チラチラとこちらへ向けられる視線が煩わしくて逃げるように窓の外へ目を向けると暗闇の中に白いものがひらひらと横切った。
「……今年はホワイトクリスマスか」
先ほど会計を終えて出て行ったカップルが寒い寒いと騒ぎながら引っつきあって雑踏へと消えていく姿が見えた。私の向かいの席はまだ空席のままだ。
服の袖を少し持ち上げて時計を見ると夜も深けた時間だ。あれほど賑わっていた店内もいつの間にか私だけになっていて、そろそろ諦めなければいけない。
「すみません、お会計を」
彼が来るまで待とうと思ってまだ何も注文していなかったけれど、長時間居座ったのだから予約していたコース代くらいは出すべきだろう。
私が案内されたテーブルは他の客席からの目をさりげなく遮り、外も見やすく空調もよくきく。こういうのにはあまり詳しくないけれど、きっと一番良い席を用意してくれたのだ。時折、心配げなスタッフ達の視線が投げかけられるのは彼が張り切って良いコースを頼んでいてくれたのだろう。来なかったら意味もないのだけれど
こんなことなら先にひとりで食べちゃえば良かったなあと思いながら財布を出していると店のオーナーがやってきた。
「お客様、まだお時間はございますか」
「えっ……はい、ありますけど」
「でしたら、今からでもお料理を出させてくださいませんか」
思いもよらない提案にびっくりしてしまうが、近くの席からの美味しそうな匂いを思い出して少し迷いが出る。
もうすぐ閉店時間だというのにこれ以上居座るのは、どう考えてもマナー違反だ。しかし、せっかくの好意を無碍にするのも悪い。
どうしようと悩んでいるとオーナーがさらに言いつのる。
「お代は結構ですので。お客様に召し上がっていただけなければ廃棄になってしまいます」
「……すみません」
「謝らないでください。そうですね……こう考えていただけませんか。美しい装いをされた方を空腹のまま帰すのは私どもの矜持に反すると」
にっこり微笑んだオーナーに同意するように周りのスタッフ達が頷いた。その様子を見て私の気持ちは決まった。
やっぱり気は引けるけれど今日は好意に甘えさせてもらおう。
「お願いします」
テキパキと動き始めたスタッフ達を眺めながらまるでドラマのワンシーンのような展開だなあと思った。きっと粋な計らいに感動した私が将来、夫と子供を連れて通うのだろう。人に話したくなるような美談だ。
まあそれもこれも私の待ち人がただ単に迷子で来ないだけでなければの話だけれど
今ごろ彼はゼロの桁が一つおかしいスーツをドロドロに汚しながらワイルドエリアの崖を登って店を探しているのだろう。
そう思うときっといい感じに解釈してくれているであろうオーナーやスタッフに申し訳がない。後日、改めて来店させてもらおう。今度はしっかり彼の手を握って
お腹を満たして帰宅すると部屋は暗いままだった。まだ彼はどこぞをさまよっているらしい。スマホを開いて彼へメッセージを送る。
「先に家に帰ってるよ、と」
送信ボタンを押して既読が付くかは見ずにスマホをテーブルに置いてコートを脱いだ。
彼の迷子癖はスマホロトムの手にも負えないらしく道案内をしようとした隙にすぐ見失ってしまう。今送ったメッセージも彼が見るまで数時間はかかるだろう。
彼の帰宅を待っていれば夜が明けてしまうから私は先に休ませてもらう。あんまり心配しすぎないのが彼と生活する上でのコツだと思う。
シャワーを浴びて欠伸をしながらベッドへ入るとすぐに眠気が襲ってきた。そしてそのまま朝までぐっすり、とはいかなかった。眠りが浅くなったところで物音がして目が覚めたからだ。
まだ寝足りなくてぼけぼけする頭を動かして彼が帰ってきたのだと理解する。すっかり室温が下がってしまって身を震わせながら起き上がった。スリッパを足にひっかけてサイドテーブルに置きっぱなしになっていたショールを羽織る。
リビングへ行くとちゃんと彼の姿があった。
「おかえりなさい」
その格好は全くもって酷い有様だった。着ているスーツは以前、私が似合っていると褒めたものだが、ドロドロになって所々擦れている部分もあるからきっともう着られないだろう。髪も朝は綺麗にセットして出たはずなのにぐちゃぐちゃに絡まってしまっている。これではもし仮に間に合っていたとしても店には入れなかったに違いない。
