はつこい

 ダンデというやつは本当に常人には理解し難い男だった。
 物心がつく前から否応なくダンデの幼馴染というレッテルを貼られ、田舎町の狭いコミュニティでは気が合わないから距離を取るという選択肢はなかった。
 そういうとダンデがまるで悪人のように聞こえるが、むしろ彼は同年代の少年達に比べ賢く親切であった。私が家業の手伝いに駆り出されていると傍に寄ってきて手伝うというようなことも度々あり、人の役に立てる自分が偉いと誇示したいタイプかと言えばそうでもなく、ただただ理解不能さだけが募っていった。
 まあ仲が良いとはお世辞にも言えないにしろ、私達はそれなりに幼馴染をやってきたのだ。それをダンデがどう受け取ってどう考えてきたのかは知らない。きっと理解もできない。
 だって、まともな神経をしていたら今こんなことを口にしたりしないだろう。
「逃げるのか」
 まず思ったのはあれ今、私達は何の話をしてたっけだ。
 ガラルに住む者なら一度は通るジムチャレンジが終わり、勝者と敗者が生まれた。ダンデは前者で、私は後者。このままチャンピオンの座につく彼とは違い、私にはこの街で居場所がない。となれば実家に戻って家業を継ぐというのもごく普通のことだ。
 まずは新チャンピオンにお祝いの言葉をかけて、旅の思い出やその過程で世話になったお礼を言った。そして、幼馴染の義理としてハロンへ戻ることを伝えたのだ。
 私としては、これから別々の道を行くことになるがお互い頑張ろうみたいな感じの答えが返ってくるだろうと思っていたし、それが一般解だろう。
 もし、もしも仮に、なんて言うのも嫌になるくらいだがダンデが私と離れ難いなどと思っていたとしても引き止める言葉は穏やかなものだろう。
 間違っても“逃げる”と評することはないはずだ。
 敗者に対する嫌味か何かかとも思ったが、真っ直ぐとこちらを見つめる瞳に悪意の色は見つからない。ダンデの性格からしても、これはただ純粋に私の選択が彼にとっては逃げのように見えたのだろう。
 私は返答に困って口を開けたり閉じたりを繰り返した。何と返せばダンデは逃げた訳ではないと認めてくれるのか。きっと言い訳をすればするほどそうとしか見えなくなる。
 あの純粋そうな瞳は時には暴力に近いパワーがあると思う。ごく普通の冷静かつ合理的判断が途端に劣等感を含んだものへと変わってしまうから。
「逃げないよ」
 何に対しての反抗心なのかは分からなかったが、とにかく否定したかった。もちろん言い負かすだけのこじつけは用意出来ていなくてただノーと言っただけ。しかしダンデは私の一言にニッと笑って見せた。
「そうか!」
 予想外の反応に私はその真意を読み取れない。戸惑っている間に一歩出遅れてしまい、その隙にダンデに腕を掴まれる。私とそう身長が変わりないはずなのに力ははるかに彼の方が強くて引きずられる。
 何の説明もないままに連れてこられた先はとんでもない場所で、大人相手にも堂々と自身の意見を述べる彼によって私の進路は決められた。

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 たびたび頃合を見計らっては彼から離れる選択肢を選ぼうとしたがいつもあの瞳に阻まれる。
 別にシュートでの生活に不満がある訳じゃない。彼に推薦してもらったリーグスタッフという仕事はエリート職だし、先輩や同僚達は賢く優秀な人ばかりでコネだなんだといじめられることもなかった。仕事もそこそこの努力で及第点くらいにはこなせている。
 じゃあ、そのまま良い生活に乗っかればいいじゃないという話になる。なるけど何か嫌悪感が残る。
 私の人生なのに全部決めたのは私じゃなくてダンデだ。本当につまらない自尊心だと思う。今の方が絶対に勝ち組だ。それを分かっててもなお私は私の好きにしたい。
 連戦連勝。コートの外までそうじゃなくてもいいのになあと思うのにいつもいつも彼の勝ちだ。
 高い高いタワーを登って何度目かになる退職願いを差し出した私に、またかと言いたげな彼の視線が突き刺さる。それには反応せずに私は故郷へ帰る旨を伝える。
「逃げるのか」
 世の中では時に変わらないことが美徳だと称されることがあるけれど、これは悪習だと思う。年齢も立場もあの頃から随分と様変わりした。だけど、この瞳と言葉だけは何一つ変わらない。
 私はずっとこれが勝負なのだと勘違いしてきた。だからこそ毎回負けてきた。それがきっと間違いだったんだ。
「逃げるんじゃなくて幸せになるんです」
 彼は私の答えに虚をつかれたように固まった。まさかそんな返事をされるとは夢にも思っていなかったんだろう。
 私はその様子を見ながら不思議と勝ったというような誇らしい気分にはならなかった。はいともいいえとも言わないダンデに向かって深々と頭を下げる。
「今まで大変お世話になりました」
 返事はない。私も頭を上げないからダンデの表情は分からない。彼は何を考えているんだろうか。
 静かな室内の中で私が持ってきた書類に印を押す音が聞こえた。

