“ずっと行きたかったショーのチケットが取れたから付き合って欲しい”
友人からそんな連絡が届いて、私はすぐに了承の返事を返した。彼女からの誘いは今までにも度々あって、熱しやすい彼女に連れられてあちこち回るのはもはや恒例行事だ。だからこそ気安く受けた。
日付と時間が送られてきて、チケット代はいくらだと聞き返すと付き合わせてるからいらないと言い張り出す。彼女のそれはいつものことなので私も楽しむ以上はお金を払って見たいと伝えるが、今回はなかなかどうしてうんとは言ってくれなかった。
そう、そこで何かがおかしいと気づいていれば良かったのだ。
日々の忙しさにかまけてショーの話はそれっきりになり、あっという間に当日になった。何を見るのかも知らされないままに彼女に引っ張られていったのは夜の街と呼ばれる界隈だ。先行きの怪しさに口を挟もうかと思ったが、心待ちにしていたショーの前で楽しそうな彼女に水を差すのは気が引けてしまったのが運の尽きだった。
そうこうしているうちにたどり着いたのは、いわゆるバーレスクというやつだ。重たく厚い扉を開けば、ビルの外からは想像できないような華やかな造りをしていて内装に不釣り合いな派手な電飾が煌めいている。
ちょっと、と文句を言う私にお構いなしに彼女は受付の黒服の男にチケットを出している。ライブ会場は混雑するだろうからと軽装を選んでしまったせいもあり、私達は酷く浮いてしまっていている。
しかしながらお金を払えば客ということだろうか。スタッフは淡々と席に案内してくれる。それほど広くないホールにステージといくつかのテーブルが並べられていて、私達は左奥の席だった。
すでに客席は八割ほど埋まっていて今さら帰れるような空気感ではない。ウキウキとドリンクメニューを眺める彼女にため息をついて席に着いた。
「……バーレスクだなんて聞いてなかったんだけど」
「ごめんって。今日の飲みは奢るから、ね?」
先に言っていれば断られることも分かっていて黙っていたのだろう。すっかり嵌められてしまった訳だ。
憂鬱な気分をなりながらもチャージ代わりのドリンクと数枚のチップを受け取る。ショーの後にキャストに渡すものらしく追加で購入もできるらしい。
周りをそっと伺ってみるとスタッフから大量のチップを買っている常連客らしき姿がある。何となくこういう店は男性ばかりのイメージが強かったが、女性客もそれなりにいてほっと息を吐く。
「男性キャストがいるから女の子にも人気なんだよ〜」
私の意図を組んでニコニコ話してくる彼女に呆れつつ適当に相槌を打つ。そしてそのまま彼女の推しの話を聞いていれば、照明が落ちてショーが始まった。
嫌がっていた分際でこういうことを言うのも気が引けるがショーは凄かった。自分の魅力を十分に理解しているだろう彼らは自分の見せ方をよくよく理解している。これははまってしまって常連になるのも頷けるというものだ。
アップテンポな音楽に合わせて進むショーは体感時間が早く、あっという間に終盤になった。彼女の推しの出番はこれからなのだろう。食い入るようにステージを見つめているからよく分かる。
チャンピオン、ダンデというコールと共に現れた男は異質な空気を纏っていた。
他の男性キャスト達はどちらかというと細マッチョで女性受けしやすそうな風貌であったのに、服から覗くその男の腕はゴツゴツと分厚い。服装も肩と脇腹が開いてはいるものの露出が少なく、闊達とした笑顔でも浮かべていれば和太鼓の奏者だと言われても頷けるくらいだ。
ステージの中央に立った男はニコリとも笑わずに客席を見回す。ファンサービスと言えるほどのものでもないのに肌が粟立つのを感じた。ただ見ていることしかできない私の周囲から黄色い歓声が上がる。それに応えるように男の腕がこちらへ向けられ、ショーが始まった。
鍛え上げられた肉体をフルに活用した振り付けはまさに圧巻だ。限られた部分のみ露出した筋肉がしなる様が美しい。そして何より瞳だ。笑顔のひとつもないのに熱い琥珀色にこちらまで火をつけられてしまう。
わずか数分の踊りを私は息を詰めて目に焼き付けていた。終幕の挨拶をする彼に瞳が潤んでしまう。人が何かにはまる時というのは、きっとこういうことなんだと思う。
興奮気味にショーの感想を話し出す彼女をぼんやりと眺めながら私はまだ夢うつつだった。まさかこの歳になってここまで感動するとは思ってもみなかった。
ぼんやりしていると周りがにわかに騒がしくなってきた。キャスト達がチップを貰いにきたのだ。私もテーブルの上に放置していたチップを握りしめる。今さらながらに追加で購入しなかったのが悔やまれた。
入れ替わり立ち替わりでやってくるキャスト達に会話をしつつも視線はすぐに紫色を追ってしまう。ステージ上とは違い、よく笑う彼は先程のまでの妖艶な気配が一切ない。 それもまた不思議な魅力を感じてしまって、少しずつ近づいてくる彼に胸が高鳴るのがわかった。
