前の席の幸村精市は、雨の日はすこしうきうきとしているように見える。いつもゆるいウェーブを描いている髪の毛が湿気によってすこしだけそのうねりを強くしているのだけど、そんなことは気にならないようで、楽しげに窓の外を見上げている。ご機嫌な彼の後ろの席に座るわたしの髪の毛はもう本当にとんでもない有り様で、同じような髪質のはずなのに顔でこんなに印象が違うのかと舌打ちしたい気持ちになる。
「なんか、機嫌悪そうだね」
振り向いた幸村が、歌いだしそうな調子で話しかけてきた。わたしは、この世の地獄のような髪にクシを通しながら「幸村が機嫌良さそうなだけでしょ」とこたえた。いまの状態の彼からすればだいたいが機嫌悪そうに見えるだろう。まあ、わたしの機嫌が悪いのは当たってるけど。雨だし。なんか目の前の男はムカつくし。
「俺、雨、好きなんだよね」
「ヘエ」
そりゃそうだろうよ。そんないかにもわくわくしています、雨がすきですって感じに目をきらきらさせて、頬をいつもよりもやや赤くしている様子を見れば一目瞭然だ。
「ね、雨がすきなの、何でだと思う?」
「ヘエ?(知るかよ) …………花壇に水やりしなくてもいいから?」
「ハズレ」
「……部活が休みだから?」
「ハズレ」
「降参」
「早いなぁ、大橋のサボり癖が露見しただけじゃないか」
「……」
そんなに露見してないでしょ。確かに、わたしだったら嬉しいことばかり言っちゃったけど。というよりも、部活が休みなのはわたしだけで、常勝と呼ばれる彼らには雨の日も休むことなく練習があるんだった。
まあ、でも、まさか本人に伝えるわけにはいかないけれど、こういう日は、外をじっと見つめる輝く瞳や美しい横顔を見ることができるから、それはいいことかもしれない。それに、いつの間にかわたしの方向を向いて話していることが多いから、後ろの席でよかったなぁなんて思ったり……思わなかったり……ゴニョゴニョ。……いや、そんなこと思ってません! 思ってませんよ!! ……わたしは誰に言い訳してるんだ。
……何にせよ、自分の髪の毛が地獄の沙汰であることを差し引いても、彼の横顔を見つめ、言葉を交わすことができる利点を考えれば、わたしも雨の日が好きだ。
「今日の部活、雨だからちょっと早く終わるんだよね。……大橋も、委員会だよね」
「図書委員じゃなくて美化委員になればよかったな」
「最初からサボる機会を狙うんじゃないよ。……ね、あのさ、…………よかったら、帰りに……新しくできたカフェに寄らないかい? ふたりで」
「えっ」
「ほら、あそこ、この前気になるって言ってただろ。カッ……、男女でいけばついてくるケーキが食べたいって。その、俺も結構気になってたし、タイミングいいし、…………ね、どうかな?」
これは、どうなんだろう。世の中の中学3年生が女子を放課後にカフェへ誘うというのは、よくあることなんだろうか。伺うように上目使いでこちらを見る幸村から目をそらして、じわりと汗をかいた手のひらを握りしめた。うん、そういえば、友達が丸井くんとカフェにいったって言ってた。あれは修学旅行でしかも5人班で行ってたからちょっと状況が違うけど、まあ、大体は同じはずだ。つまり、これもよくあることで、誘いに乗ってもなにも問題はないはず。
「い、嫌ならいいんだけど」
「ううん、行く。わたしのほうが先に終わるだろうから、教室で待ってるね」
「………………うん」
幸村が、ほっとしたように笑った。
* * * * *
「…………あ、の、この、……カップルセットをお願いします」
幸村が白く綺麗な指で指したのはわたしが狙っていた濃厚なチョコレートケーキがついてくるセットで、カップルで来た人しか頼めないことになっている。どことなくぎこちない様子の幸村にわたしまで緊張してしまって、店員さんが立ち去るまで、メニューの端のほうを睨み付けるようにして下を向いていた。
「ありがとう」
「ん?」
「わたしが食べたがってたから誘ったくれたんでしょ?」
「うん、……でも、俺も頼んでみたかったから」
「やさしいんだね、幸村」
「どうしたんだい、急に。あ、言っておくけど、おごりじゃないからね」
「そんなの狙ってないよ! 失礼な!」
少しずつ雨が強くなってきているようで、バタバタと窓に雨粒のぶつかる音がBGMに混じる。いつもは絶えず軽口を叩きあっているわたしたちの間には少しだけ気まずい空気が流れていて、わたしはひどく緊張していた。どうしようかな、と思いながら視線をあげた先の幸村は、教室の時と同じように窓の外を眺めていた。長いまつげがまばたきの度に揺れて、薄くあいた唇がやわらかく笑みの形をつくっていた。ぼおっと彼のかたちを眺めていると、急に幸村の視線がこちらを向いた。バチッと音が鳴ったような錯覚がして、目があった彼が少し意地悪そうに笑った。
「なに見てるの」
「見てない」
「ふうん。……俺気づいてたんだけどさ、大橋っていつも俺のこと見てるよね、とくに雨の日は」
「な、にそれ。自意識過剰なんじゃないの。幸村が雨の日はルンルンしてるからいつもより目につくから見てるってだけ。気のせいだよ」
「そうかな。……俺は大橋のこと、見てるよ」
「ハア!?」
少しばかり大きな声が出て、あわてて周囲を見回した。はは、と楽しそうに笑う幸村をギリッと睨み付けて、つぎに出す声が震えてしまわないように大きく息をはいた。
「ど、どういう、」
「俺、雨、好きなんだよね」
「ちょっと、いまはそんな話……」
「ね。わからない? 俺が雨の日を好きな理由」
スルッと、幸村の白く長い指がわたしの左手を捉えた。くすぐるように親指で甲を撫でられて、ぞわぞわと背筋がかゆくなる。
おそるおそる見上げた幸村は、やわらかく目を細めてこちらを見ていた。微笑んでいるようにも思えるけれど、その目の力強さに怯えてしまいそうになる。
「ほら、また。目があった」
とろけるように潤んだ瞳で、声でそう言うから、なんだか恥ずかしくて叫びながら走り回りたいような衝動にかられる。そもそも、そっちがほとんど無理矢理目があうように誘導しているんじゃないかと思わないでもないが、ここでそう喚けるほど慣れていないので、わたしはじっと黙って顔を赤くしていた。
「、」
きゅうっと笑みのかたちをつくったままの幸村がなにかを言いかけた。そのタイミングでケーキが運ばれてきて、幸村は名残惜しげにわたしの手の甲をひっかくように撫でて、手を離した。恥ずかしくて恥ずかしくて、店員さんの方が見れない。
そして、あまりにも色気にかけるわたしは、ずっと食べたくてたまらなかったチョコレートケーキを目の前にして、これまでの不思議なふわふわした雰囲気をサッパリ忘れてしまい、幸村に呆れたように笑われてしまったのである。
「大橋って、雨の日ちょっとかわいいよね。髪の毛がくるくるしてて」
「ハア!?!!!!!!!???」