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 久しぶりに帰ってきたハロンの町は良い意味で何も変わっていなかった。長閑で人も疎らだ。シュートよりも体感時間がゆっくりに感じる。
 故郷へ帰ってきた最大の理由であるお見合いは至極順調に終わった。
 ロースクールで同級生だった彼は、愚直にも自分はジムチャレンジから逃げたのだと話した。世間的に言えば頼りない部類に入るのかもしれないが、私にはその正直さが好ましく写る。
 私の表向きの経歴はジムチャレンジを経てリーグスタッフへ就職という華々しいものだ。しかし実態はというとお粗末なもので、ただ流されてきただけ。
 諦めることを知っているというのは少し気が楽だ。敗者同士の傷の舐め合いだと言われればそうなのかもしれない。でも、その空気感が私には合う。
 結婚に了承する旨を伝えると、向こうもすぐに返事が返ってきた。お互いの両親もよく知る中だからトントン拍子に予定が決まっていく。
 結婚式の準備だけではなく、家業も受け継がなくてはならない。結局のんびりやっていけばいいよという彼の言葉で、式は一年後になり婚姻届も同時期にということになった。
「大きい声では言えないけど、もしやめたくなったらいつでも言ってくれ」
 婚約者に言うにしては、あまりに自虐的すぎる言葉だ。彼は自分に自信がない。
 私も同じだ。自尊心は一人前にあるというのに、いつまで経っても自分のことを好きになれない。
「分かった。……たぶんないと思うけど」
 そう言うと彼は驚いたように目を見開いてから困ったような笑顔を見せた。
 気弱だと言われても仕方がないその言動が私には彼の優しさのように思えた。彼は私に何かを強要したりしない。出来ない人の心が分かる人だ。
 まだ始まったばかりもいいところなのに、何故か彼とは上手くやっていけるような気がしていた。

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 招かれざる客に私は不機嫌を隠しもせずに言った。
「何しに来たの」
 新しい生活はもちろん慣れないことも多かったけれど何より自由だった。苦労はあれど不満はない。帰ってきてよかったと心から思っていたのに、なぜ今さらになってダンデと顔を合わせなければいけないんだ。
 連絡も入れずに突然、実家を訪ねてきたダンデは悪びれもせずに久しぶりだと言った。
 あの日からもう二ヶ月経った。たった二ヶ月と言ってしまえばそうだけれど、私を追いかけてきたにしては随分と遅い。
「聞いたぜ。キミ、結婚するんだってな」
「ええ」
 別に誰かに報告した訳ではないけれど田舎町はすぐに話が回る。ダンデの母から世間話で聞いていてもおかしくない。
 しかし幼馴染の結婚を祝いに来たにしてはダンデの表情は明るくなかった。それどころか僅かな苛立ちさえ感じられる。
 結婚ごときで仕事を辞めたことが悪いと言うつもりだろうか。せっかく穏やかだった心がささくれ立つ。
「キミが結婚したがってたなんて知らなかった」
「そうよ。何か悪い?」
 自衛心から語気が荒くなる。私よりずっと背の高いダンデを睨みつけるように見つめると彼はやれやれというようにため息をついた。
「言ってくれれば良かったのに」
「言ってもどうにもならないでしょ」
「オレの方が適任だろう」
「何が……?」
 ダンデが一体、何を言いたいのか分からなくて思わず聞き直してしまう。ダンデは私の戸惑いもお構い無しに結婚相手は自分の方が合っていると主張した。
「合理的に考えてくれ。誰だったか、その今のキミの婚約者よりもオレの方が優れている。地位も金もな。そうだ。まだ婚約段階なんだし、破棄して戻ってくればいい。面倒な交渉は全部オレがする」
 あまりに身勝手すぎる言い分に頭に血が上る。
 私のことを貶すのは慣れているからまだいい。でも、婚約者の彼のことをどうこう言うのは許せなかった。あんなに優しい人をただ優れている劣っているで話して欲しくない。
「……ふざけないで。今さら破談になんて出来ないし、するつもりもない」
 怒鳴り散らさないように抑えた声は震えていた。ダンデはそんな私に不思議そうに首を傾げる。
「何故だ? ただのお見合い相手だろう」
「確かにお見合いがきっかけだけれど彼は素敵な人よ。それに結婚は損得でするものじゃない」
 私の言い分に納得がいかなかったのか、ダンデは片眉を上げた。
 ダンデは確かに優秀だけれど、人間性という面で圧倒的に大事な何かが欠けている。そして私はその大事な何かを重要視する人間だ。理解し合えることは一生ないだろう。
「損得か……確かにそうだな。婚約者がいる女性に言い寄るのは得じゃない」
 確認するのようにブツブツ呟く姿は異様に見えた。何か嫌な予感がして私が追い出そうとするより早くダンデは口を開いた。
「キミが好きなんだ。だから結婚して欲しい」
「っ…………」
 到底、愛の告白をする人間には見えないほの暗い欲にまみれた瞳の中に私が映る。好きというにはあまりに身勝手が過ぎる。
 何も言えない私にダンデはキミがオレの初恋だと言った。