天魔パロ

 一目見た時からこの男にしようと心は決まっていた。

 悪魔が獲物を選ぶ基準はいたってシンプルだ。その者が持つ生気の量で判断される。貧弱な人間とは違い、悪魔は生きるための糧を必要とはしない。しかし、より高位の悪魔を目指すならばそれ相応の生気を集めなければならない。悠久の時を生きる悪魔にとって格を上げることは一種の娯楽だ。
 生気が多い者というのは、主に神へ身を捧げる聖職者や若く生命力に溢れる個体を示す。前者の方が圧倒的に生気の質が高いが、厄介なことに悪魔の天敵である天使共の加護を受けていることが多い。まだ生まれてからそう間もなく低級の悪魔である私には少々、荷が重い。悪魔は寿命こそないけれど神聖力による消滅はありうるのだ。手間はかかるが数を集めて回る他なかった。
 そうして降り立った地は国の首都から遠く離れた辺境の小さな村だ。農業を生業とする人間が少数で暮らしていて、古びた教会と民家以外には何もない。私にとっては好都合な場所だが
 ターゲットに選んだのは最近、新しく教会のあるじとなった青年だ。先代が若くして亡くなり、その息子である青年は後を継いで牧師となった。年齢のわりには異例の早さだったが、こんな辺境の村へ赴任したがる牧師もいないので単に押し付けられただけであろう。
 聖職者としての格は低いが若くて健康な個体で、まさに私にはうってつけのお買い得物件だ。私は他の悪魔が介入してくる前にとすぐに行動を起こした。
 ツノと翼をしまい、赤い瞳を黒く変える。そして旅人のように少し汚れたマントと服を身に纏えば十分に“それ”らしく見えるというものだ。夜を待って魔力で嵐を起こし、教会の木製のドアを叩いた。
「もし、旅の者ですが少し雨宿りさせてはいただけないでしょうか」
 ややあって出てきた青年は遠目に見た時よりも逞しい体つきをしているように見えた。ゆったりとした服の上からではハッキリとは分からないが鍛えているのだろう。これは違う意味でも楽しめそうだと期待に胸が高鳴る。
「もちろんだ。こんな嵐の日に大変だったろう。早く室内へ」
 青年は私の正体が悪魔であるとは露とも知らず招き入れた。悪魔は総じて人間から好まれるように見目の良い者が多いから当然のことと言えばそうである。雨に濡れた私のためにタオルを差し出し暖炉の火が当たる場所を譲り、さらには温めたミルクまで用意してくれた青年はもう落ちたと言っても過言ではない。
 ダンデと名乗った彼は牧師らしくとても純朴なひとであった。よく笑いよく喋る彼はきっと村人達から愛されているのだろう。心根が美しい者ほど堕落させがいがあるというものだ。
 世間話を少ししてから私は予め決めてあった身の上話をし始めた。もちろん内容は真っ赤な嘘であるが、彼は神妙な顔をして静かに聞いている。身寄りのない哀れな若い女を正義感の強い人間が捨ておくはずもない。彼はすぐにここにいればいいと言い始めた。
「私にはありがたいお話です……ですが、ご迷惑では?」
「実はオレも孤児で先代に拾われて牧師をしているんだ。これは主の導きに違いない。受けた恩を返したいと思っていたオレを助けると思って、ここにいてくれないか」
 そう語って手をギュッと握りしめた彼に、私は目を伏せながら小さく頷いた。
「そうか、それは良かった! さっそく中を案内しよう」
 喜色を露わにして繋がれたままの私の手を引く彼はまるで友達ができてはしゃぐ子供のよう。バカな男だ。
 もし彼が引き留めなくても何かと理由をつけて居座るつもりだったのだ。先に言い出してくれて手間が省けたというものだ。オレが面倒を見るから何も心配はいらないという彼に笑顔で返す。私の目的のためにも存分に世話にならせてもらおうじゃないか。
 悪魔が修道女の真似事をするというのは非常に滑稽だが、真新しくなかなかに面白い。彼は甲斐甲斐しく私の面倒を見た。無一文なのだからこき使えばいいのにと思うが、彼は率先して力仕事を引き受ける。
 普通の人間の女はこういう男の姿を見てときめくものなのだろうが悪魔の私には関係ない。それよりも畑を耕すために袖をまくられ露になった腕に視線がいってしまう。筋肉が盛り上がった二の腕のなんと逞しいことか。さぞかし良い生気が搾り取れるに違いない。
 人間から生気を奪い取る方法はいくつかあるが、一番簡単なのは堕落させ欲望で思考を鈍らせてから奪い取る方法だ。特に聖職者達は勘がいい者が多く正気の状態ではこちらの正体に気づいてしまうこともありえるからだ。つまりは色香で誘いをかけて閨に引きずり込んでしまえばいい。牧師と言ったって彼は若く健康な男だ。ひとつ屋根の下に麗しい見目の自分に従順な女がいれば堪らず手を出してくるだろう。

