目と目があったら

 トレーナー同士、目と目があったらバトル。私がするのはポケモンバトルではないけれど、それでもバトルは始まる。
 道を塞ぐように立ちはだかる大きな壁に、視線を上へ動かすと蒼い瞳とかち合った。同時に脳内で戦いのゴングが鳴り響く。
「通行の邪魔なんだけど、でくのぼう」
「小さすぎて見えなかったわ、豆つぶ」
 きっかけが何だったのかは分からない。しかし今となっては何が原因だとかはどうでもいい。こんな馬鹿馬鹿しい喧嘩なんて単純明快、気に入らないからで理由は十分だ。
「アンタが大き過ぎるだけよ、万年キョダイマックス男」
「それはどうも。オマエも早く成長できるといいな、合法ロリ女」
 何かがプッツンと切れる音がした。この男、それが禁句ワードだと分かってて言っている。
 こちらを小馬鹿にしたように見下ろしてくるキバナに負けじと睨み返す。その時にはもうここが往来の真ん中であることはすっかり忘れていた。
「自撮り大好きナルシスト」
「ヒステリック女」
「女泣かせのすけこまし」
「はっ、ゴシップに騙されんなよ。単純馬鹿」
「馬鹿って言った!? 馬鹿っていう方が馬鹿なのよ!」
 こうなってしまえば後は意味のない罵り合いが続くだけだ。大人ふたりが言い合いをしていれば目立つなという方が難しく、ナックルジムのスタッフが駆けつける頃にはちょっとした人集りが出来上がっていた。
「お二人とも続きは応接室でお願いします」
「お仕事中にごめんね。私はもう帰るから」
「おう、帰れ帰れ」
「キバナ、アンタも同罪なんだけど?」
「何、まだ騒ぎ足りねえの?」
「「は?」」
 剣呑な声が重なり見えない火花が散る。そっちがその気ならよろしい第二ラウンドだ。煽られるままに足を一歩踏み出そうとしたが、肩を掴まれて引き止められる。
「とにかく移動してください、いいですね?」
 目を吊り上げたジムトレーナーのリョウタくんから釘を刺されてしまい、私達は大人しく口をつぐんだ。
 さりげなく私達の間に入ってくるスタッフ達を見ていると頭が冷えてきて、迷惑をかけてしまった罪悪感がわいてくる。隣を歩くリョウタくんに再び謝罪の言葉をかけた。
「本当にごめんね。軽率だった」
「そんなに謝らないでください。往来で喧嘩というのは感心しませんが、来てくださるのは歓迎しています」
「ううっ、リョウタくんはキバナと違って優しい」
「ボクだけじゃないですよ。口には出さないだけでキバナ様も喜んでいます。キバナ様が口喧嘩をするのなんてアナタくらいなものですから」
 ニコニコと微笑まれて顔を引き攣らせる。私はただ売られた喧嘩を買っただけなのに、これではまるでキバナのガス抜きに付き合ってあげているような物言いだ。
 もちろんその辺りはリョウタくんも理解しているとは思うけれど妙に居心地が悪くて誤魔化すように軽口を叩く。
「本当、素直じゃなくて困った奴よね」
「ええ、頼りにはなりますが困った人だというのは同意見です」
 珍しく乗ってきてくれるリョウタくんは少し悪い顔をしている。いくら尊敬している上司とはいえ、直して欲しいところはあるみたいだ。
「昔は優しかったのに、何があったのか今ではこんなだからもう嫌になっちゃう」
「そうなんですか?」
「そうなの。キバナったらジムリーダーになったあたりから急によそよそしくなっちゃって薄情よね」
 笑いながら冗談めかして言うと、何か思うところがあったのかリョウタくんの眉がハの字に曲がる。さすがに少し言いすぎたかとフォローを入れようとするより早く大きな影が割り込む。
「ウチの大事なトレーナーに悪口吹き込まないでくれる?」
 もちろん相手はキバナだ。不機嫌をまき散らしながらリョウタくんを背中へ隠すと高い位置から私を見下ろす。
「悪口じゃなくて事実でしょ」
「ほぉ、このキバナ様に喧嘩を売ろうっての?」
「そっちが売ってきたの間違いじゃない?」
 再び喧嘩が始まってしまいそうな様子に、周囲のスタッフ達の緊張感が高まる。私とキバナに対して、ではくもう一人の方へ向けてだけれど
「何度も申し上げたと思いますが、続きは応接室でお願いします」
 今度こそ本気でリョウタくんを怒らせてしまったことを悟った私達は先ほどまでの言い合いが嘘のように二人揃ってピタリと口を閉じた。
 大人しく先導するスタッフの後ろを歩く私達に会話はない。リョウタくんから喋るなという無言の圧力をひしひしと感じながら、それもこれも全てキバナのせいだとこっそりため息をつく。
「……やっぱり覚えてないのね」
