イヤイヤ期のダンデくん

 それはなんの前触れもなく唐突に始まった。
「イヤだぜ!」
 今日のスケジュールを伝えた私に対して彼は元気よくそう言った。あまりに大人げない発言に私は言い間違えたのかなとじっと見つめるが、言った本人は悪びれもせずニコニコとしている。
 イヤならイヤだとせめてもう少しそれっぽい表情はできないのだろうか。いや、そもそも仕事なのだからイヤだろうが何だろうが頷いてもらわないと困る。
「ええっと、イヤというのは何がですか? 体調が優れないのでしたらスケジュールを調整して」
「キミが敬語を使うのもイヤなんだぜ!」
「は?」
 まるで子供の駄々のような文句に気が緩んで素の自分が出てしまう。声が漏れてから慌てて上司に対する態度ではなかったと口を押さえるが、ダンデさんが気分を害した様子はない。いつもの笑顔のままだ。
「……目上の方に対して敬語を使うのはマナーですので」
 なんと返したものかと迷って当たり障りのない返事をしたのだが、彼の口はへの字に曲がった。さっきの悪態はよくてこれはダメなのか、訳が分からない。
「オレが良いと言ってるんだから良いだろう!」
「ダンデさんが許す許さないの話ではなく一般常識の問題でして、私が非常識な人だと思われてしまうのでお断りします」
「むぅ」
 ハッキリキッパリ拒否するとダンディなおヒゲが生えた頬がプクっと膨らんだ。見事の真ん丸さ具合だ。
 最近は落ち着いた言動が増えてきてすっかり大人の男性になったと思ったが、そんな表情をしていると顔立ちの可愛さも相まって幼く見える。まだチャンピオンになりたての頃にもっとバトルがしたいと駄々を捏ねていた姿が思い出された。
「オレはキミの上司だというのに全く言うことを聞いてくれない」
「道理にかなったことなら聞きます。敬語を使うな、なんて業務に関係ありませんから」
「冷たいんだぜ……」
「はい、文句はいくらでも聞きますからスケジュールには従ってもらいますよ」
 まだブーブー言っているダンデさんの肩を叩いて促す。みんな大好きチャンピオンはあちこちで引っ張りだこなのだ。言葉遊びをしている暇などない。
「イヤだ! 次の休みにキミがキャンプに付き合ってくれると言うまでオレはここを動かないぜ!」
「…………」
 まだまだワガママを言い足りない様子のダンデさんは絶対に譲らないという気迫をこめて居座る構えだ。全く秘書を困らせて何が楽しいんだか。ダンデさんについてかなりの年数になるが分からない事だらけだ。
 腕時計で時間を確認するともう十分も時間が押してしまっている。今からダンデさんを説得してさらにスケジュールが後ろ倒しになるか、休日を上司と一緒に過ごすか。迷うことなく判断を下す。
「いいですよ」
「え?」
「キャンプでも何でも付き合いますから今は仕事をこなしてください」
 まさか私が受けると思っていなかったようでダンデさんは目をパチパチさせて驚く。
「別にいいなら行きませんけど」
「行く! 絶対に行くぜ! 約束なんだぜ!」
「約束します。ですから急がないとスケジュールが」
 ダンデさんはよほど嬉しかったのだろう。ポロッとこのワガママの元凶を零した。
「やっぱりキバナの言う通りだったぜ。甘える作戦がこんなに上手くいくなんて」
「へえ、作戦ですか」
 自分でも驚くほど冷たい声が出た。よく分からないワガママに付き合わされた上に休日まで潰された怒りはちゃっかり溜まっていたらしい。
「ち、違うんだ! オレはキミがす……じゃなくて、もっと仲良くなりたくてだな!」
 化けの皮がはがれてアワアワと涙ぐむ姿は可愛いが、下心丸出しのガキんちょに慈悲はない。正しく目的を理解した私はニッコリ微笑んだ。
「私、仕事ができる男性が好きなんです」

 その日のスケジュールは朝の騒動のせいでめちゃくちゃになったが、不思議なことにダンデさんが休憩時間を返上して頑張ってくれたおかげで事なきを得た。