「ダンデくんの雄っぱいを揉みたい」
「……悪い、聞こえなかったわ。もう一回言ってくんない?」
よく晴れた昼下がり早上がりだというキバナをジムの前で引っ捕まえて近くのカフェへやってきた。
日差しは心地よいが時折吹く風は冷たく、外を歩く人々はみな足早に歩き去っていく。そのせいなのか単に平日の昼間だからなのか店内は人が少ない。キバナが変装せずに過ごせるくらいなのだからまあプライベートな話をしても問題ないくらいだろう。
私は再度同じことを繰り返した。
「ダンデくんのおっ、―――」
「あーあー言わなくていい。聞き間違いだと思ったんだよ」
自分から聞いてきたくせに途中で口を塞いできたキバナは私を見ながら特大のため息をついた。いくら何でも失礼じゃないかと思ったが、話を聞いてもらう身分であるのでとりあえず口はつぐんでおく。
「オマエね。仮にも女の子がこんな往来で胸の話なんてするもんじゃないよ」
「仮じゃなくてちゃんと可愛い女の子です〜」
憎まれ口を叩くと今度は自覚があるならしっかりしてくれとキバナはお説教モードに入ってしまう。
私だって痴女を晒したくてこんなことを言っている訳ではない。全てはあの魅惑の雄っぱいのせいだ。
チャンピオンの象徴である黒と白のストライプ柄が歪むほどに盛り上がった胸筋は彼のストイックな生活が伺える。一体どれほどの時間をかけて育て上げたのだろうか。キバナのように鍛えても肥大化しない人もいるらしいから彼はやはり天性のチャンピオンなのだ。
触れてみたいと思うのは当然の心理であるし、揉みしだきたいと思うのは彼の雄っぱいをもってすれば仕方のない欲望と言える。やはりあの雄っぱいは分厚い筋肉で鋼のように硬いのだろうか、それとも良い筋肉は柔らかいというようにマシュマロ雄っぱいなのだろうか。ああ、とても気になる。
「どうにか自然な事故を装ってパイタッチ出来ないかなあ」
「いや、もうその思考から事故だからね」
揉みたいというのは生理的欲求だとしても、実際に本人の許可を得ずに揉めば犯罪だ。だからこそ私はこうしてキバナ相手に管巻いているという訳だ。
どうしても諦めきれずにごくごく自然に雄っぱいに触れられるシチュエーションを考えているがこれがなかなか難しい。まあ言わば、雄っぱいは心臓周りの急所に当たる部分だ。おいそれと無防備には晒さない。
ダンデくんの雄っぱいを追いかけ続けてはや五年、防御力が高すぎて未だに指先すらかすりもしない。作戦を日々練り続けるも連敗記録は伸びるばかりだ。
「うーん、やっぱりキバナの無駄に長い足に引っかかって転けた振りして顔面で雄っぱいを味わうのがベターかな」
「地味に貶されてる気もするんだけど。まあそれは置いてといて、やめた方がいいぜ」
「何で?」
「アイツの洞察力ならわざとコケたことがバレて何があったのか問い詰められると思うんだよなあ」
「言われてみれば……」
さすがはチャンピオンだ。私ごときの浅知恵では敗れるはずもない。
うんうんと唸りながら次なる作戦を練っていると、すっかり興味を失ったキバナがティーカップをくるくる回しながらぽつりと言った。
「もう素直に揉ませてくれって言えばいいじゃん。案外いいって言ってくれるかもよ?」
「はぁ? ふざけてるの? 大天使なダンデくんにそんな卑猥なこと言えるわけがないでしょう?」
「えー、辛辣。というかオレさまには相談しておいてダンデには言えないって扱いの差が酷くねえ?」
オレさま泣いちゃうとわざとらしくメソメソして見せるキバナを冷ややかに見る。ダンデくんに言えないからこそキバナに相談しているというのに、全くもって真剣に聞かないのだから雑な扱いで十分だ。
「事故じゃダメならこう自然な流れで触ってみるのがいいかな。ようダンデいい乳してんな、みたいな?」
「え、それオレさまの案よりも酷いじゃん。オマエもそんなこと言うキャラじゃないし」
「んー、確かにね。むしろ私よりも……」
それを言いそうなのは、と考えてキバナの蒼い目とピタリと視線があった。
