うちのキテルグマの話

 ウチにはキテルグマがいる。
 体長は約百八十センチメートルと少し小柄ではあるが、毛並みのもふもふさ加減は他の個体に引けを取らない。もちろん自慢の腕力は言わずもがなだ。
 性別はオスで、そろそろ番を持ってもいいであろう立派な大人ではある。しかしながら少々甘えたな性格なので、相手を見つけるのはまだ先の話になるだろう。
 そんな彼の日課は私を抱きしめることだ。もちろん野生の個体とは違い、彼は賢いので私をサバ折りにしたりはしない。せいぜい人体から出てはいけない音がするくらいに留めてくれる。
 今日も今日とてベアハッグを受けながら私は彼の立派な胸に顔を埋めている。年々成長していく胸筋は痛いほどに押し付けられているにも関わらず優しく顔面を包み込む。私の表情がもし見れるとするなら虚無になっていることであろう。
「どうだろうか?」
「……うん、また大きくなったんじゃないの」
 素っ気ない返事にもめげずに嬉しそうに笑う彼の名はダンデという。人型をしたキテルグマの男の子だ。
 この胸筋に顔面をめり込ませて感想を聞いてくるという行為はかれこれ五年以上前からずっと続いているルーティンとなっている。始まりはおそらくベアハッグを受けた私が放った一言からだ。
『ダンデくんの胸って意外と柔らかいんだね』
 それが失言であった。私としてはただ感想を言っただけなのだが、彼は目をキラキラと輝かせていた。やってしまったなあとぼんやり自覚する頃にはもう遅く、私は彼の胸筋評論家へと仕立てあげられた。
 最初のうちはまだ胸板と呼べるくらいの代物だったが、彼の努力によりどんどんと肥大化していった。すでに成長を止めてしまった自身の残念な胸元を抜かされた時には荒れに荒れたけれど、そのうちどうでも良くなるくらいに差をつけられた。
 胸筋、いや雄っぱいと言うべきであろうそれはおおよそ筋肉とは思えないほどの柔らかさと弾力で私を迎えいれる。この行為自体が嫌な訳ではないが、複雑な気持ちになってしまうのはやむを得ないだろう。
 そもそも何故このようなことをするのかが分からない。もしや私が知らないだけで、これはキテルグマの習性だったりするのだろうか。
 確かに不思議な求愛行動を取る野生の生き物もいる。メスに自身の胸筋の逞しさを見せつけて番としての魅力をアピールすることも、ないか。仮にあったとしても顔面でやらなければならない理由もない。まあつまりは彼が何を考えてしているのかは誰にも分からないということだ。
 本日も自身の雄っぱいを見せつけてご満悦な彼はニコニコと笑っている。それを酷く疲れた心地で見ながら私は積年の疑問をぶつける。
「何でそんなに胸筋にこだわるの?」
「こだわる……? 何のことだ?」
 キョトンとした顔で返されて私達は揃って首を傾げた。こうも毎日毎日胸筋を触らせておいて頓着していないというのはおかしな話だ。
「だっていつも感想を聞いてくるじゃない。見せつけたいんだと思ってた」
「それは違うんだぜ。オレはただキミに癒されて欲しくてだな」
 食い違う見解にますます疑問符が飛び交う。
 つまり彼は自身の雄っぱいを誇示するためではなく、私のためにやっていたという訳か。腑に落ちないがそういうことを言いたいのだろう。
「……もしかして嫌だったか?」
「え、あ、いやそういう訳じゃ」
 目に見えて落ち込んだ様子でそう聞かれてしまえば、同意しようにも気まずく思わず否定してしまう。善意でやっているものに対して迷惑だからやめてくれと言うのは少々気が重い。
「その、なんというか……顔がちょっと潰れそうというか、圧が強すぎるというか」
「迷惑だったのか」
「えーっと、うーん、そういうことになるのかなあ……?」
 私の煮え切らない返事に真意を悟ったのだろう。彼は静かにすまなかったと謝った。彼の頭にあるはずがない耳がペタンと伏せられている幻覚が見える。
 確かに締めあげられるのは勘弁してくれとは思っていたが、私は別に彼を落ち込ませたかった訳ではないのだ。行き過ぎてしまってはいるけれど私のためを思ってやってくれているのだとしたら悪い気はしない。
「いや、その、ダンデくんが私を思ってしてくれた気持ちは嬉しいんだよ。ただちょっと力加減が欲しいというか」
「本当か……?」
「う、うん。ハグってストレス軽減になるらしいし、ダンデくんの優しさはありがたいよ。だから気持ちだけ受け取らせて――」
 丁重にお断りしようとした言葉は飛びついてきた巨体によってかき消された。
 質のいい筋肉は柔らかいという定説通り彼の胸筋は私の顔面の凹凸をしっかりと包み込んだ。一部の隙間もないほどの密着具合に酸素すら入り込む余裕もない。
「〜〜っ!」
 いつも以上に気合いの入った締めつけにより癒しどころか天国送りにまでされそうになったのは言うまでもない。