『久しぶり。元気にしてるか?』
同郷の幼馴染から十年以上振りに連絡が来た。驚いて迷惑メールではないかと名前が表示される欄を三度も確認してしまった。そして思ったのはまだ連絡先変えてなかったんだという至極どうでもいいことだ。いや、それは私も全く同じことなんだけれど。でも幼馴染のような有名人が同じ連絡先を使い続けるなんてレアケースじゃないか。まだ十歳の時に作ったから当然、同郷の者達にも知られている。小さな田舎町から出た有名人とお近づきになりたい連中は腐るほどいる。ほとんど話したこともないような同期から連絡が殺到しているだろうに面倒じゃないんだろうか。
いくら現実逃避に時間を費やしても、幼馴染のアドレスは本物で彼から連絡が来た事実は変わらなかった。面倒だという気持ちが胸を占めていたけれど放っておくのも何だか違う気がして素っ気ない返事を返す。話を広げる気なんて全くない文面にすぐ途切れるだろうと思っていた連絡は幼馴染からの質問攻めによって辛うじて続いた。彼も知っている手持ちの話から近況まで内容は様々だ。私は別に彼のプライベートに興味はなかったし、立場上聞かれても困るかなと何も聞き返さないので必然的に私ばかりが語ることになる。こんな会話で楽しいのだろうか。疑問に思いつつそんなやり取りをしばらく繰り返して唐突に故郷の話が出た。
『ハロンは今、紅葉が見頃らしい』
まあそれはそうだろうなあと思う。比較的都会なこの辺でさえ冷え込んできのだからハロンはもうすっかり秋に違いない。とはいえチャンピオンの出身地という以外に取り立てて何もない田舎町に紅葉狩りスポットなんてあるはずがないので、ただその辺の木々が色付いているだけだ。
この流れからいくと見に行こうと誘われるんだろうと思っていると本当に予想通りになった。いつが空いているかと半ば強引にスケジュールを聞いてくる様は昔から何一つ変わっていない。スマホを何となしに眺めながら少し思案した。彼のような有名人と連れ立って歩くのはよく目立つが地元のハロンなら幾分かマシだろうか? このまま断ってしまうのも角が立つしなあ。悩んだ末に了承の旨を書いて、日付は平日を指定した。少しでも人が少ない方がいい。もしかしたら仕事でキャンセルされるかもしれないという淡い期待も虚しくあっさり二つ返事で予定は決まった。
当日の朝は気持ちの良い晴天でまさに絶好の行楽日和だ。待ち合わせの場所は駅を指定してある。人が少なく閑散としていて、どこかから逃げ出してきたウールーがまったりお歩いている姿を見ると地元に帰ってきたことを実感する。約束の時間まではまだ少し時間がある。適当なベンチに座って待っていると、時間ぴったりに空から大きな影が差しオレンジ色の巨体が降りてきた。
「待たせてすまない。少し道に迷ってしまってな」
本人はしっかり変装してくれているが、相棒のリザードンに乗っていれば誰なのか丸分かりである。突然のスターの登場に周囲がざわつき始める。不味い。このままでは囲まれて紅葉狩りどころではなくなってしまう。慌ててリザードンをしまうように促して彼を連れてその場から離れる。目的地を聞いていた訳ではないが大体の予想はついている。昔よく遊びに行っていた森の近くだろう。喧騒が聞こえなくなるまでグイグイ腕を引く私に彼は状況をまるで理解出来ていないのか楽しそうに笑っている。
「ふふ、こうしていると昔に戻ったみたいだな」
その言葉に私はパッと手を離した。彼がまだチャンピオンではなく片田舎の短パン小僧だった頃、私達はよく手を繋いでいた。だって少しでも目を離すと彼はすぐ迷子になってしまから。歳の近い妹がいるせいでそういうことには慣れている。そうして面倒を見ているうちに彼から手を繋いでくるようになった。今日はここへ行こう、あそこに行きたいといつも二人セットだったのだ。しかし、それももう昔の話だ。今は関係ない。
「いきなりごめんなさい。人に囲まれたら厄介だと思って」
「助かったよ。本当にキミは昔から面倒見がいい」
優しげに細められた瞳が私を通り越して違うものを見ているようなそんな気がして黙ったまま歩き出す。彼は後ろから追いかけてきて素っ気ない私の行動に何か気に触ることをしたかと問いかけてくる。
彼に非はない。純粋に懐かしいねと笑って受け流せない私の問題だ。それを何と伝えていいのか分からなくて、話題を逸らそうとずつと気になっていたことを聞いてみた。
「何でいきなり連絡してきたの?」
明日はチャンピオン戦だから絶対に見ていてくれと電話が来たあの日から彼からの音沙汰は一切なかった。私は彼がチャンピオンになる瞬間をちゃんと見届けたのに、当の本人は言い逃げして素知らぬ顔でフィールドに立ち続ける。次の年もそのまた次の年もテレビの画面越しに防衛戦を見続けた。年々成長していくその姿に私の知る彼の記憶が薄れていく。そうしてようやく忘れることが出来ると思っていたのに。今さらになって掘り返してくる彼が恨めしい。