キバナはダンデの公認ライバルにして、プライベートでも交流が深い友達だ。加えてキバナの人懐っこい性格を考えると、挨拶代わりに胸板を叩くくらいやっても不自然ではない。
「まさか、とは思うけど……」
「やってねえよ!? みんながみんなオマエみたいにダンデの胸筋に執着してる訳じゃないからな?」
「なんか引っかかるけど、まあ信じるよ。もしも私より先にダンデくんの雄っぱい揉んだら締め上げるけど」
「理不尽な風評被害だわ」
やれやれと首を振ったキバナは紅茶のお代わりとケーキを注文し始める。甘い物を我慢せずにその体型なのはガラル中の女性からつるし上げられてもいいくらいだが、今はそういうことをしている場合じゃない。
事故もダメ、スキンシップを装ってもダメとなるともはやどうしようもない。そして遠のけば遠のくほど魅惑のマシュマロちゃん(仮)に対する煩悩は募っていくばかりだ。
あのガラル国宝というべき雄っぱいを揉みたいと欲するのならば、私自身も保身を忘れて捨て身でアタックするしかないということだろうか。私の社会的地位や信頼関係その他諸々すべて水の泡に帰すことになるかもしれないが、その程度でどうにかなるというのなら代価として十分だ。
可愛いダンデくんに迷惑をかけてしまうのは忍びないが、今が育ち盛りなマシュマロちゃんに触らないという選択肢があるだろうか? いや、ない。
ダンデくんにごく自然に挨拶をして近寄る。私の腕がギリギリ届くくらいの距離を陣取り、世間話などで油断を誘う。そしてふと胸元に目をやり、まるで糸くずでも見つけたかのようにあっと言いながら手を伸ばす。優しいダンデくんは親切でゴミを取ってあげようという相手を拒否したりはしないだろう。私の手は思惑通り無防備な雄っぱいにたどり着き、ガッツリとそれを掴む。ダンデくんが驚きから立ち直るまでが勝負だ。わずか数秒の間に思い残すことなく揉みしだいて感触をてのひらに焼き付ける。そうして私の奇行への困惑から立ち直ったダンデくんが不埒な腕を捻りあげて、何をしているんだと問いただしてくる。太陽のように暖かな色味の瞳がスっと細められて光を失う。犯罪者を見つめる表情は蔑みに溢れていて、あまりの圧力に体が震えた。…………ゴミクズを見るダンデくん控えめに言ってどちゃくそエロいじゃん! これは興奮しちゃうよ! いっそのこと手ずから豚箱に突っ込んで!
チャンピオン級の雄っぱいはやはり夢が詰まっていたのだ。
「キバナ、ありがとう! 私分かったよ! 虎穴に入らずんば虎子を得ず。私に必要なのは雄っぱいへの煩悩以外の全てを捨てる覚悟だったのね!」
「なんか自己完結してるけどそれ大丈夫か? 聞いてる限りだと全く大丈夫じゃないけど?」
「じゃあ、私は身支度があるからこれで!」
思い直せと叫ぶキバナを置いて私は意気揚々と店を出た。思い立ったら即行動に移すのは何事においても悪いことではない。
私もようやく長年追い求め続けた夢を掴む時が来たのだ。
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相談に乗って欲しいことがあると呼び出されて来てみれば、無敵のチャンピオンともあろうダンデが難しい顔をして考え込んでいる。これはまた例の件についてだなと頭が痛くなりながらもキバナは向かいの椅子に腰掛けた。
「キバナ、聞いてくれないか。彼女のことなんだが……」
ダンデは厄介な病にかかっている。恋の病だ。
別に恋愛をすることが悪いとは言わない。むしろポケモンバトルに心血を注ぐダンデが他に興味が持てるものが出来たというのは喜ばしいことだ。
気になる女性がいるんだと初めて聞いた時は全力で応援しようと思ったし、サポートも惜しまないつもりだった。しかしながら、相手の名前を聞いたキバナは途端に渋い顔になった。
