狂犬の遺した大切なもの
いつも私のことをからかっていたけれど、落ち込んでいる時には不器用な言葉で慰めてくれた兄さん。私が不平を漏らすと、叱ってくれた兄さん。私が退屈そうにしていると遊んでくれた兄さん。私に色々な武器を教えてくれた兄さん。
『ったく名前、いい加減剣の使い方くらい覚えろよ』
『名前!あぶねぇからちょろちょろすんな!』
『お前は、永遠に俺達の妹だ』
血が繋がっていなくとも、大好きな兄だった。
「ライナス兄さん……」
共に過ごした日々が走馬灯のように蘇った。
勝手にライナス兄さんの剣を持っていって怒られたこと。ロイド兄さんを笑わせようと二人で試行錯誤したこと。兄さんの怪我を治して褒められたこと。私の過去を受け入れてくれたこと。
「………」
感傷的になっていた私は、背後に近付く気配に気がつかなかった。そして不意に、喉元に剣が突き付けられた。
「お前か。ライナスを殺ったのは」
そう。その声は、間違いなく…
私があの時からずっと追いかけてきた、大好きな彼もの。
「ロイド、兄さん…」
私の命の恩人で、大好きな大好きな、もうひとりの兄さん。ロイド・リーダス。
「……!お前…まさか…」
「ライナス兄さんのことは、本当にごめんなさい。私が、守れなかったの。私が…」
ロイド兄さんはひどく狼狽していた。まさか私が軍師だということを知らぬ彼ではないので、おそらくここに私がいるということに驚いているのだと思う。
「名前…」
「……ライナス兄さん、ロイド兄さんに謝ってたわ」
「すまなかった」
私の言葉には何も答えず、ロイド兄さんは突然私を抱きしめて、頭に手を置いた。それは一瞬のことで私は思考がついていかなかった。
「兄…さん?」
「辛い思いをさせたな。ライナスを殺ったのはお前ではない。それくらいは見ればわかってる。お前の仲間だろ」
「……」
私は肯定も否定も出来なかった。
リムステラが、と言ってもそれを信じてもらえるかはわからないし、信じてもらえなかったらそれは私が仲間を庇って人のせいにしたと解釈されることになる。この場面で兄さんと仲違いをすることだけはしたくなかった。
「名前、俺はお前たちに復讐する。それは覚えておけ」
そう言って、兄さんは離れた。
そして私の首から下がった指輪を見て、一息ついてゆっくり瞬きをした。兄さんの目はとても切なかった。
「ライナスがやったのか」
「ええ」
「あいつもわかってたんだな……」
兄さんは大事そうにしまってある小さな袋から一つの指輪を取り出し、私の方へと渡した。
手渡されたものは、今持っているものよりひとまわりも大きく、男性の物ということがわかった。
「親父の形見だ。お前が持っていろ」
「でも…!」
「名前。俺と約束しろ。全てが終わった時、新しい黒い牙を作れ。昔のように、お前の大好きだった黒い牙を」
そんなの、ない。兄さんも父さんもいない黒い牙なんて。私は俯いた。素直に頷くことは出来なかった。
兄さんはあともう一つ、と顔を上げた私に目線を合わせて言った。
「俺に慈悲をかけるなよ」
じゃあ、と言って兄さんは背を向けた。
いつもそうだ。私の大好きな人はいつだって自ら私に背を見せる。しかしここで兄さんを引き留めてしまえば、私は戻れない気がした。
「 好きだ、名前 」
そんな声が聞こえたのは、兄さんの姿が少し小さくなった時。夕日の逆光で、顔は見えなかったが、その雰囲気は私に対する愛しさを湛えていた。
「……」
それ以上言葉が出なかった。兄さんが私のことを妹ではなく、ひとりの女性として見ていたことに、今まで全く気がつかなかったのだ。愚かだった。
兄さんと呼ぶ毎に、知らず知らずのうちに、傷付けていたに違いない。どうしてこう、自分は失ってから気付くのだろうか。
「名前さん!」
私を呼ぶ声が聞こえた。
兄さんの姿はとっくに見えなくなっていた。振り向くと、ハイペリオンに乗ったヒースとラガルトの姿が目に入った。
「ロイドは行っちまったんだろ?」
「……」
ラガルトには話せなかった。というか、既に気付いていると思った。彼は隠密行動が得意なせいか、相手の心情を読むのが上手い上、ロイド兄さんとは仲が良かった。
「名前さん」
ヒースは、再び私の名前を呼んだ。
そうだ、私は生きている。生きて、ここにいる。そして成し遂げなければならないことが、ある。歎き悲しんでいる暇はなかった。
ライナス兄さんの亡骸があった位置に目を向けると、そこには何もなかった。エーギルを取られると風化してしまうのだろうか。最後の別れもできなかったと涙が溢れそうになったところに、あるものを見付けた。
「あれ……?」
拾い上げたものは、剣を入れる見慣れた鞘だった。しかし、指輪という形見がある。私はその鞘を墓に埋めることに決めた。
「ライナスのやつ、無茶したな」
「え?」
「って、ロイドが言ってなかったか?」
ラガルトは、眩しいなと言って兄さんが去った方向を見つめていた。相変わらず真っ赤な夕日がこちらを照らしていた。
ちらりとヒースの方を見ると、しきりに彼は何かを考えているようだった。しばらく見ていると私の視線に気付いたのか、目が合った。彼の瞳はいつだって真っ直ぐで、私はそんなところに惹かれたのかもしれない。
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