「チャンピオンを降りてから少し時間ができて、何をしようかと考えた時にキミの顔が思い浮かんだんだ。後処理やらバトルタワーの準備でかなり遅くなってしまったが」
「とっくに忘れたのかと思ってた」
「記憶力はいい方なんだ。キミとの思い出は全部覚えているぜ。たとえばリザードンの形の雲を見つけたとキミを引っ張って行ったこととか」
懐かしいだろうって照れくさそうに笑う彼が何だか眩しくて遠い人のように見える。彼はちょっとした発見を私に見せたがってよく実家に突撃してきた。自身の実家と私の実家の間だけは迷わずに来れたから相当な頻度だ。
「そんなこともあったかな。…………私あんまり覚えてないよ」
少しだけ嘘をついた。ハロンの町を歩いているとあの頃の私達がすぐそこにいるような気さえしていたというのに、覚えてないだなんてあんまりな言いようだ。突き放すような物言いに彼の笑顔をどんどん曇っていく。そんな顔させたかった訳じゃなかったのに。上手いフォローも思いつかず私はただ見ていることしかできない。
「すまない。浮かれすぎていたようだ。ずっと忙しくてロクに交友関係も持ってこなかったから友人というとキミくらいなんだ。自分で放ったらかしにしておいて今さら虫が良すぎるよな」
違う、彼だけのせいじゃない。私だって分かっているんだ。彼が連絡を寄越さなかったのはそんな余裕なんてないからだろうと。スタートラインはたとえ同じであれ、今立っている場所は全くの別世界だ。私は何か期待しすぎていて、勝手に落胆して距離を取っていた。
「もうあの頃の私達が戻ることはないよ」
「……ああ」
それは私も彼だってよくよく理解している。今も幼い二人が手を繋いで駆けていく姿が脳裏に過ぎって色褪せてはくれないのに、時間だけが無為に流れていってしまった。後悔すら感じるのは難しくて、結局のところ今の状況以上にどうしようもなかったのだ。
「付き合わせて悪かった。もう帰るか?」
気不味い空気が流れて耐えかねたように彼がそう言った。私に気を使わせまいと無理に作った表情が痛々しい。これできっと明日から元通りの生活に戻れる。一時の気の迷いだったと笑って流すんだ。そして同郷の有名人をテレビで見て昔は一緒にポケモンバトルをして遊んだんだよと自慢話をするのだろう。それがたぶん正解なんだと思う。
全部分かってる。全部分かっていて、それでもなお揺れる気持ちは誤魔化せなかった。今離してしまえばもう一生届かなくなってしまう。そのことを私は惜しいと思っているんだ。そう気づいてしまえば考えなしに言葉が滑り落ちていた。
「でも、でもね。あの頃の私達はもういないけれど全部最初から始めることはできる、と思う」
簡単に忘れてしまえるのであれば、そもそも返信なんて返さなかった。今日ここに来た時点で私だって未練がタラタラだったのだ。あの頃に戻りたいと願っていたのは彼よりもきっと私の方だろう。変な強がりで言い出せなかっただけにしかすぎない。
「…………許して、くれるのか?」
長い沈黙の末に彼が言ったのはそんなことだった。許すも許さないも元から何か約束していた訳でもない。強引に誘ってきたくせに妙に律儀なところが可笑しくて少し笑ってしまいそうになったが、あまりの真剣さに失礼な気がして飲み込んだ。
「忘れただけ。だからもう昔みたいに仲良くなれないかもしれない」
「ああ、それでもいいんだ。ありがとう。礼を言うのは適切ではないかもしれないが、それでも言わせてくれ。またキミと過ごす時間ができて嬉しい」
この後に及んで予防線を張ろうとする私にはお構い無しに彼は私へ好意を向ける。昔あれだけ悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいくらいに言葉にしてくれなくても彼の気持ちが分かるような気がした。大きな手が私の手を包み込んで、高めの体温が時折吹く風で冷えた私を温めてくれる。
「十年前に、…………ある幼馴染と一緒に行きたいと思っていた場所がたくさんあるんだ。情けないことにどれ一つ行けたことはないんだが。それがずっと心残りで仕方がなくて、もしキミさえ良ければ付き合ってくれないか?」
大きな琥珀色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。キラキラと揺らめくそれはどこか懐かしい色だ。ひどく感傷的な気分になってしまうのは秋のせいだと言うことにして私は返事をするべく口を開いた。