ダンデが思いを寄せる相手はキバナの幼馴染だ。彼女はキバナの目から見ても美人だし、一流企業に勤める賢さもあり、性格も悪くない。キバナと交流があるだけあって相手が著名人であろうと騒ぎ立てない良識も持っていた。ダンデの相手として申し分ない女性と言えるだろう。だが、全てのメリットを覆して余りあるほどの欠点を彼女は抱えていた。
非常に残念なことに彼女はダンデの“雄っぱい”に異常なほど執着しているのだ。
彼女がダンデから告白されてどういう行動を取るかは分からないが、胸を揉みたいというくらいだ。そう悪いことにはならないと思う。
しかしダンデはどうだろうか? 想い人が自身の胸に並々ならぬ邪な気持ちを抱いていると分かればきっとショックを受けるに違いない。
友人の恋を応援したい気持ちと真実を知って欲しくない気持ちがせめぎ合い、キバナはどっちつかずなままダンデのお悩み相談に乗っている。
「休日にでもご飯に行こうと誘ったんだ。彼女はどんな服装が好みだろうか? オレはあまりファッションに詳しくないからキバナに相談にのって欲しくて……休みのところ呼び出してすまないな」
「いや、それは構わないんだけどよ……」
彼女の反応に一喜一憂しながら近況を報告してくるダンデを見ていると、素っ気ない対応もしづらくて結果的にはダンデの恋を後押ししてしまう。
頼むからダンデの夢を壊さないでくれと願うばかりだが、彼女がダンデの胸を狙う目付きは日に日に鋭さを増すばかりだ。頼むから少しでも傷が浅い方法で、と思い彼女のバカバカしい相談にものっているが反応は芳しくない。
そもそも“雄っぱいを揉みたい”などと言っている時点で、まともな思考を期待する方が難しいだろう。しかし友人の恋が無惨に砕け散る様は見たくないのだ。
「カジュアルなシャツにボタンを二、三個開けとけば間違いないと思うぜ」
彼女の好みのファッションなんて知りもしないが、あれだけ雄っぱいを連呼しているのだからチラ見せしておけば間違いないだろう。もはやダンデがダンデでいさえすれば十分とも言えるが
「そうか! それならオレでも何とかなりそうだぜ!」
「頑張れよ」
手持ちの服は何があったかと考え始めるダンデに、キバナは上手くいくことを祈るばかりだ。
そうしてダンデの思考が落ち着くのを待っていると、あっと声が上がった。食事の約束に浮かれて緩んでいたダンデの表情が強ばって、つられてキバナも何事だと身を正す。
「キバナ、大変だ…………ボタンを開けたら、その、胸毛が」
恥ずかしそうに体毛が濃いんだが処理した方が良いだろうかと聞いてくるダンデに、大したことではないからそのままでいいと首を横に振る。
アイツはその程度でダンデに愛想を尽かすようなやつじゃない。むしろセクシーだとか何だとか言って喜びそうだ。
「ほ、本当か?不潔だと思われないだろうか?」
「絶対にないね」
「しかし……」
よほど彼女に執心しているのだろう。キバナのお墨付きをもらっても、まだ心配なようでダンデはゴニョゴニョと不安要素を並べ立てる。
カッコつけたい気持ちは分からなくもないが、相手はダンデの胸を狙う不届き者だ。そんな配慮なんて必要ないとキバナは投げやりに答える。
「アイツならその場で胸毛むしってプレゼントしても喜ぶぜ」
「む、むしる……?」
「ダンデの雄っぱいに自生していた貴重な毛とか言って鉢植えで大事に育てるに決まって―――」
「キバナ」
滅多に聞くことがないダンデの恐ろしく低い声にキバナはピシャリと口を閉じた。
長年の付き合いから彼女の言動は手に取るように分かる。ダンデにささいな悩みだから気にするなと言いたかったのだが、つい喋りすぎてしまった。
彼女の本性を知ってガッカリしていないだろうかと恐る恐るダンデの様子を伺う。
「キミが彼女と気安い仲なのは知っているが、今のは彼女に対して失礼だろう。取り消してくれ」
「へ? あ、ああ……悪い」
言われるがままに謝罪の言葉を口にすると、ダンデは分かってくれたならいいと頷いた。キバナはなぜ怒られたのかもなぜ許さないのかもよくわからないままにとりあえず話題を逸らした。
