もう何回目かわからないドタキャンの連絡にふと気づいてしまったことがある。
これってもしかして【セフレ】というやつなのではないかと
思い返してみれば付き合おうと言われたことも恋人になってくれと言われたこともない。合鍵を渡しているので彼の私物が自宅にたくさん置かれているし、よく泊まりに来るが毎日ではない。
確か合鍵を欲しがった時に彼が言ったのは、ホテル住まいが寂しいからキミの家に泊めてくれだったか。そこで一緒に住もうと言わないあたりが余計にあやしい。
泊まりに来るのは一週間のうちに五日だったり、三日だったり、はたまた二週間まるまる来なかったりだ。これは誰がどう擁護しようとも都合のいい女扱いされているとしか言えまい。
そう気づいた私の行動は早かった。
ゴミに出そうとしていたダンボール箱を組み立てて、それを引きずり回しながら家中の彼の私物をかき集めた。その全てが生活に必要な日用品でなくなっても替えがきくものばかりだ。
だんだん虚しくなっていく内心を誤魔化すように乱雑に物を押し込んでいく。彼は身の回りのことに大雑把なところがあるから少々雑でも気に留めないだろう。
そうしてあらかた詰め終わり、憂さばらしにビールでもと冷蔵庫を開けたところで外から風がうなる音が聞こえてきた。
彼だ。
合鍵を渡しているのだから玄関から入ってこいと毎度注意しているのに、キミが招き入れてくれるのが嬉しいからと言って耳をかさない。そんな発言に少しだけときめいていた私もどうかしている。
いつも通りコンコンと窓を叩く音に、段ボール箱を抱え上げた。怒っているように見えるように努めて厳しい顔をしながら窓を開ける。
「ありがとう。どうしたんだ? そんな荷物抱えて」
「これ持って帰って」
不思議そうに首を傾げる彼に段ボール箱を押し付けると戸惑いつつも受け取ってくれた。
「ああ、すまない。オレのものが邪魔だったか? キミの家があまりに心地がいいものだからついつい甘えてしまってな」
少し寂しそうに目を伏せられて微笑まれ、心臓がドクリと跳ねた。自分の気持ちが揺らぐのを感じる。
いけない、いけない。これが彼の手口なのだ。こうやって同情を引いて弱みにつけ込むなんてクズ男のすることに違いない。
「もう会いたくないの」
「は……? 急にどうしたんだ?」
困惑する彼の胸を力いっぱいに押しのけた。体幹の強い彼が姿勢を崩すことはなかったが、私の勢いに気圧されて一歩下がった。これで十分だ。
「バイバイ」
ベランダの窓をピシャリと閉めて、そのままカーテンを引いた。彼の姿が見えなくなってようやく緊張が解けたのか足に力が抜けてその場に座り込む。
しばらく蹲って耐えていると風の音が聞こえて静かになった。その間に再び窓ガラスを叩く音も追い縋る声も聞こえてきやしなかった。
彼にとって私はその程度のものだったのか。
怒りが冷めてくると今度はだんだんと現実が見えてきて悲しさだけが残ってしまう。今日は随分と情緒不安定らしい。泣きたくもないのに流れてくる涙を乱雑に拭う。
悲しいのは一過性だ。今度こそ、ちゃんと自分を幸せにしてくれる人を選ぶんだから。
心のどこかで納得がいっていない自分に正しい選択だったと言い聞かせながらひとりぼっちの夜を過ごした。
翌日の朝、私は騒々しい物音に無理やり起こされた。日は高く上っている時間だったが、なかなか寝付けなかったせいでまだ頭が痛い。
ふらふらと起き上がりながら何事だと外を見にベランダへ向かうとそこには信じられない人の姿があった。
「……なんでいるの」
「おはよう。キミに会いに来たんだぜ」
昨日のことなんて一切なかったかのように明るい笑顔で彼は言う。
これ以上引っ掻き回さないでくれ。そんな思いを込めて睨みつけるが、全くもって効きやしない。
「もう会いたくないって言ったと思うんだけど」
「昨日のキミは随分荒れていたから」
「お生憎様、頭が冷えても会いたくないのは変わってないから」
