お疲れキバナくん

「おかえり」
 夜も深けて大通りでも人が疎らになる頃、一人暮らしのアパートの玄関を開ければ温かな光がもれて居るはずのない人影が顔を出した。予想外の事態に思わず玄関を開けたまま立ち尽くす。
 そうして驚きでパチパチと瞬きを繰り返すこと数十秒、疲れで鈍くなった頭がゆっくりと回り始めてその人をようやく認識した。
「キバナくんの幻覚が見える……」
「幻覚じゃなくて現実のキバナくんです」
 ほら触れるでしょと言うと、長い腕が伸びてきて私の頬に触れた。暖かくなってきたとはいえまだ夜は肌寒く、キバナくんの温かな体温が心地良い。
「ホンモノだ……」
「うーん、大分疲れてるなあ。無理しすぎちゃダメよ?」
「キバナくん効果で疲れが吹き飛んだからまだがんばれるもん」
 久しぶりの恋人の姿に我慢できずに抱きつけばクスクス笑いながらも腕を広げて迎え入れてくれる。鍛え上げられた腹筋は柔らかくはないけれど、安心できる匂いと体温に目をつぶって頬を擦り寄せた。
「もー、すぐそういうこと言う。オマエに構ってもらえないとキバナくんが寂しくて泣いちゃうから程々にな」
「え、めちゃくちゃお仕事サボりたい気分になってきた」
「と言いつつ、オマエがズル休みするとこ見たことないんだけど?」
「だって本当に休んだらキバナくん困るでしょ?」
「……ふーん」
 珍しく拗ねるような口ぶりに上を見上げればキバナくんと視線が合う。ポーカーフェイスと作り笑顔が大得意の彼らしく表情は読み取れないが、付き合いの長さから何となくで本心がわかってしまう。
「待って、ちょっとこっち見ないで」
「キバナくん可愛い〜!」
 思わずニヤける頬を誤魔化しきれずにキバナくんの頬が赤くなっていく。すぐに大きな手で顔の半分は覆われてしまったが、逸らされた視線や仕草は正直だ。
「もうやだ。オレさまも明日ズル休みする……本当は休みまないけど」
「何それ、どういう言葉遊びなの?」
「いいじゃん、いいって言ってよ。お仕事ズル休みするキバナくんでも受け止めて欲しいの〜」
 大きな身体を丸めて私にぎゅうぎゅう抱きついてくる姿はまるで大型ポケモンが甘えているようだ。愛おしさのあまりに
「休んで休んで! キバナくんが可愛すぎてもうお家から出したくない!」
「うふふ、オレさま閉じ込められちゃうの?」
「そうだよ。キバナくんのヘアバンド隠しちゃうから」
「えー、オレさまの可愛いおでこが世間の目に晒されちゃう」
「それは困る〜!」
 何が楽しいのか二人してケラケラ笑いながらありもしない話をする。お互いに絶対にしないと分かってるからこそ好き放題言えるのだ。
「なんて言いながら私もキバナくんも優等生だからズル休みしないんだなあ」
「オレさまのために悪い子になってよ」
「キバナくんが乗ってくれたらね」
 誘うような言葉にさらりと言い返すとキバナくんは顔をしかめて降参だと手を上げた。
「あー、やめやめ。出来ないこと話してても悲しくなっちゃう。来週は? 休みねじ込めない?」
「実はキバナくんに会いたすぎてもう取ってる」
「オレさまの彼女、優秀すぎ。じゃあその日はデートな」
 ご褒美のキスがひとつ落とされて、ようやく本当の話が始まった。