週刊誌に幾度もスクープが載ってもダンデくんは浮気なんてするはずがないと信じていた。きっと悪意ある編集をされているだけで、私の知らない女性はお仕事関係の人なんだろうと
残業休日出勤は当たり前で滅多に会えないのに、そんなしょうもないことを問い詰めて時間をムダにしたくはない。だから私は何も聞かなかった。
会いたかったと言って玄関先でハグを求めてくるダンデくんに応じて私もその背に腕を回した。私の腕には余るほど大きな背中に背負うものの重さは計り知れないけれど、せめて一緒に過ごす時間くらいは気を緩めて欲しいなと思っていたんだ。
それが全部、独りよがりだったなんて本当に馬鹿な私。
ホテル街の一角の裏路地を通ったのはたまたまだった。普段は表通りを選ぶけれど、その時はとても急いでいてまだ明るいし大丈夫だと入ったのだ。
薄暗い路地は直接日が入らずジメジメとしていて、あまり掃除をされていないのか小汚い。居心地の悪さに小走りで駆け抜けようとした時、反対側から歩いてくる男女の姿に気づいた。
女の方はスーツ姿で華奢なパンプスを履いた知的な美人だ。そして、男の方は帽子を目深に被っていて顔こそよく分からないものの服の上からでもわかる鍛え上げられた体は立派なものだ。
半ば抱きつくようにしてノロノロと歩く彼らの横を通り過ぎようとした際に、男の方が顔を上げて視線があう。見覚えのある琥珀色の瞳に私は立ち止まった。
彼も私に気づいたのだろう。少しばかり目を見張って、そして何事もなかったかのように女に何か話しかけるとホテルの中へと消えていった。
その様子を私はただ黙って見送ることしかできなかった。何で、どうしてと疑問は次々に頭に浮かぶけれど今見た光景が全てを物語っていた。
私はダンデくんの特別でも何でもなかった。
その後、気づくと真っ暗な部屋の中で呆然と突っ立っていて思考が回らなくても自力で家に帰ってこれたようだ。
泣きたいとか、復讐したいとかそういう感情が浮かぶよりも空虚感の方がはるかに大きくて今は腕ひとつ動かすことさえ難しい。
私とってダンデくんの存在はそれくらい大きかった。
だって元々手の届かない人だと思っていたのに何の気まぐれかこちらを振り返ってくれて、あまつさえ触れることまで許してくれたのだから舞い上がっても仕方がないじゃないか。
私を好きだと言って笑う彼の笑顔がどんな宝石よりも輝いていて価値のあるもののように見えていた。たとえ会えない日が続いてもその姿を思い出すだけで心が満たされて次に会える日まで頑張ろうと心の拠り所にしていた。
それを取り上げられてしまって私に何か残るのだろうか。
ぼんやりと靄がかかったままの頭が弾き出した答えはとても単純でバカバカしくてどうしようもなく愚かなものだった。
慣れない準備に手間取り一週間が経ち、私は何の音沙汰もないダンデくんにメッセージを送った。内容は話がしたいから家に来て欲しいというものだ。
ダンデくんは短い了承の返事を送ってきて、あれを私に見られたことについてどう思っているのかは読み取れなかった。
私達が逢瀬を交わすのはダンデくんの仕事が早上がりの時が多かったから、よく夕飯を作って待っていた。だから今日もダンデくんの好きな料理をテーブルの上に所狭しと並べていく。
こうしてみるといつもと全く変わらない。だんだん気分が乗ってきて鼻歌を歌いながら待っているとインターホンが鳴った。パタパタと駆けていって玄関を開けるとダンデくんの姿がある。
「おかえりなさい」
私は微笑んで疲れて帰ってきたダンデくんにハグをする。一瞬こわばったような感じがしたが、すぐに腕が伸びてきて体温の高い手のひらが私の背中を撫でた。
「……ただいま」
ご飯できてるよと言って部屋の中へ迎え入れるともういつもの二人だ。何も追求してこない私にダンデくんはなかったことにしようという意図を汲み取ったのか何も言わない。
不自然なくらいに和やかすぎる会話をしながら、たくさんの料理はダンデくんの胃袋の中に消えていった。そして食後に温かい飲み物でもと言って私はマシュマロをたくさん浮かべたココアを差し出した。
本当はコーヒーにしたかったのだけれど、あれの独特の苦味を誤魔化すためには甘ったるい飲み物にするしかなかった。苦手だったらどうしようかと心配になりながら見守る。
ダンデくんは少しの間マグカップの中身をじっと見ていたが、ふうふうと冷ましながら飲み始めてくれた。