ここのメインキャストはきっと彼なんだろう。腰に、胸に、と次々に増えていくチップは物凄い量だ。帯のついた分厚い紙束ごと差し込まれるのを目の当たりにしてだんだんと気分が沈んでいくのを感じる。
こんな一枚二枚の紙切れをもらったところで彼は嬉しくも何ともないだろう。雰囲気にのせられてチップを渡そうとしていた自分が恥ずかしい。
友人がはしゃぐ声が聞こえて私達のテーブルに彼が来たのだとわかったが顔を上げることが出来なかった。彼のショーに見合う対価すら払えないという事実が笑いかけてもらうことすら躊躇わせた。
「来てくれてありがとう」
弾んだ声で友人が感想を伝えているのを聞きながら手の中のチップをぐちゃぐちゃに握りつぶす。
隣の友人からチップを受け取った彼はすぐに傍を去るだろうと思っていた。顔も合わせようとしない女に構う暇はないだろうと
しかしながら何の奇跡か彼は私の前に立ち止まった。
「失礼、お嬢さん」
話しかけられてゆるゆる顔を上げると思ったよりも近くに金色の瞳がある。ポカンとしていると彼がおかしそうにクスクス笑った。
「ずっと見ていたからそれはオレのかと思ったんだが違ったか?」
彼が指差したのは私の手のひらの中だ。確かに彼のためにとは思ったけれどすでにチップだらけの彼には不釣り合いなボロボロさ加減だ。
「えっと、その……」
そうだとも違うとも言えずにまごつく私に、彼は誘うよう目を眇めて衣装の胸元をめくった。隙間から見える褐色の滑らかな肌に唾を飲む。
「本当にいいのか?」
彼は煽るのが上手だ。気づくと私はよれたチップをその中に差し込んでいた。手が肌に触れないように慎重に、緊張のあまり震える腕は傍から見ても丸分かりだろう。
時間をかけてチップを挟み込んだ私が息を吐くと、中途半端な位置にあった手を引き寄せられた。そして何が起こったかを理解する前に手の甲に柔らかな感触が触れる。
「っ……!?」
「ふふ、ご馳走さま」
彼は鼻歌を歌いながら機嫌よく去っていく。動けなくなってしまった私の隣で、友人のあーあという声が聞こえてくる。
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そこからは転がり落ちるように簡単だった。
次の週にはもう二回目を見に行き、足りないまだ足りないと次々と予約を取った。
初回の反省を活かしてチップをたんまりと用意していたのが目立ったらしくすぐに常連客として顔を覚えられるまでになる。今まで大した趣味もなく貯め続けていた貯金が役に立った。
チップを渡しているからって別に私は彼の特別になりたい訳ではない。ただ私は彼が彼に相応しい待遇を受けなければ気が済まないのだ。私ひとりがいなくても彼がナンバーワンなのは疑う余地もないので独りよがりにしか過ぎないけれど
いや、何も望んでいないっていうのは嘘かもしれない。だって、彼が最終公演で女性客の飲みかけを口にした時のビールを未練たらしく頼んでいるから。本当に一回見かけただけの気まぐれにしか過ぎないのに好きでもない苦味を味わっている。
バカみたい。でも本当に幸せなのだ。
ほんの数分の夢のためにいろんなもの失った。お金が湯水のように出ていくので、節制するために付き合いは悪くなったし無茶に副業を詰め込んだ。
彼が出る公演は人気が高くチケットはいつも争奪戦だ。平日だなんだと言っていられなくて時には欠勤してまでショーを見に行った。常に寝不足で酷い顔色の私に周りは心配していたけれどそれも耳に入らないくらいに没頭していた。
もう彼を知らなかった時には戻れない。
夕飯というには粗末すぎる食事をとって、ショーの時間を待っているとインターホンが鳴った。尋ねてきたのは私を件のショーへ連れていった彼女だった。
「急にごめんね」
明らかにこれから出かけるのだと言うように身支度を整えた私に友人が謝った。それなら邪魔しないで欲しかったと思いながら素っ気なく何か用があるのかと聞くが彼女は引かなかった。
「その、……今日もショーを見に行くの?」
「うん、ダンデ様が出るから」
彼に出会わせてくれたことに関しては彼女にとても感謝しているのだ。ニコニコしながらそう伝えるが、彼女の顔色はますます悪くなっていく。
「っ……ごめん」
「どうしたの?」
「私が余計なことをしたから……こんなことになるとは思っていなかったの。本当にごめんなさい」
泣きながら謝り続ける彼女に慌てて背中を擦る。謝ることなんて何一つないのに私はちゃんと幸せなのにと思うが、彼女から見たら違うらしかった。
ダンデに惑わされていると言う彼女に一瞬、頭に血が上るが泣きじゃくる相手に怒鳴る気になれずに少し冷めるとそうなのかもしれないと受け入れることが出来た。