 隣を歩くキバナがポツリと呟いた。何の話か聞き返そうとしたが、タイミング良く応接室に着いてうやむやになってしまった。

 それから数日が経ち、私は朝早くから訪ねてきたナックルジムのスタッフに連れられて、キバナの家に缶詰めになっていた。天敵といってもおかしくないほどにお互いを毛嫌いしている私達だが、こういう状況は珍しいことではない。
 なんと不幸なことに、今日発売の週刊誌にすっぱ抜かれてしまったのだ。
 まあ、あんなに大声を出して道の真ん中で喧嘩をしていれば好きにネタにしてくださいと言っているようなものだろう。パッとしたネタがない時に思い出したように記事にされる。
 私の自宅ではセキュリティが緩いから、妥協案としてキバナの所に避難しているのだ。炎上の原因が自分達にある以上、こればっかりは文句も言えない。
 ソファにお行儀悪く寝っ転がりながら何となしにワイドショーをながめる。どこもかしこも平和なようで、話題はちょうど私達の話だ。浮気が原因かとコメンテーター達が喧しく推論を立てている様を冷めた目でみる。浮気どころかそもそも付き合ってすらいないのに楽しい人達だ。
 そう思ったのは私だけではなかったようで、横から特大のため息が聞こえてくる。持ち込んだ仕事は終わってしまったらしく、キバナは反対側のソファの隅にボスンと腰かけた。
 キバナの顔を見ていると、ふと先日の一件を思い出した。
「そういえば、覚えてないって何のこと?」
 あんな意味深な言い方をされると何のこと気になってしまって少し考えていたが思い当たることはなかった。
 キバナは私の問いかけに片眉をピクリと動かしたが、頑なにこちらを向くことはなくテレビを睨みつけながらぶっきらぼうに答える。
「何でもない」
「何でもないことはないでしょ。拗ねてないで教えてよ」
「拗ねてない。オマエにはどうでもいいことだから言わないだけ」
 どこで機嫌を損ねたのやらキバナは答える気はないようだった。しつこく食い下がる私をキバナは鬱陶しそうにあしらっていたが、引く気がないと分かると諦めて口を開いた。
「喧嘩のきっかけだよ。オマエがオレのことをつまんないって言ってそこからだって話」
「えーっと、そんなことあった?」
「ほら、やっぱり覚えてない」
 だから言いたくなかったんだとすっかりへそを曲げてそっぽを向くキバナには申し訳ないけれど本当に記憶がない。
「いつの話?」
「オレがジムリーダーになって一年目のパーティー」
 頭をフル回転させて信憑性に乏しい記憶をひっくり返す。そういえば、キバナの言うようにパーティーに招待してもらったことがあったような気がする。
「あー、なんか言ったような?」
「せっかく人がエスコートしてやろうってのに、つまんないはあんまりだよなあ?」
「ハハハ……」
 かなり根に持っているのか当てこするような物言いをされて、反論する余地もない私は笑って誤魔化すしかない。
「覚えてないからたぶんだけど、キバナが急に大人っぽくなっちゃって面白くなかったんだと思う。今の考えると先代に躾られてたんだなあって分かるけど」
「オマエ、先代のことカッコイイって言ってたじゃん」
 キバナの前にナックルジムのジムリーダーを勤めていた先代はまさにガラル紳士という言葉が似合う人物だった。私達とは親子ほどの年の差があって、よく怒られもしたが可愛がってくれた。
「キバナと先代じゃ違うもん。昔のちょっと悪ガキっぽい方がキバナらしいよ」
「……なるほど、そういうことだったのね」
 キバナは何故か訳知り顔で頷いているが、私には何のことだかさっぱりだ。
「ちょっとそれが何だっていうの?」
 機嫌が直ったのは喜ばしいけれど、何やらよく分からないまま私だけ蚊帳の外なのは面白くない。
 キバナはふてくされた私を挑発するように含み笑いをした。
「もしあの時、オマエに好かれたくて背伸びしてたって言ったら?」
 予想外な答えに耳を疑った。私とキバナは顔を合わせれば喧嘩ばかりでそれはずっと変わらない。
 キバナの言っている意味がわからなくて困惑しながら聞き返す。
「それって」
「好きだって言ってんの」
 冗談を言って私を騙して笑おうとしているんだと思った。
 でもそう断言してしまうにはキバナの様子が違いすぎた。先ほどまでのふざけた空気感はすでに消えていて、私にとってはすっかお馴染みの小馬鹿にするような笑みもない。面と向かって真剣な表情のキバナと向き合うことなんて初めてで嫌に緊張が走る。
 好きって、何? キバナが私を?