煽るような言葉に自然と私の語気も強くなる。そんな状況を分かっているはずなのに、彼は呑気にまだ怒っているのかと呟いている。
昨日の話は彼には全く伝わっていなかったということだ。
「何がそんなに気に入らないんだ? 言ってくれないと分からないぜ」
まるで子どもの癇癪をあやすような口ぶりにふつふつと苛立ちがわいてくる。
ダメだ。私と彼とではいろいろなものの価値観が違いすぎる。理由を丁寧に説明したところで彼が私の気持ちを理解してくれることはないだろう。
「私ね、好きな人ができたの」
それは真っ赤な嘘だった。私は彼と恋人関係にあると思って疑っていなかったから、他の相手なんて考えたこともなかった。
でも、彼に納得してもらうならこれが一番手っ取り早い。まさかセフレに浮気されたからって激高して手を上げるような男ではないだろう。嫌味のようにニッコリ笑って堂々と告げる。
「知らなかった」
「ええ、言ってないから」
「キミはオレのことが好きなんだと思っていた」
「気が変わったの。一度、好きだと言ったからってそれがずっと変わらないなんてありえないじゃない」
私の好意を当たり前のもののように扱われるのは我慢ならない。なけなしのプライドでポーカーフェイスを保つが、腹の中ではすかした顔に平手打ちを一発くれてやりたいくらいには怒っていた。
彼はうーんと唸って特徴的な髭を手で擦っているけれど焦った様子は全くなかった。
「キミが分からないぜ」
分かられてたまるものか。人の心の機微なんてどうでもいいように振る舞う彼の意のままに動かされるなんて屈辱的だ。
人をバカにするのもいい加減にしてくれと思ったが、ここで怒鳴れば私が彼に執着していることの証明になってしまう。何を言われても気にしない振りをするが私の精一杯の抵抗だった。
「分かっても分からなくてもどうでもいいから早く帰って」
「何故そんなことを言うんだ」
「ダンデくんに割く時間がもったいないからよ」
「そうじゃない。オレが好きなのに、他の奴を好きだと言ったことだ」
とんでもない発言に片眉がピクリと跳ね上がる。どこまで自意識過剰なんだと顔を顰めるが彼は大真面目な表情だ。本気で言っているんだろう。
「話にならない」
「隠さなくていい。自覚がないのかもしれないが、さっきからキミはオレを手離したくないって顔してるぜ」
「っ、いい加減にして!」
カッと頭に血が上って右手を振り上げた。そして衝動のままに彼の整った顔に紅葉をつけてやろうとしたが、その前に手首をキツく掴まれて止められる。
「すまない、言い方が悪かったか? オレはそういう配慮に欠けるとよく言われるんだがどうにも難しくてな」
「ふざけないで!」
「本気なんだぜ。これでもキミのことを気に入っているんだ」
まるで物に対するような言い草に一度、火がついた怒りは止められない。やっぱり都合のいい女でしかなかったという落胆の反動をぶつける。
「私じゃなくてもいいじゃない! もう放っておいてよ!」
「ああ、また間違ったか。言葉というのはなかなかどうして不自由なものだ。……オレはキミがいいんだ」
微笑んでいるのに背筋がヒヤリとするような瞳で射すくめられて、一瞬だけ言葉に詰まった。
その隙に掴まれたままになっていた腕を痛みが走るほどに締め上げながら彼の前へと誘導される。やっていることは暴漢と変わりないはずなのに、彼は紳士がするように手の甲に唇が落とす。
「恋人でも、婚約者でも、妻でもキミの気が済むものをあげよう。ただ、オレから離れるのだけは許さない」
本能的な恐怖で身を震わせながら彼はまるで獣のようだと思った。興味がないから言葉にしないのではなく、逃がすつもりがないから言葉にしないだけだったのだ。彼に目をつけられた時点で私の行く先は決まっていた。
いつもの笑顔に戻った彼に仲直りをしようと言われて、私はただ腕に残った赤黒い痣を見つめているしかなかった。