良かった。ほっとして私もカップに口をつける。甘いココアと甘いマシュマロで大量の砂糖が入っているのがかんじられる。これは毎日飲んでたら虫歯になる。
さすがに甘くしすぎたかなと思ってダンデくんに問いかけると、たまにはいいと笑ってくれた。ダンデくんはちょっと私に甘いところがあるから無理をしてくれているのかもしれない。
どうにかマグカップを空にすると、ダンデくんは少し疲れたから今日は休ませて欲しいと言い出した。私はもちろんと答えて寝室へ連れていく。
どちらにしろ何とか言いくるめて寝かせるつもりだったので大助かりだ。その辺で寝られたら私の力では運べないし
「おやすみなさい。…………いい夢を」
ベッドに身を横たわらせてすぐに目を閉じてしまったダンデくんにそっと囁いた。
「……れ…………キミ、起きてくれ」
肩を揺らす振動に覚醒を促されゆっくりと目蓋を持ち上げると大好きな人の顔がすぐ目の前にあった。私と視線が合うとダンデくんはゆるゆると微笑む。
「寝坊助さんだな。おはよう」
「ん、おはよう」
私に覆い被さるダンデくんの長い髪が肌を撫でるのがくすぐったくて腕を伸ばそうとした。しかし何かに引っ張られてほんの少し動かしただけでつっかえてしまった。視線を動かして手首を見ると頑丈そうな腕輪が嵌っている。
「なんで……」
それはよくよく見覚えのあるものだった。だって私がダンデくんに使おうとしたものだったのだから。
「ちょうど良かったら使わせてもらったぜ」
私の疑問に答えるようにそう言ったダンデくんは悪びれもせずにニコニコ笑ったままだ。
ダンデくんはこんなことする理由なんて全くないはずなのに。むしろ必要に迫られていたのは私の方だ。放っておけば私に飽きてダンデくんはどこかに行ってしまうからちゃんと繋ぎ止めておかないといけなかった。
でもそれはきっと失敗してしまったのだろう。現にダンデくんは自由の身だ。
もう一緒にいられないかと思うと悲しくて今更ながらに涙が零れてくる。
「泣かないでくれ。キミがオレを監禁したいほど愛してくれていると知って嬉しいんだぜ」
「……え?」
思いもよらない言葉にびっくりしてしまって泣き止んでしまった。ダンデくんは涙の跡を指の腹で優しく拭いながら話し出す。
「キミはいつもどこかオレに対して線引きをしていただろう? それがずっと気になっていてもしかしたらそのうち離れていくんじゃないかってずっと不安だったんだ。オレはキミと添い遂げるつもりだというのにキミは少し薄情だぜ。これは文句を言わせてもらいたい。だからオレは保険をかけることにしたんだ。キミが絶対にオレの傍から離れられない理由が欲しかった。最初はキミをどこかへ囲ってしまおうかと思ったんだ。まあ多少は恨まれることにはなるだろうが、キミを失うよりは何倍もマシだ。いい手段だと思って準備をしていたんだが、途中である障害に気づいた。キバナだ。キミはキバナとも仲が良かったよな? アイツは聡いやつだからキミが監禁されていることに気づいて助けようとするだろう。握り潰そうにもキバナ相手ではオレも心が痛む。だからキミがキミ自身の意思でオレの隣にいるという理由が必要になったんだ。そしてキミに犯罪を犯させることにした。キミがオレを害そうとする証拠が手に入れば後はどうにでもなる。メディアを使えばあっという間にガラル中から悪者扱いされるだろう。犯罪スレスレな睡眠薬が簡単に手に入ったのを不思議に思わなかったか? オレが裏から手を回しておいたんだ。キミがオレを縛り上げるまでの映像はあらかじめ仕掛けておいた隠しカメラでばっちり撮ってあるぜ。ああ、そんな心配そうな顔をしないでくれ。あくまで保険なんだ。キミがオレの隣にいてくれれば、今日のことは永遠に二人の秘密になる。ふふ、何だかロマンチックでいいな。まるで結婚の誓いの言葉のようだ」
うっとりとそう呟くダンデくんは今まで見てきた中で一番楽しそうだ。私は何も答えなかったけれど、それは必要がないものだったのだろう。
罠に嵌めたと思っていた私がダンデくんの仕掛けた罠にまんまと引っかかってしまっていた。ちょっとだけ悔しいような気がしたけど不満はない。だって、ダンデくんと一緒にいれるから。
正しいも間違ってるも当人達が決めることなのだからこれは間違いなく、私達のハッピーエンド≠セ。