思い詰めた表情の彼が何か言うより早くシャワーを浴びてくるように促した。彼はてっきり責められるものだと思っていたようで、あっとかえっとか言いながら戸惑っている。
「……怒らないのか?」
「怒られたいの?」
私がオウム返しに問いかけると彼は黙り込んだ。表情から察するに険悪な空気になりたくはないけれど、明らかに自分が悪いのに攻められないのは納得がいかないという所だろうか。
そんなことでいちいち怒っていては彼に付き合いきれないというのに全く不思議なものだ。
「オレの方から待ち合わせをしようと言い出したのに間に合わなくて悪かった」
「ちゃんと帰ってきてくれたし、もういいよ」
「この埋め合わせは必ず……!」
「はいはい、まずはその汚れを落としてきてからね」
毎度毎度迷子になるくせにこの男は何故か待ち合わせをしたがるのだ。悪いと思っていないのかと思えばそうでもないし、私が思うに彼は自分の迷子癖を自覚していないんじゃないかと思う。
それを差し置いても同棲しているのだから一緒に行けばいい話なのだが、何か譲れないものがあるのか頑なに現地集合だ。
「そういえば何でダンデくんっていつも待ち合わせしたがるの?」
「えっ」
「いつもそうだから何か理由があるのかと思って」
私の質問に彼はうっと唸ると答えを渋るように身じろぎした。なにやら言いづらいような理由があるらしい。
何となしに聞いたがこうなってくると俄然、理由が気になってくる。答えを催促するように一歩前へ踏み出すと、眉間にシワを寄せつつも観念したように口を開いた。
「その、笑わないか?」
「笑わないから」
この期に及んでまだ往生際の悪い彼の足掻きに即答で返す。彼は重い重いため息をつき、もったいぶっていた答えを教えてくれた。
「待ち合わせをするとデートって感じがして好きなんだ……他に理由はないぜ」
そんな理由だったのかと驚いて目をパチパチさせる私に、彼は幼稚な理由で悪かったなとすっかり拗ねてしまっている。笑ってはいけないと思いつつも自然と口角が上がってしまうのが抑えきれない。
だって、天下のポケモンリーグの委員長ともあろう者がそんな理由でワガママを言っていたのだ。笑うなと言う方が難しい。
「ふっ、うふふ」
「……だからキミには話したくなかったんだ」
笑わないと言っていたのに笑ってしまったのは悪かったが、いつも待ってあげている私に免じて許して欲しいなと思う。
まあしかし、これで理由も分かったから対処の仕様もある。これ以上待ちぼうけを食らわされないように私はにっこり微笑んで言った。
「待ち合わせもいいけど、一緒に出かけるのも何か夫婦のような感じがして素敵じゃない?」
「っ〜〜!」
私の提案に彼は目をキラキラと目を輝かせた。どうやら上手く行ったようだ。
「キミに受け取って欲しいものがあるんだぜ!」
彼は私の手を握るとスーツの胸ポケットから何かを出そうとして、ーーー何も出てこなかった。
そこからは慌てた彼があちこちのポケットに手を突っ込んで大騒ぎだ。きっとその私に渡したかった“何か”をどこかで落としてきてしまったに違いない。
全てをひっくり返しても見つからないと分かると彼は踵を返した。そしてそのまま出ていこうとするのを間一髪で腕を引っ掴んで引き止める。
「ワイルドエリアで落としたなら見つからないと思うけど」
「…………」
彼は私の予想通りワイルドエリアにまで迷い込んでいたようでガックリと肩を落とした。物の値段を考えると諦め難いかもしれないが、彼が遭難するよりはマシだ。
少しの間へこたれていた彼だったが、頬をパンパンと叩いて立ち直るといつもの笑顔で私に向き直った。
「明日の予定は空けておいてくれ! キミと行きたい場所があるんだ!」
「うん、分かった」
了承の返事を返すと今度こそ彼はシャワーを浴びに行った。浴室からは機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてくる。
私に渡す“何か”が拒否されないことに関してよっぽど自信があるんだろう。
「明日のディナーはもう一回あの店かなあ」
思っていたよりもずっとずっと早くに良い報告が出来そうだった。