毎日が必死すぎて見ないふりをしていたが、こんな生活をいつまでも続けていられるはずがないことは私が一番よく理解している。
ショー通いをやめると約束するまで居座ると真っ赤になった瞳で言う彼女に私は頷く他なかった。
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最後のショーが終わってしまう。
今日も今日とて惚れ惚れするような踊りを披露してくれた彼に手が痛くなるまで拍手を送りながらも心はすでにここにあらずだ。
すでに取ってしまった席に穴を開けるのはしのびないからとお別れ代わりに行くことを許してもらったが、彼の姿を見ると余計に離れがたさを感じてしまう。こんなことなら来ない方がマシだったかもしれない。
滲んできた涙を擦っていると軽く汗を拭ってきた彼が近づいてくる。ここ最近の太客に入っているので早々と挨拶しに来てくれるのだ。
「今日は一段と盛大だな。何か良い事でもあったか?」
有り金を使い果たす勢いで用意したチップはテーブルの上にちょっとした山を作り上げていた。それが全て自分に捧げられたものだと疑わない彼はニコニコと上機嫌だ。
それを見てまた泣きそうになるが、彼の記憶の中の私はせめても笑顔でいて欲しいと痩せ我慢をする。
「うん、今日が最後だから」
「最後って?」
不思議そうに首をこてんと傾げながら私の隣に腰掛けた。肩が触れ合うほどの距離は私が今まで彼に費やしてきた金額の対価だ。
「もう来れなくなるの」
「どうして?」
間髪入れずに聞き返されて彼に嘘はつけないと判断して素直に真実を伝えた。私がお金持ちなんかじゃなくて、彼に狂わされただけの一般人なのだと
ただの客にしんみりと金銭事情を話されても困るだろうと明るく笑うが、彼は真剣な面持ちで見つめてきて困ってしまう。
「もう私には捧げられるものは何もないの」
「本当に?」
「ごめんなさい。今までありがとう」
さよなら代わりにとテーブルの上のチップを押しやるが、彼は見向きもせずに私の手を取った。
ここまでの太客を逃がすのは惜しいということだろうか。しかしながらもうどうしようもないのだ。突き刺さるような視線を避けるように下を向く。
「キミはオレの欲しいものをまだ持っているように見えるが?」
「ええ、だからこれが最後の――」
「そうじゃない」
チップを握らせようとした手が振り払われて紙切れが宙を舞う。さすがにこれは酷すぎるのではないかと抗議しようとするが、先に動いた彼が肩を痛みが走るほどに掴んできて言葉に詰まった。
「これは捧げてくれないのか?」
そう言って彼が手を滑らせたのは私の頬だった。まさか信じられないと彼を見つめるが琥珀色の瞳はブレない。
彼は、真剣に言っているのだ。彼のために体を売れと
あまりにも下卑た発言に唇がわなないて涙がこぼれ落ちた。彼に心酔しながらもその性根が清廉ではないと知っていたはずだった。しかしながら私はどこかで彼に対して憧れを抱いていたんだろう。
「悪魔……っ」
私の罵りに彼は声を上げて笑った。余裕に満ちたそれは、それでもなお私の心が離れないと彼が知っていることを物語っていた。
⿴⿻⿸
「オレのショーはしばらく中止にしてくれ」
ダンデがそう告げると支配人のネズは不愉快そうに片眉を上げた。
「別に構わねえですけど、売上が落ちたからって文句はなしですよ」
「それは分かっている」
このバーレスクの一番の稼ぎ頭はダンデだ。それはよくよく理解しているが、ダンデがいなくてもやれるくらいの気概は見せて欲しいところだ。
「あの女はいいですか?」
「誰だ?」
「オマエのお気に入りの子ですよ」
とぼけては見せたがネズの言う女が誰を指すかは分かっていた。あまり態度には出さないようにしていたが、長い付き合いのネズには丸わかりだったらしい。
「うん、まあちょっとな」
「……オマエまさか風俗に落としたんじゃないでしょうね?」
明らかに一般人に見える彼女が使う金額の多さにネズも気にかけてはいたんだろう。あくどいキャストが稼ぎの多い職を紹介してやって搾り取ることもあるが、噂が経ちやすいのでいい顔はされない。
「そんなことするはずないだろう。オレが買ったんだ。彼女がオレに掛けた金で」
「……とんだゲス野郎ですね」
「失礼だな。優しさだぜ」
よそ行き用の笑顔を貼り付けてそう言ったダンデにネズはさらに顔を渋くさせた。
「よく言いますよ。平のダンサーならいざ知らず、ここらの店のオーナーのオマエからすれば端金でしょうに」
返事をせずに笑い声だけで返すとネズはそれ以上追求はして来なかった。ダンデは店を頼んだと言い残してそうそうに立ち去る。
何せウチで大事な人が待っているのだ。心配させてはいけない。
やっと望んでいたものが手に入ってダンデは上機嫌に鼻歌を歌った。