が分からないだろう。告白されてOKしたのに、ごめんなさいだなんてタチが悪すぎる。
でも私だってまさかそんな返事が帰ってくるとは思わなかったのだ。許容量を軽くオーバーした不測の事態に逃げるしかできなかったのも致し方ないことだろう。
それから一週間が経ったわけだがキバナさんからは何の音沙汰もない――ことはなかった。それどころかまるであの時のことがなかったかのように連絡が来ている。
凡人の私にはキバナさんが考えていることは到底、理解できそうもない。平常通りに返事ができる自信もなく無視を決め込んだ。
それでも日に日に増えていく未読メッセージの数が気にならないほどメンタルは図太くなくすっかり参ってしまった。だから、こうやって愚痴を聞いてもらっているという訳だ。まあ友人は笑ってばかりで何の役にも立っていないのだけれど
さすがに笑いすぎだと怒ろうとしたところで、友人が何故かピタリと口をつぐんだ。そして横を向いたまま驚いたように目をパチパチと瞬かせるので私もつられて首を捻る。
「はーい、解釈違いなキバナくんです」
横からニュっと現れたのは今まさに話題の人物で、驚きのあまりに心臓が止まりそうになった。
そんな私にお構いなしにキバナさんはニッコリ笑って友人に同席の許可を求めるとあっさり許されて隣の席に着いた。
裏切り者めと頑なに隣を見ずに友人を睨みつけたが、どこ吹く風と言った調子で効果はない。
「さてと、邪魔者は退散するとしますか。後はお願いしますね、キバナさん」
「えっ、待ってよ!」
薄情者の友人はキバナさんとのあれやこれやを知りながら私を置いていくつもりらしかった。一緒に帰るとついて行こうとしたが、長い腕が伸びてきてがっちりと捕えられてしまう。
「おう、ありがとうな。この礼はどこかで」
「カブさんの直筆サインで手を打ちますよ」
「裏切り者……!」
「あはは、頑張れ」
ちゃっかりと推しのサインを確約すると気のない応援の言葉を残して友人は本当に帰ってしまった。
「……信じられない」
いつかは向き合わなければいけないにしてもしばらくは逃げ回るつもりだったのに予定が狂ってしまった。キバナさんもキバナさんであんなことがあった後なのに気にした様子もなくて本心がよく分からない。
マイペースに追加のコーヒーを注文し始めるキバナさんの隣で私は大混乱だ。
「オマエの分のおかわりも頼んどいたぜ」
「いりません。もう帰りますから」
「まあまあそう言わずにさ、これでもちゃんと用事があって割り込んだんだって」
キバナさんはそう言うとテーブルの上にクリップで留められた紙の束を出した。まるで何かの書類のようにパソコンで打ち込まれた文字列を目で追いかけ、その内容に眉をしかめる。
「何ですか、これ」
「ん? 見れば分かるじゃん」
見ても分からないから尋ねているのにキバナさんは意地悪だ。仕方なしに紙の束を手前へ引き寄せ、中身をパラパラとめくっていく。
内容は、とある人物についての詳細なプロフィールだ。彼のファンからしたら垂涎もののオフショットが惜しげもなく使われている。
努めて難しい顔をするように意識しながら紙の束をキバナさんの方へ押しやるが、ニコニコと微笑むだけで受け取ってはくれなかった。
「今日からキバナ強化期間な」
「嘘ですよね?」
「まあ本気じゃなかったら、こんなもの作らないよなあ。解釈違いだなんて言われちゃったし、ちゃんと正しておかないとなあと思ってさ」
テーブルの上に置かれたままの紙の束はキバナさんが言う通りの表紙が付けられている。タチの悪い冗談だと思いたかったが、その分厚さが真実味を後押ししていた。
「……この前も言いましたが、私にキバナさんとどうこうなる気はありません」
「うん、知ってる。でもオレもさ、はいそうですかって引き下がれないのよ」
再度の断り文句もまるで効いた様子はなく、あっさり拒否されてしまった。打つ手なし、これが詰んだというやつだろう。困って視線を逸らす私にお構いなしにキバナさんは話し続ける。
「好きな人から告白されたのに、あの返事はないよなあ」
「…………」
「ふふ、ちょっと意地悪しちゃうのも許せよな。これでも結構へこんでんの」
全くそうは見えない上機嫌さでキバナさんが笑う。余裕ありげにコーヒーカップに口を付ける姿は何かのCMのようでこんな事態でもなければ呑気に見惚れていただろう。
「安心しなよ。落第点のオマエのために特別サービス、居残りレッスンだ」
「居残り……?」
「そう、まあお泊まり会ってやつかな」
とんでもない提案をされて私は即座に無理だと叫んだ。
こんないい年頃の男女が二人でお泊まり会だなんて普通じゃない。しかも告白した女と告白されたのに振られた男が、なんてもっと有り得ない話だ。
「強化期間って言ってもオレもオマエも仕事でロクに会えないじゃん。同じ家に住んだら全部解決だ」
「私は望んでません!」
「キバナさまのあんな姿やこんな姿が見れちゃうかもしれないのに?」