 しかしながら、一ヶ月が経っても彼は何も仕掛けて来なかった。
 おかしい。綺麗に整えた爪をお行儀悪く噛みながらこんなはずではなかったと思う。彼が私に好意を持っているのは確かだろう。接し方の節々からそれはよく分かる。だが、いくら無垢を装ってきっかけを作ってやっても私の体を気遣うばかりで鼻の下を伸ばしすらしない。まるで庇護すべき幼子のような扱いだ。
 もしや彼は女性が好みではなかったのだろうか。たおやかな少年にでも化ければよかったのかもしれない。しかし今さら出直してきても不審感を抱かれるばかりで悪手であろう。正体がバレて忌々しいエクソシストでも呼ばれてしまえば私を待っているのは破滅のみだ。
 取り逃すのは惜しいが諦めるしかない。正直、未練は大いにある。魔力で暗示をかけてしまうことも考えたが彼は意思が強く私の持つ力では難しい。無理をして消滅させられては元も子もないのだ。
 ここまで手間をかけたのに何の成果もないのは割に合わないと私はターゲットを信者の男に変えた。その男は私が来てから随分と熱心に日曜の礼拝に通うようになったという。神聖な祈りの場だというのに体に絡みつくねっとりとした視線をひしひしと感じていた。彼と比べれば道端の石ころとそう大差はないが何もないよりはマシだ。
 礼拝が終わっても教会へ残り続けるその男にそっと声をかける。
「ここのところ熱心に通われているようですが、何か悩み事でも? 私で良ければお手伝いさせていただけませんか」
 節くれだった手にそっと自分の手を重ねると男が欲に満ちた目で私を見た。それに応えるように今まで見せたことのない婀娜っぽい笑みを浮かべると男は私の意図に気づいたように立ち上がった。
「ここではちょっと……場所を変えてもらえませんかねえ」
「ええ、もちろん」
 私達は連れ立って教会を出た。この男を食ったら早々にこの村から離れよう。魔界へ戻ってしまえば誰も探せまい。また力を蓄えて新たなターゲットを探せばいいのだ。
 しかし上手くことが運んで笑う私の前に大きな壁が立ちはだかった。彼だ。
「相談事を聞くのは牧師であるオレの勤めだ。代わろう」
 まったく持って間の悪いことだ。牧師の言葉に怯んだ男はしどろもどろに言い訳をしながら逃げ帰ってしまった。後に残ったのはニコニコと笑う牧師と獲物を逃がした間抜けな私だけ。ここへ来てから踏んだり蹴ったりだ。
「私も何かお手伝いできればと思ったのですが、ご迷惑だったのでしょうか」
 殊勝な態度でそう呟くと彼は気にすることないと私を慰めた。ここに居られるのももう僅かだろう。失敗してしまったのに長居するのはリスクが高すぎる。手間をかけた駄賃すらもらえないとはあんまりだ。
「信者達も帰ったようだし、教会の片付けを手伝ってくれないか」
「はい」
 何も得られないと分かった以上、もう一ミリ足りたりとも労力を割きたくはなかったが騒ぎを起こすのは得策ではない。今夜、彼が寝静まった頃に抜け出すのがいいだろう。脱出の算段をつけながら歩いていた私は前を見ておらず立ち止まった彼の背中に頭から突っ込んでしまった。
「あ、ごめんなさい」
「……キミはせっかちだな」
 すぐに謝った私に彼は聞いたこともないような冷たい声を出した。不審に思い牧師様と声をかけると彼が振り返る。その瞳は神々しい金色に爛々と輝いていた。
「あの男を食べるつもりだったんだろう?」
 しまったと焦ると同時に小さな教会に強い神聖力が満ちた。あまりの濃度に息苦しさを感じてよろける私の前で彼は背中から純白の翼を出しその正体を露にした。
 悪魔にとっても天使にとっても翼の大きさはその力の強さに比例すると言われている。彼の背に生えるそれは身の丈を優に超す大きさだ。
 位の高い天使が何故こんな萎びた村にいるんだ。天使とは総じて気位の高い連中ばかりで下界へ降りることを忌み嫌う。鉢合わせることなんてありえないはずだった。
 驚愕に瞬きを繰り返すばかりで一歩も動けずに這いつくばる私の前に彼がしゃがみこんで膝をつく。
「せっかく食事に少しずつオレの血を混ぜて苦痛ないように転化させようとしていたがキミには無用の気遣いだったようだ」
 もはや魔力で正体を隠すことも難しく、服を突き破ってはみ出た黒い翼へ彼の手が伸びる。そうして静かな教会に悲鳴が響き渡った。


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「主は我らに試練を与えられた」
 ダンデは泣き叫ぶ女を力づくで押さえ込み、悪魔の象徴である呪われた翼があった場所を撫でた。
「キミを一目見たときからオレのものにしたいと思ったが、あまりに力の差があり過ぎたんだ。悪魔のままのキミと繋がればキミはオレの神聖力に耐えきれずに消滅してしまう。あまりに悲しいことだ」
 自身の背中にある立派な翼から羽根を数枚引き抜き、彼女の背中へと植え付けていく。悪魔にとって天使の体の一部を取り込まされるなど想像を絶する苦痛だろう。さらに激しくなる抵抗を見てダンデは痛ましげに瞳を眇める。
「代わってあげられるものならオレがキミの苦痛を引き受けたいくらいだ。耐えてくれ。主はこの試練を乗り越えたキミをきっと受け入れてくれるだろう」
 ひっきりなしに涙を流し続ける瞳はあまりの激痛に焦点があわず虚ろに彷徨う。助けを求めるように伸ばされた手に自らの手を優しく重ねた。
「主の許しがあらんことを――――早くこの手にキミを抱かせてくれ」
 ダンデは彼女の目蓋にそっと口付けを落とした。