愛しの双葉ちゃん

 うちの上司は機嫌がとても分かりやすい。とは言ってもポーカーフェイスが苦手という訳でもない。ただ表情とは違う部分で視覚的に分かってしまうのだ。
 上司のご機嫌取りはどんな職場であれ部下が頭を悩ませる問題だ。その点でいうと、うちの上司は良い上司だと言えるだろう。頭の上で揺れるあほ毛を見つめながら思う。
「何かついているか?」
「いえ、何も」
 私の視線の先をたどって不審に思ったダンデさんが問いかけてくるが首を横に振って誤魔化した。ダンデさんは納得がいかないように頭の上を触っているけれど、手をどければあほ毛はまたぴょこんと跳ねる。
 ダンデさんのあほ毛―――皆が親しみを込めて双葉ちゃんと呼んでいるそれはとても雄弁に彼の心情を語る。
 ご機嫌な時は楽しそうにぴょんぴょん跳ねているし、怒っている時はピンっと立っている。そして、今日はしなしなと草臥れているのでお疲れのようだ。
「コーヒー淹れてきますね」
「ああ、頼む」
 初めて双葉ちゃんを見た時はびっくりして凝視してしまい先輩から怒られたがもう今では慣れたものだ。部下として上司に快適に仕事をしてもらうために双葉ちゃんを観察することは必要不可欠だ。
 驚くべきことにダンデさんは双葉ちゃんの存在を認識していない。自分のことなのにとも思うが鏡を見る時間なんてそう長い訳でもないし、自身の感情に合わせて跳ねていることなど気づかないだろう。さらには周囲も取り立てて本人に伝えることもないので、双葉ちゃんはスタッフ達の間で公然の秘密となっている。
 ダンデさんの執務室には良いコーヒーメーカーが備えられていてボタン一つ押せばガリガリと豆を挽く音が聞こえてくるので便利なものだ。抽出を待っている間に冷蔵庫から蜂蜜を持ってくる。
 いつもはブラックにしてシュガーポットを持っていくが、あの疲れ様なら甘味を欲しているに違いない。勝手にそう判断して良い香りがするコーヒーにひと匙の蜂蜜を垂らした。
 ついでに戸棚に入っていたお茶菓子もトレーに乗せていくが、ダンデさんはまだ書類と睨めっこしたままだ。
「ダンデさん、そろそろ休憩なさってはどうですか?」
 声をかけてはみたが、そうだなと答えても左手の書類は離さずトレーからマグカップだけを取った。このマドレーヌ美味しいのになあと思いながらも本人が要らないなら無理に勧めるのも悪い。
 ダンデさんがマグカップに口をつける。そして一口飲んだ後にびっくりしたように顔を上げた。
「甘い……」
「はい、お疲れのようでしたので蜂蜜を少し。お嫌でしたか?」
 もしかして余計なお節介だっただろうかと不安になり問いかけるが、ダンデさんはすぐに否定した。
「いいや、嬉しいぜ。キミはよく気がまわるな」
 ダンデさんがそう言ってふわりと顔を綻ばせるものだから逆にこっちが慌ててしまう。私はただ単に双葉ちゃんの様子を見て判断しただけだ。
「あの、その、……秘書ですので」
「だとしてもキミがオレを気にかけてくれているのは気分が良い。ありがとうな」
 上手い返しが思いつかなくてわたわたする私に追い討ちをかけるようにダンデさんがニコニコするものだから何だか頬が熱くなってきて目を逸らしてしまう。顔が良い人の笑顔は心臓に悪い。
 逸らした視線の先にすっかり机に放置された書類が見えて、照れ隠し半分にマドレーヌを押し付けた。素直に受け取って食べ始めたダンデさんの頭の上では双葉ちゃんがぴょこぴょこ揺れている。マドレーヌは口に合ったようだった。

 それから何故かダンデさんに気に入られた私はよく呼び出されるようになり、双葉ちゃん飼育係という称号を得ることとなった。
 しかしそれは、新人君がダンデさんに双葉ちゃんのことを暴露してしまったりだとか、事実を知ったダンデさんにオレを弄んだのかと迫られたりだとか、挙句は涙目になりながら双葉ちゃんにハサミを入れようとするダンデさんをスタッフ総出で止めたりだとか様々な苦労を乗り越えた後の話だ。