誘うように不敵に微笑まれて思わず息を飲む。自身の魅力を最大限に理解しているキバナさんはどう振る舞えば相手が自分の思い通りになるかをよく理解している。
「ファンの領分は超えない主義なので」
どうにか絞り出すようにそう言うが、キバナさんの余裕ありげな態度は崩れない。
「とっても良識的なファンでオレさま嬉しいな。でもそれは正解じゃない」
「……本当に無理なんです。もう私のことは放っておいてください」
キバナさんの猛攻に耐えきれず潔く白旗を上げる。縋るようにキバナさんを見ると少し困ったように首を傾けた。
「んー、じゃあ取り引きしようぜ。お泊まり会に付き合ってもらう代わりに、もしこれで気持ちが変わらなければ元通りの関係に戻るなんてどう?」
「元通りって」
「告白をなかったことにして、今まで通り気の合うオトモダチでいてあげる」
破格の条件に気持ちがぐらりと揺らぐ。こんな事態になってしまって告白したことを一番後悔しているのは私なのだ。
「……泊まりは無理です」
「別に一緒に寝る訳じゃないんだからいいじゃん」
「それは当たり前です!」
「じゃあ、気まずくなって疎遠になっちゃってもいいの? オレは嫌だなあ」
私が受け入れると思って疑わないのだろう。悲しいと泣き真似をしつつもふざけた調子だ。
「仮に何のしがらみもない友達だとしても二人っきりで泊まりだなんてしませんよ」
「身持ちが固くて安心だ。でも、それだとオレが困るんだなあ。ちゃんとゲストルーム用意するしルームシェアだと思えばいいよ、な?」
一歩も引く気がないキバナさんとじっと見つめ合う。私だってワガママを言えるならまだ友達でいて欲しいに決まってる。けれどキバナさんの思惑にはのりたくない。
頭の中であれこれと考えるが、どうするべきかはとうとう答えが出なかった。キバナさんより先に視線を逸らしてため息をつく。私の負けだ。
「……約束、守ってくださいね」
「ふふ、もちろん」
思い通りに事が進んで上機嫌なキバナさんを前に私の気は重い。返事をしてまだ数分も経っていないが、もうすでに後悔すらし始めている。
キバナさんがお泊まり会についていろいろと話しているのを聞き流しながら未来の自分の身の上を心配する。この調子で攻め立てられていれば陥落するのも時間の問題だ。
「なあ、ちゃんと聞いてる?」
上の空な私に気づいたのだろう。少し不機嫌さを滲ませた声で咎められる。
「……すみません、聞いてませんでした」
「しょうがないなあ。ほら、もう一回言ってやるから耳かしてみ?」
素直に謝るとキバナさんはあっさりと許してくれた。ちょいちょいと手を招かれて身を寄せるとキバナさんは私の耳元に手を当てる。
「ちゃんと勝負下着持ってきなよって言ったの」
一瞬、何を言われたのか分からなかったが、時間差で囁かれた言葉の意味を理解して頭が熱くなる。
「なっ!?」
一体、何の話をしているんだ。怒りのままに抗議しようとキバナさんを見上げて睨みつけた。
はたしてキバナさんは唇の端を吊り上げてニコニコ笑っていたが、その瞳は冷めきった色をしていた。
そこで私はようやく気づいた。ずっとキバナさんは私を揶揄っているのだと思っていたが、それは大きな間違いだったのだ。
「キバナさん、もしかして怒ってますか?」
そう問いかけるとキバナさんは何のことだか分からないというように首を傾げた。
もちろん笑顔のままで、だ。それが何よりの答えだった。キバナさんは本気で怒っている。
「ふふ、オマエはいいよなあ。自分の言いたいこと言って、聞きたくないことは拒否したらいいもんなあ。すっきりした?」
淡々と問い詰めてくる様は静かだが、余計に恐ろしく感じてしまう。
そもそも温厚で知られるキバナさんがこうして誰かに腹を立てているところなんて見たことがない。アンチと呼ばれる人達に失礼な態度を取られようとも、丁寧な態度を崩さずあっけからんと笑っていたのだ。それほどまで私は許せないことをしてしまったのだと今更ながら痛感する。
「……自分勝手だったと思います。ごめんなさい」
「うん、許さない」
間髪入れずに謝罪を跳ね除けられて無意識に身体がビクリと揺れた。そんな私の様子にキバナさんは困ったように苦笑する。
「そんなに怯えなくても無理強いはしないって、オレは紳士だからさ」
キバナさんが乱暴するような人ではないのは私がよく知っているが、今のキバナさんを見ていると本能的な恐怖感は拭えなかった。
こんな状況だというのにキバナさんはどこか楽しそうに見える。
「オマエの言うキバナってきっと吐き気がするほどいい子ちゃんなんだろうなあ」
膝の上で握りしめていた手にキバナさんの大きな手が重なった。相棒のポケモン達にするように優しく手の甲を撫でられた。そしてそのまま握りしめられて、大きく引っ張られた。
痛みを感じるほどの力強さに私はなすすべもなく胸の中へ倒れ込んだ。身を屈めたキバナさんと息づかいが分かるほどの距離感で見つめ合う。
「嫉妬で狂っちゃう前にホンモノのキバナを受け入れてくれよ?」
キバナさんは私の知らない顔で笑っていた。