 あまりに突然すぎて受け止めきれず、ただキバナと見つめ合うしかない。何か言わないといけないと気は急くのに口が縫い付けられたように動かなかった。
 何も返さない私にキバナはゆっくり瞬きをした。瞳がゆらゆらと揺らぐ。一挙一動を見逃すまいと見つめる私の前で、キバナは深く息を吐き出し唇の端を持ち上げた。
「オマエさ、顔……赤くない?」
 何を言われたかを理解して瞬間、カッと頭に血が上った。止まっていた時間を取り戻すように音を立てて立ち上がる。そして驚いたキバナがこちらへ手を伸ばしてくるより先に言葉を投げつけた。
「最ッ低!」
 返事を待たずして踵を返した。行き先なんて考えていなかった。キバナがいないならどこでもいい。後ろから大声で名前を呼ばれたが、聞こえないものとして無視した。

 笑われた!
 考えれば考えるほど怒りが増してきて、頭の中が茹だりそうだ。何ですぐに否定しなかったんだろう。判断が遅かったせいでキバナにしてやられてしまった。
 一瞬でも私とキバナがそういう関係だったらなんて考えなければ良かった。真剣に受け取った私が馬鹿だった。
 悔しさから滲んだ涙を服の袖で乱雑に擦る。
 キバナはやっぱりいけ好かない男だ。もう二度と顔を合わせたくない。
 考え事をしながら走っていたせいで、私は前をよく見ていなかった。ドンっと勢いよく何かにぶつかって反動でたたらを踏む。
「あっ、ごめんなさい……!」
 どうにか転ばずに踏みとどまって、ぶつかってしまった相手は大丈夫だろうかと慌てて顔を上げる。
 相手はカメラを持った男だった。私を見てニイッと笑った。
 今現在、私が置かれている状況を思い出して血の気が引く。記者が張り込んでいるからキバナの家に匿ってもらっていたはずなのに怒りに任せて飛び出してきてしまった。
 辺りを見回すといつの間にか裏路地に入ってしまったようで人目はない。逃げ場を探す私にシャッターの光が浴びせかけられる。
「ねえ、キミ」
 男が私に一歩詰め寄る。その顔には食い物を見つけて逃すまいとする下卑た笑いが浮かべられていた。
 誰か助けて、…………キバナ
 叫び声も出せずに恐怖からギュッと目をつぶった。今さっきまであれほど憎たらしいと思っていたのに、土壇場になって助けを求める相手はキバナだった。
 なんて都合がいいんだろう。だからこんな目にあうんだ。
 後悔に沈む私はこれから起こることを想像して身を固くした。しかし、いつまで経っても何も起こらず恐る恐る目蓋を持ち上げる。
 視界に映るのはこちらへ伸ばされた男の手を掴みあげる、褐色の長い腕だ。
「コイツはオレのだから。手出さないで」
 その言葉とともにふわりと温かな熱に包まれた。相当急いで来てくれたのか汗がじんわりと滲んでいる。
 来てくれた……!
 キバナは男と何か言い合いになって何度かシャッターを向けられたが、キバナが恐い声を出すと諦めて逃げていく。私は安堵感から気が抜けて背後に身を預けながら大人しく腕の中に収まっていた。
 何も喋らず黙ったままの私に、キバナは怖かったよなと言って謝った。
「悪い、笑ったのはオマエに対してじゃないんだ。ただ脈ナシだと思ってウジウジしてた自分が情けないなって思っただけだよ」
 誠実な思いはちゃんと私にも伝わってきて、さっきとは違う意味でまた体が熱くなる。
 キバナは私が好き。今度こそ正しく理解すると胸の内がざわめくのを止められない。
「また炎上しちゃうじゃん。どうするの?」
 助けてくれてありがとうとか、私もごめんねとか他に言うべきことはたくさんあるはずなのに皮肉るような言葉しか出てきてくれなかった。すっかり板に付いてしまった天邪鬼はなかなか剥がれてくれない。
 空気だけで笑う気配がしてキバナが私の耳元まで身を屈める。
「じゃあ、真実にすればいい」
 悔しいけれど頬が赤くなっているのが自分でもよく分かった。今まで何で気づかなかったんだろうと思うほどわかりやすい思いは自覚すると同時に羞恥心がわいてくる。
「……この自信過剰男」
 いつもの憎まれ口にキバナが乗ってくることはなく代わりに高らかな笑い声が響いた。
「いいぜ、記事が出るまでたっぷり時間はあるからな。口説き落としてやる」

 私が素直に自分の思いを言葉に出来るまで、あともう少し―――