彼女のものをすり替えちゃうダンデくんの話

 最初に気づいたのは、ティーカップだった。たまたま入った雑貨屋で見つけたそれは衝動買いするには高すぎたけれど、デザインが私の好みど真ん中でつい奮発して買ったのだ。絶対に割らないようにと特別なティータイムの時だけに使っていたのだが、私の不注意により落として底が欠けてしまった。その時は随分と落ち込んでいて、お財布は痛むけどやっぱり新しいものを買おうと同じ店に行った。しかし、そのティーカップは一点物だったらしくもう同じ物は存在しないと言われてしまい泣く泣く欠けたままで使っていたのだ。それがふと底を見れば欠けた箇所が元に戻っていた。
 他の物だったら記憶違いかなと思ったが、このティーカップだけは有り得ない。お気に入りのティーカップが戻って嬉しい気持ちよりも気味の悪さが込み上げてくる。
 一度そういうことが起こってしまうと全てが疑わしく思えてきて私物に付いた傷は逐一、写真を撮って記録を残した。すると数日後にその傷が綺麗さっぱり消えていたのだ。正確に言うと傷が消えるはずなんてないから誰かが新しいものと入れ替えているはずだ。物自体はなくなっていないし貴重品の類は無事となると考えられるのはストーカー。自分には無関係だと思っていたから急なことに恐怖心が膨らむ。すり替えられたと確証を得ていない物でさえ、もしかしたらと思うと嫌悪感が勝って家中の物に触れられなくなる。そんな状態で生活ができる訳がなく、私は通話履歴の一番上の番号へ電話をかけた。
「ダンデくん、たすけて」




 私の声を聞いたダンデくんはすぐに行くと言ってタクシーで迎えに来た。気が昂りすぎて事情をロクに説明できない私に自分がいるから大丈夫だと力強く言ってひとまず自宅へ連れ帰ってくれる。
 家へ入るとダンデくんの匂いに包まれて何だか気が緩んでしまう。不意に零れた涙はダンデくんに優しく拭われた。そんな私の様子に今日は休んだ方がいいと言ってバスルームへと案内される。なんなら洗ってやろうかと茶目っ気たっぷりにウインクしてくるダンデくんの気遣いで少しだけ元気が出てきた。
 温かいシャワーを浴びて落ち着きを取り戻した私はそういえば着替えを持ってきていなかったと気づくが、脱衣所にはダンデくんのものと思われるTシャツが用意されていた。着てみると随分とブカブカでワンピースのようだ。鏡に映る不格好な姿に笑ってしまう。不安感や恐怖心はなくなった訳じゃないけれどダンデくんがいるから大丈夫と思えるくらいには回復してきた。
「お風呂ありがとう」
 リビングへ戻るとダンデくんはメガネをかけて読書をしていた。私が声をかけるとすぐに本を閉じて自分の隣をポンポンと叩く。促されるままに横に座って甘えるように右半身をくっつけるとダンデくんの体温が伝わってくる。
「もう寝るか?」
「ううん、話す」
 そのままの体勢で私は出来事を初めから説明していく。ダンデくんはその間ずっと手を繋いでいてくれた。思い出すとやっぱり怖かったけれどダンデくんがいてくれたおかげで最後まで話せた。
 ダンデくんは黙って聞いてくれて私の話が最後まで終わるとあっけからんとして言った。
「何だ、そんなことか」
 思いもよらない反応に心臓をギュッと掴まれたみたいに息が苦しくなる。そんなことと何でもないことのように言われてしまってどうしようと焦る私に気づかないダンデくんはさらに口を開く。突き放されるのが怖くてギュッと目をつむった。
「それ全部オレだぜ」
「え?」
 驚きすぎて上手く言葉が飲み込めない。ダンデくんが私の物を全て取り替えていたのだと話すのをただ呆然と聞く。勝手に合鍵を使って悪かった。次からは連絡してからやる。そう言い出すダンデくんに混乱しつつもどうにか疑問を投げかける。
「ちょっと待って、何でダンデくんがそんなことするの?」
「自分のものを自分で見繕うのは当たり前だろ?」
 全然当たり前じゃないよ。そうは思ったけれど、ダンデくんはさも当然のことのように言ってのけた。ダンデくんと私の常識は違うのか私が困惑しているのを見て首を傾げている。
「ええっと、ね……私もちゃんと働いてるから自分の物は自分で買えるよ?」
「知ってるぞ!」