悪いのは間違いなく外面の良い彼女なんだけどなあと思いながらも優しいキバナはライバル兼親友のために沈黙を貫いた。
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「私、もしかしたらもうすぐ死ぬのかもしれない」
そう言った彼女は顔を手で覆って俯いている。キバナはとうとうこの日が来てしまったかと緊張に息を飲む。
彼女がこんなにも落ち込むなんてその原因はダンデ以外には有り得ないだろう。どういう訳かは分からないが、幾重にも念入りに被られた化けの皮は剥がれてしまったのだ。
つまり彼女は振られてしまったんだろう。となると必然的にダンデも失恋したということに他ならない。キバナは頭の中で今週のスケジュールを確認し、ダンデのフォローに入る算段をつける。
ただの失恋だけならまだしも相手が変態だったなんて相当なショック具合に違いない。どう慰めるべきかと今から気が重くて仕方がない。
「一昨日、ダンデくんにご飯行こうって誘われてさ」
彼女はまるで上の空なキバナの様子に気づかず勝手に話し始める。キバナとしては全くもって彼女の自業自得だと思っているので無視しても良心は痛まないが、ここまで相談に乗ってきた経緯もあるので一応耳だけは傾けておく。
「久しぶりに雄っぱいちゃんに会えるって気合い入れて行ったのよ。そしたらね、ダンデくんの服のボタンが開いてたの! 三個も!」
「ふーん、良かったじゃん」
ダンデはキバナのアドバイスをしっかりと聞き入れて行ったようだ。このテンションの上がりっぷりを見ると見事に効果バツグンを取れている。
「全っ然良くない! あろうことかシャツの隙間から胸毛まで覗いてたのよ! エッチすぎて会って一秒で鼻血吹くところだったじゃない!」
「あー、うんうん大変だったなあ」
「ちゃんと話聞いてよぉ! もう私、無理だって思っちゃってダンデくん置いて帰っちゃったの……これ絶対嫌われたわ無理」
「は?」
デートなのにダンデを置いて帰った? 不味いどころの騒ぎではないじゃないか。ダンデ目線から見れば会った瞬間にリターン、完全に自信をなくすこと間違いなしだ。なんてことをしてくれたのだ。
「最後にせめても胸毛むしってくれば良かった……鉢植えに植えて心の癒しになったのに……」
「ほれみろ、オレさまの予想合ってるじゃん!」
と、いかんいかん。こんなことをしている場合ではない。今はダンデが最優先だ。
「オマエ、今からダンデに告白してきなよ」
「イヤー! 何でわざわざ玉砕しに行かないといけないのよ!?」
「絶対大丈夫だから、神に誓って大丈夫だから、頼むからいってくれ」
「そんなこと言って私が振られたらどうするのよ! キバナが責任取ってくれるの!?」
ああ、もう面倒くさい。両思いなのは分かりきっているのだから失敗のしようがないんだ。
キバナはだいぶヤケクソになっていた。大声でピーピー泣き叫ぶ彼女につられて叫び返す。
「万が一にでも無理だったら、オレさまが責任取って結婚でも何でもしてやるよ!」
「……ほぉ、それは詳しく話を聞かせてもらいたいな」
背後からおどろおどろしい声がして、肩がミシミシと軋むほど掴まれた。全身に突き刺さる殺気にキバナは硬直する。
恐る恐ると振り返るとそこには魔王がいた。
「だ、ダンデ? どこから話を聞いて……?」
「少しキバナを借りるな。待っていてくれ」
ダンデはキバナの問いに答えることなく彼女に向かってそう言うと、キバナの首根っこを掴んだ。自分よりも背が高い大男なはずなのに軽々と引きずる。
「待ってくれ! これは誤解なんだって!」
「それはこれからじっくり聞かせてもらうぜ」
「オマエもなんかダンデに言ってやってよ!」
「……む、胸毛が」
彼女に助けを求めるもダンデの胸毛に夢中で話にならなくてキバナは泣いた。
コイツらがくっついたら死ぬほど上手い飯奢らせてやる。そう固く決意しながらキバナは自身の無事を祈った。