「あ、うん、わかってくれてたらいいの。だから、これからはしないで欲しい」
「イヤ、なのか?」
 ダンデくんのマイペースに押されつつも自分の主張をしてみるが、悲しげに下げられた眉根にウッと言葉を詰まらせる。確かに勝手にされたのは怖かったけれど、物をすり替えるのはダンデくんなりの愛情表現だったのかもしれない。そう思うと何だかバツが悪くて強く言えない。
「イヤじゃないよ! でも、ほら、……物がもったいないし?」
「では、今度からキミの使う物はオレが用意するぜ!」
「そうじゃなくって……! ダンデくんだって自分の物は自分で買いたいでしょう!?」
 ヤケクソで言ってしまった言葉にダンデくんの目がキラキラ輝く。
「キミもオレの物を見繕ってくれるのか!」
 嬉しい嬉しいとまるでワンパチのようにしっぽをブンブン降っている幻覚が見える。ダンデくんが喜ぶのなら尽くすのだって否やはない。ないのだが、あいにく私のお財布はダンデくんのと違って底がめちゃくちゃ浅い。有名人のダンデくんが身につけるようなものを用意できるわけがない。
「ご、ごめん……」
「そうか、そうだよな。……オレの方がキミを好きなのは元から分かっていた。いいんだ、キミがオレの隣にいてくれるだけで十分だ」
 すっかり意気消沈してしまったダンデくんが見ていられなくて、何よりダンデくんへの気持ちを軽く見られてしまったのが納得がいかなくて気づけば語気を強めて言い返していた。
「わ、私だって! ダンデくんのこと、いっぱい好きなんだから! 出来ることなら何でもしてあげたいって思ってるもん!」
 薄給なのは私の能力ではどうにもならないが、愛情表現ならいくらでも出来る。ちょっと、いやかなり恥ずかしいけれどダンデくんのためなら毎日愛を囁いてやるんだ。私の溢れんばかりの気持ちが伝わったのかダンデくんはありがとうと表情を緩ませた。外では見せない、私だけが見られるふにゃふにゃの笑顔にキュンキュンしてしまう。やっぱり好きだなあって気持ちを噛み締めているとダンデくんはスっと私の前に一枚の紙を差し出した。
「これならサインひとつで大丈夫だぜ」
 一番上に書かれた文字は婚姻届。それもちゃっかり私のサイン以外の箇所を埋められている。何でこんなものが出てくるんだとダンデくんを見るが笑顔で有無を言わせない。確かにこれなら金銭は関係ない、のだがそう簡単にするものでもない。本気なのかよくわからなくて固まってしまう。
「どうしたんだ? 書かないのか?」
「ええっと、ちょっとそれは考えさせて欲しいというか……?」
 さすがに今すぐ結婚の決断なんて無理だ。反応を伺おうとチラリと横目で見ると冷えた双眸がこちらを見据えている。はじめて見る姿に急な寒気を感じて身を震わせた。
「そうか。なら仕方ないな」
「う、うん、ごめんね」
「いや気にしないでくれ。ただ、―――この婚姻届にサインしなければ、キミの戸籍が消えてしまうんだ」
「え? 戸籍が消える?」
 何の脈絡もなく無茶なことを言われて冗談かと笑おうとしたが、ダンデくんが本気のように見えて出来なかった。確かにダンデくんなら出来ないことはないだろう。そう思えてしまうのが恐ろしい。
「とても不思議だろう?オレとしてはキミをオレの所有物にするよりも奥さんにしたいんだがどうだろうか?」
 冷えた目はそのままに口元だけを吊り上げて笑みとも言えない表情でダンデくんは優しく諭すように繰り返す。逆らってはいけない。本能的にそう感じてぎこちない手を動かしながらダンデくんの名前の横にサインした。
「ありがとう! 嬉しいぜ!」
 婚姻届を私の手の届かないように遠ざけながらニパッと笑う姿に困惑が隠せない。ダンデくんはあんな表情をする人だっただろうか。少なくとも私は知らない。私のよく知るダンデくんは太陽のように温かく笑う人で、情に溢れていて……
「これからは全部オレが面倒見てやるからな。肌に触れるものから食べるものまでオレだけがキミに干渉できる」
「ダ、ダンデくん」
「心配しなくていいぜ。キミがいい子でいてくれたら、オレは優しいダンデままだ」
 そう言って私の手を握ったダンデくんは私の大好きなダンデくんの笑顔だった。私はとっくにストーカーなんかよりも厄介なものに捕まっていたのかもしれない。